皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「過去の全ての記憶が超カオス状態に陥っており、全く思い出す事が出来ない(過去編・1997年4月頃・21歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、21歳の自分が大学内でカウンセリングを受け始めたものの、なかなか言葉が出て来なかった、という話でした。そう、一言喋ると言葉が出てこなくなり、そこから10分〜15分黙り込む事がザラにあった記憶なのです。その理由として以下の2つが考えられます。
①21年間分の全ての記憶が、全く整理整頓されておらず、ぐちゃぐちゃに混ざり合い「超カオス状態」に陥っているから。こうなってしまうと最近の記憶ですら思い出すのが困難。その状態は例えるなら「酷過ぎるゴミ屋敷」。
②当時の自分が感じていた辛さのほとんどが「人間関係が全く作れない辛さ」であり、これを喋ると「カウンセリングの先生に馬鹿にされるのでは?」という不安があった。
う〜ん、そりゃ黙り込むはずです。そして、こうやって当時の事を記事に書いてみますと、当時の自分が愛おしく思えますねぇ。そう、現在の自分(2021年7月・44歳)から見ると、当時21歳の自分はとても可愛いく思えてしまいます。現在の自分はあれから23年間に渡って記憶の言語化をアホみたいに繰り返し続けていますから、21歳の時と比べれば圧倒的に記憶が整理されている状態です。そんな現在の自分からすると、21歳の時の「記憶の超カオス状態」はとても懐かしく、可愛らしい状態です。また、現在の自分はカウンセリングを7年間受け続けた経験も持っていますから、カウンセリングの先生がこちらを馬鹿にするような態度を示す事は一切無い事も知っています。そう、21歳の時の自分が感じていた②の不安は杞憂に過ぎません。ただ、それは今から考えると仕方がなかったと思うんですよ。だって当時の自分はそれまでの21年間、周りに自分の感情を安心して素直に表現出来る場所が皆無だったのですから。
そう、何度も書いていますが、自分が育った家庭は自分が小学校3年生以降戦争状態に陥り、そのような場所では全くなくなってしまったのです。また、小学校3年生「以前」から我が家はそのような場所ではありませんでした。そして、幼い自分の周りには自分を可愛がってくれるような祖母や祖父もいませんでしたし、先生から気にかけて貰えるような事もありませんでした。このように自分の周りには自分に興味を向けてくれる大人は皆無であり、自分が安心感を抱ける大人は皆無だったのです。故に安心して素直に自己表現出来る場所は皆無だった、という事になります。
ですから、自分は大学3年生で初めて受けたカウンセリングの初回に衝撃を受けたのです。「えっ??この世の中に自分に対して暖かい興味を示してくれる大人がいたのか!!!」、と。それで初回は号泣が止まらなかったのです。そして、その後自分は少しずつ「自分が大学において全く周りとコミュニケーションが取れていない」という話をしていきました。これは言い換えますと「自分がコミュニケーション能力が劣っている人間だ」、という話をしていったという事です。いわゆる「自己開示」というやつですね。(「自己開示」の説明はこちら→ https://studyhacker.net/self-disclosure )しかし、自分は小学校3年生以降、必要最低限の自己表現すら全くしてきていない人間です。そんな自分がいきなり「自己開示」するというのは、かなりハードルの高い事だったと思うんですよ。ですから、この種の話をカウンセリングでする際には、毎回自分の中には「不安」と「葛藤」があったのです。そして、当時の自分は毎回のようにその「不安」と「葛藤」を乗り越え、この種の話をしていった、という事になります。いや〜よく頑張りましたね、当時の自分。当時の自分を褒めてあげたいです。偉い!そして、ここから始まった自己開示の23年間の積み重ねの結果がこのブログだという事になります。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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