鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

大学卒業とか就職とか知ったこっちゃない(過去編・1997年10月・21歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「空手部の為に大学を休学する(過去編・1997年10月・21歳)」の続きを書かせて頂きます。



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前回の記事は、自分が大学3年生の9月頃の話でした。自分はその頃に大学休学を決断したんですね。それは空手部引退を半年後に控えたタイミングでした。その頃になると自分の中に大学の授業を受ける気力はもはや皆無でしたね。自分の体調は「鬱の廃人」状態に陥っていましたし、大学内で完全孤立状態にも陥っていました。また、もう一つの理由としましては、あと半年間空手部の恐怖に耐える為に、大学の授業に一切エネルギーを使いたくはありませんでした。自分のエネルギー値はただでさえゼロに近い状態でしたから、その貴重過ぎる資源を授業に使いたくは無かったのです。そこで自分は親に休学の話をしました。理由は確か「空手部に専念する為」とか言ってた気がします。この頃は母親との仲はまだそんなに悪くなかったので、この話をする際に葛藤は無かった記憶です。そして、自分は大学の事務室に休学届けを出しに行きました。休学届けは受理され、ホッとした感じがありました。これで授業には全く出なくて良いのです。単位は全く取れなくなりますが、知ったこっちゃありません。もはや単位や卒業の事を考える余裕など自分の中には皆無でした。




ではここからは、自分が大学入学以来、いかに授業をないがしろにしてきたか、その切り口で大学生活を振り返っていきたいと思います。自分は大学1年の夏頃に大学空手部のとある練習メニューを受け、そのあまりの厳しさに恐怖し、夜眠れなくなってしまいました。そして、その恐怖を乗り越えようと必死に自主練を繰り返すも、全く体力が付いた実感は得られません。それどころか心の中に「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、さらに「恐怖感」が大きくなっていったのです。この頃から慢性的な疲労感と眠気はさらに酷くなり、意識朦朧とした状態で大学生活を送る事になりました。(大学1年生の秋頃〜)この状態で授業に出ても、内容が頭に入ってくるはずがありません。ですから、大きな教室での授業の時は、机に突っ伏している事が多かった記憶です。ただし、眠ってはいません。自分の心は、放課後の空手部の稽古に対する恐怖感と緊張感でのたうち回っていましたからね。そして、テスト勉強をする気力も皆無でした。大学1年、2年、3年と授業にはそれなりに出ていましたが、単位を落とす事がかなり多かった記憶です。そんな感じで、大学3年生の中盤くらいまで進んだ結果、単位の取得状況は壊滅的でした。どう考えても4年で卒業するのは無理な状況だったと思います。というかもはや自分の中から卒業・就職する気力は無くなっていました。「ゼミ」も4ヶ月くらい前には辞めてましたし、大学内で完全孤立状態に陥っていましたからね。




ですから、卒業・就職を諦めている自分にとって「大学休学」の選択は容易い選択だった記憶です。もはや自分の頭の中には「半年後の空手部引退」の事しか頭にありませんでした。そう、自分はあと半年間空手部とカウンセリングの為だけに大学に通い、空手部を引退出来ればそれで良かったのです。卒業とか就職とか知ったこっちゃありません。自分は空手部の恐怖からの解放を「空手部引退」という形で迎えられれば、他に何もいらなかったのです。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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