鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

カウンセラーの先生に自分の精神疾患名を尋ねる(過去編・1997年10月・21歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「自分の健康状態に関する激し過ぎる認知の歪み(過去編・1997年10月・21歳)」の続きを書かせて頂きます。




本題に入ります前に、最近のこのブログのアクセス状況についてのお礼を書かせて貰います。自分がこのブログを書き始めてから早や2年と4ヶ月になります。その間の平均アクセス数って70/日くらいなんですね。ところが、このアクセス数がここ1週間だけは、何故か280/日に急増しています。


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正直理由は分かりません。お盆休み効果でしょうか?それで嬉しい気持ちになりましたので、ご報告させて頂きます。改めて、最近このブログを知って頂いた方も、何度も見に来て頂いてる方も、このブログをお読み下さりありがとうございます。アクセス数の動きは水物なので、また70/日に戻りそうな気もしますが、嬉しかったです。




さてさて、前回の記事は、空手部引退を半年後に控えた自分が「自分は空手部のあの過酷な2年半を耐えたのだから、体力が付いたに違いない!」と思いたがっていた、という話でした。ところが、実際には「体力が付いた」どころか、大学空手部の2年半で自分の鬱は3倍近く悪化し、「鬱の廃人」状態に陥っていたのです。当時の自分は以下の11個の鬱の諸症状を併発していました。いつものコピペになります。



「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をドライバーで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事
⑨慢性的な口内炎
10空手部の稽古中の喘息
11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)



おまけ:空手部の稽古中の様子

『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)



コピペ終わり




先程も書きました通り、当時の自分は「自分は空手部のあの過酷な2年半を耐えたのだから、体力が付いたに違いない!」と思いたがっていました。「自分はあの死の恐怖に2年半耐え続けたのだから、何かプラスのものが自分に生まれたに違いない」と思いたがっていたのです。そうでないと、あの2年半に及ぶ果てしない精神的苦痛が何も報われないのです。あの2年半が何も報われてないなど、当時の自分にはとても耐えられない事でした。しかし、実際にあの2年半が自分にもたらしたものは、「鬱の悪化」という最悪の結果だけです。体力なんて全く付いていませんし、それどころか高校時代に発症した鬱がさらに3倍近く悪化しただけの2年半です。しかし、当時の自分がそれを認めるのは到底無理な話だったと思います。そもそも自分は自分の健康状態をほとんど把握していませんでしたから、鬱の悪化に全く気付いていませんでした。仮に把握出来ていたとしても、もしそれ(最悪の結果)を認めたら発狂するくらいの精神的ダメージが発生したと思います。ですから、自分は「せめてこの2年半で体力くらいは付いた」という幻想にすがったのだと思います。




なんというかその幻想は「希望的観測」が根拠の「錯覚の体力」と言えると思います。しかし、先程も書きました通り、実際の自分の心身は「鬱の廃人」状態だったのです。もはやまともな日常生活が困難な程自分の心身はぶっ壊れていました。ここに大きな認知の歪みがあったと思うんですよ。箇条書きにするとこんな感じです。



①「希望的観測」が根拠となり「自分には体力が付いた」と思いたがっている。


②実際には「鬱の廃人」状態で、心身はズタボロ。


そして、当時の自分が認識出来ていたのは、①の方で、②の方はほとんど認識出来ていなかったのです。う〜ん、認知の歪み。空手部引退後の自分はこの激し過ぎる認知の歪みのせいで、さらに孤独感と無力感を蓄積させていく事になります。なんというか「鬱のドミノ倒し」って感じです。鬱が認知の歪みを激しくさせ、その認知の歪みがさらなる鬱を生む、みたいな。一度鬱のドミノ倒しが始まると、人生が行き詰まるまで負の連鎖が止まりません。




さて、話を大学空手部3年の秋に戻したいと思います。この時点では自分はまだ空手部を引退していません。空手部引退まであと半年という状況です。そして、この時点ですでに自分は「自分には体力が付いたはずだ!!」と思いたがっていまして、ロックダンス教室に通い始めた、という話になります。自分はこのダンス教室と同時並行で週3回空手部の稽古に参加していましたし、週1回大学内でカウンセリングも受けていました。懐かしいですねぇ。当時の自分は夏合宿を終えた事で、空手部への恐怖感がピークを超えていました。そして大学を休学する事にしたので、時間的な余裕も生まれていたのです。そこで少し余裕が生まれた自分は、ダンス教室に通い始めた、という流れになります。そう、当時の自分は「鬱の廃人」状態に陥っており、とてもダンスなど出来るような状態では無かったのですが、当時の自分は鬱の諸症状をほとんど認識出来ていませんでした。認識出来ていたのは、「離人感」と「常に訳もなく泣きそうなくらい悲しい。」くらいです。そう、当時の自分でも「常に訳もなく泣きそうなくらい悲しい。」という感覚はうすらぼんやりと認識出来ていました。この感覚を丁寧に書くとこんな感じです。



「何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい」


そして、この感覚に関しては自分はカウンセリングで先生に訴えていたように思います。「なんだか分からないけど、大学生活が辛くて悲しくて仕方ない」、と。そして、当時の自分はこの状態が何らかの「精神疾患」ではないかと感じていました。当時の自分は自分が「離人感」を発症しているのは認識していましたから、それ以外の精神疾患を発症している可能性もあると思っていたのです。ですから、自分はその流れでカウンセラーの先生に自分の精神疾患の病名を尋ねた記憶です。実際に現在の自分(2021年8月)の記憶の中には、当時の自分が「病名」をカウンセラーの先生に聞いた記憶がはっきり残っています。しかし、先生はカウンセリングの先生であって、精神科医ではありません。自分の問いには答えてくれませんでした。そこには少し歯痒い感じがしましたね。




さらに自分は先生に「僕は精神科に行った方がよいでしょうか?」って聞いた気もしますが、それに関しても返答を濁された記憶です。そして、結局自分は精神科には行きませんでした。


もしあの時精神科に行ってたらどうなっていたんでしょうねぇ。う〜ん、まぁあんま変わらなかった気もします。何故なら自分の鬱の原因って「自分が自分自身の事を全く把握出来ていない」事にありますからね。それが原因で周りと全くコミュニケーションが取れませんでしたし、自分の健康状態さえ把握出来なくなっていったのです。ですから、そこから根本的に回復するには、こうやって書いたり喋ったりして、「自分自身を知っていく」以外には方法は無かったような気がします。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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