鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

合宿の1ヶ月前から「中指の拷問」級の精神的苦痛(過去編・1997年9月・21歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 空手部自主練中の激しい自己矛盾(過去編・1997年9月・21歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、大学空手部時代の「合宿中の辛さ」と「合宿前の辛さ」について書いてみました。今回の記事も改めてここら辺の事を書かせて頂きます。よろしくお願い致します。そう、自分は合宿に対して「自分は殺されるに違いない」くらいの恐怖感を抱いていたんですね。ですから、自分は合宿の日程の1ヶ月くらい前から激しい恐怖感に囚われ、極度の鬱状態に陥っていました。自分が合宿に対して感じていた恐怖は以下の4つになります。



①いつもは1日2時間〜2.5時間くらいの練習時間(週3回)が、合宿中は6時間に増え、それが1週間毎日続く。


②練習以外の時間も他の空手部員と寝食を共にするので、心が全く休まらない。


③人間サンドバッグの恐怖のせいで睡眠が極めて浅い。そんな日々が1週間続く。(人間サンドバッグの詳しい説明はこちらです。→空手部時代の話②)



④合宿が一刻も早く終わって欲しくてたまらないのだけれど、合宿最終日には人間サンドバッグが行われる事が確定しているので、合宿が早く終わる事を願う事も出来ない。 これはかなり両価的な状態で、離人感も発生。(離人感の説明はこちらです→ 〜離人感と冷え性〜 )


⑤上記の4つの精神的・肉体的ダメージを累計すると、「中指の拷問」級。(中指の拷問の詳細はこちらです。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)



そして、そもそも論としましては、当時の自分の体調は、とても運動が出来るような状態では無かったのです。あの体調で運動など、無茶苦茶にも程がある程無理な話でした。そう、当時の自分は「鬱の廃人」状態に陥っており、11個の鬱の諸症状を併発していたのです。以下いつものコピペになります。



「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑧常に訳もなく泣きそうなくらい悲しい。
⑨慢性的な口内炎
10空手部の稽古中の喘息
11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。


おまけ:空手部の稽古中の様子

『稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中に「離人感」を発症していたのです』



コピペ終わり



自分はこのような「鬱の廃人」状態で合宿に臨もうとしていたのです。このような状態で運動をするのは、通常の稽古時でさえ「無茶苦茶にも程がある程無理な話」でしたが、合宿の無理さ加減はそれをさらに大きく大きく上回っていました。故に合宿が始まる1ヶ月前の時点で、精神的苦痛が完全に心の許容量をオーバーしていましたね。完全に自分の心は恐怖に支配され切っていました。合宿までの1ヶ月間は真っ黒なカーテンの中で膝を抱えて、ただひたすら体育座りしているだけのような日々でした。まるで死刑囚が死刑を待つような気持ちだったと思います。




そして、そんな中でも自分は自主練はしていたんですよ。この時の自分が非常に「両価的」だったという話も前回の記事で書かせて貰いました。そう、自分は空手部の合宿が恐ろしくて仕方がありませんでしたから、「合宿が始まるまでは体力を節約したい」という意識が強く働いていました。しかも合宿の1ヶ月くらい前からです。今から考えると1ヶ月前から体力を節約したって全く意味が無いと思うのですが、当時の自分は合宿が恐ろしくて仕方なかったですから、本気でそう感じていたのです。これは本能的な感覚だったと思います。



しかし、一方では自分は合宿に向けて体力をつけなければならない、とも感じていました。そう、合宿の最終日には「自分が殺される」かもしれない人間サンドバッグが行われます。(人間サンドバッグの詳しい説明はこちら→空手部時代の話②)これは心肺機能を凄まじく追い込む稽古でしたから、これに向けて心肺機能を鍛えなければなりません。ですから、合宿前の自分は以下の2つの気持ちに引き裂かれている状態だったのです。



・合宿が恐ろしくて仕方がないので、合宿が始まるまでは極力体力を温存したい。


・人間サンドバッグの恐怖を乗り越える為には、心肺機能を鍛えるしかない。



う〜ん、これはかなり激しい自己矛盾だったと思います。そして、自分はこの激し過ぎる自己矛盾を抱えながら、結局は自主練していたのです。そのペースは週3回で1回1時間くらい。あの自主練の最中はマジでヤバかったっすね。頭の中が破壊されそうなくらいの精神的苦痛の中で、自分はランニングや坂道ダッシュを繰り返していました。そう、この時自分が感じていた精神的苦痛は「中指の拷問」級だったと思います。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)



いや〜、「空手部合宿中」の自分が滅茶苦茶辛かった事は前々から分かっていた事ではありましたが、まさか「合宿前」から「中指の拷問」級の精神的苦痛を感じていたとは。これは前回、今回と記事を書いてみての発見でしたねぇ。素晴らしい。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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