鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

空手部の自主練は無意識の自傷行為(過去編・1997年10月・21歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「空手部引退の日が気が狂う程待ち遠しい(過去編・1997年10月・21歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が空手部引退の日をどれくらい待ち望んでいたのか、という話でした。今回の記事も改めて空手部の3年間を振り返っていきたいと思います。主に「自主練が自分に何をもたらしたのか」という切り口で振り返っていきます。よろしくお願い致します。そう、自分は大学1年生の夏頃から空手部のとある練習メニュー(人間サンドバッグ)が恐ろしくてしかなくなり、夜眠れなくなってしまいました。「指折り数えて」なんていう表現ではとても表現出来ないくらい、その日を待ち望んでいたのです。(空手部を辞めれなかった理由についてはこちら(2008年2月・32歳))空手部員の引退は大学4年生の4月ですから、引退までおよそ2年半。その2年半は永遠とも思える程長い時間でした。自分は遅々として進まない日にちに何度絶望したか分かりません。カレンダーを見ては、「まだあと2年もある、、」と、絶望する日々が続いたのです。




ただし、自分はこの人間サンドバッグの恐怖に対して手をこまねいていた訳ではありません。(人間サンドバッグの詳しい説明はこちら→空手部時代の話②)自分はその恐怖を乗り越えようと、通常の稽古がない日は、大学が終わり、家に帰ると自主練を繰り返したのです。そう、この稽古は心肺機能を鍛える稽古です。ならば、自主練で体力や心肺機能を鍛えれば、その恐怖は減少するのではないか、と。この考え方自体は間違っていないと思います。たぶんこの考え方で体育会系の部活の試練を乗り越えていく人はいるでしょう。しかし、自分の場合はこの考え方は全く当てはまらなかったのです。何故なら自分の身体は高校1年生の時点ですでに鬱に蝕まれており、そもそも運動が出来るような状態ではなかったからです。以下高校時代の4つの鬱の諸症状になります。


「高校時代の4つの鬱の諸症状」


①食欲の完全消失

②日曜夜ごとの激しい喘息

③慢性的な疲労感と眠気

④学校生活中の激しいめまい



そして、この鬱は大学に入学後、空手部の人間サンドバッグの恐怖により増大します。何故なら自分はその恐怖で夜眠れなくなったからです。これにより上記の「③慢性的な疲労感と眠気」はさらに悪化していきました。そして、この流れで自分は自主練を始めたのです。「③慢性的な疲労感と眠気」は高校時代よりさらに酷くなっています。これがどういう事かと言いますと、自分は自主練を始めようとする「前」の時点で疲れ切っていた、という事です。自分は日々の大学生活の中ですでに疲労困憊状態に陥っており、その状態で家に帰り、そこから自主練をスタートしていたのです。その自主練のスケジュールは、週1回・1時間でメニューはランニング・坂道ダッシュ・筋トレです。(夏休み・冬休み中は週2〜3回)繰り返しになりますが、自分は自主練を始める前の時点ですでに疲労困憊状態に陥っていました。そう、高校時代の③はさらに悪化していましたからね。そして、その疲労困憊状態にさらに鞭打ってこれらのトレーニングをこなしていったのです。




しかし、今から考えますと、こんな自主練で体力が付く訳がありません。だって自主練を始める「前」の時点で疲労困憊状態なのですから。そもそも運動など出来る体調ではありませんでした。あの時の自分に本当に必要だったのは、「空手部を辞めて、精神科やカウンセリングに行く事」です。しかし、当時の自分は自分の「鬱状態」をほとんど認識出来ていませんでしたから、自主練で人間サンドバッグの恐怖を乗り越えていこうとしたのです。それは精神的にも肉体的にも致命的な負荷がかかる行為だったと思います。その結果どうなったのかと言いますと、自主練の翌日、自分の体調は大崩れです。その時の様子は以下の通りです。過去記事からの引用になります。



『(自主練翌日、)目が覚めると滅茶苦茶身体が疲れ切っていますし、体温調節機能もぶっ壊れている感じなのです。そう、身体は重くてダルくて仕方ないですし、身体は冷え切っていて、真夏にも関わらず鼻水ズルズル。あれは絶望的な気分でしたねぇ。』

(「大学空手部時代の虚し過ぎる自主練(2008年2月・32歳)」)



当然こんな状態では、体力が付いたという実感は全く得られません。そして、こんな自主練が重なっていった結果、自分の中には「脱力感」「無力感」「虚無感」がすごい勢いで増えていったのでした。



なんかこれって今から考えると「無意識の自傷行為」って感じがしますねぇ。当時の自分は、自分自身の健康状態さえ把握出来おらず、自己認識能力が皆無でした。それ故に自分の過去や現状を全く把握出来ておらず、人生の方向性を正しく定める事が全く出来ていなかったのです。そして、自己認識能力があまりにも無かったので、人生の方向性を正しく定められないどころか、最もしてはいけない努力を必死にしてしまっていた、そんな感じさえします。そう、良かれと思って自主練を重ねれば重ねる程、自分の心身が壊れていくのですからね。こんなのは「無意識の自傷行為」ですよ。




このように自分の心の中には、日々の自主練により、「脱力感」「無力感」「虚無感」がすごい勢いでどんどん増えていき、心身は衰弱していきました。そして、心身が衰弱すればする程、人間サンドバッグの「恐怖感」はどんどん増えていったのです。もちろん、「恐怖感」が増えればさらに眠れず、心身はさらに衰弱します。そして、厄介な事に当時の自分は自主練を重ねれば重なる程自分の心身が衰弱していってる事にも気付いていないのです。何故なら「自己認識能力が皆無だから。」。また、もう1つ大きな問題として、自分は周りの人間とコミュニケーションが全く取れない大学生でもありました。故にこの恐怖感を周りと共有する事も全く出来ていません。これにより「孤独感」も凄まじい勢いで増加し、これもまた、自分の心身を衰弱させる大きな大きな要因となったのです。結果自分の心身は凄まじい勢いで衰弱していき、大学2年生の夏頃には以下の11個の鬱の諸症状に苦しむようになっていました。いつものコピペになります。



「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑧常に訳もなく泣きそうなくらい悲しい。
⑨慢性的な口内炎
10空手部の稽古中の喘息
11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)



おまけ:空手部の稽古中の様子

『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)



コピペ終わり



こんな状態で空手部に参加するなんて、「自殺行為」以外の何者でもありません。しかし、ここまで追い詰められても自分の中に「空手部を辞める」という選択肢は無かったのです。(大学空手部を辞めれなかった理由についてはこちら)
自分は1日、1日を必死に必死に耐え、1年半後の引退の日を夢見るしかありませんでした。




しかし、そんな自分をあざ笑うかのように月日は気が狂う程ゆっくりと過ぎていきました。そして、ようやく自分は大学3年生になりました。空手部内で最上級生になったのです。さらに副主将のポジションについてしまいました。しかし、自分は副主将らしく振る舞う事が全く出来ません。後輩達と何を喋れば良いのか全く分からないのです。また、大学内でも完全孤立しており、いよいよ大学生活が行き詰まっていました。そんな時、大学内の新聞でカウンセリングセンターの存在を知り、そこに駆け込んだのです。




そこからは、カウンセリングを受けながらの空手部生活の始まりです。自分は週に1回カウンセリングセンターに通い、「自己開示」し、毎回のように「葛藤→解放」を繰り返しました。毎回カウンセリングが終わると少しだけ気持ちが晴れた感じがありました。しかし、それで現状の深い深い辛さが減るような事は全く無かった記憶です。そう、カウンセリングを受け始めてからも、空手部に対する恐怖感は全く減りませんでした。もはやそれは自分の「神経」に深く焼き付いており、少し言語化したくらいでは、全くもって焼け石に水だったのです。




こんな感じで、大学3年生の4月からカウンセリングを受け始めてからも空手部に対する恐怖感は全く変わらず、自分は必死に必死に日々の稽古を耐えていきました。そして、空手部の中で1番の恐怖のイベントである夏合宿をなんとか終えたのです。これで残るは秋の通常練習と春の合宿のみです。自分の心の中は「ようやくあと半年で空手部引退だ!!」という気持ちでいっぱいになったのでした。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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