鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

カウンセラーの先生に空手部引退を報告する(過去編・1998年3月・22歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「空手部の恐怖がなくなり、とにかく寝まくる(過去編・1998年3月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。





前回の記事は、自分が空手部の春合宿から帰ってきた後、3〜4日寝まくっていた、という話でした。そう、春合宿が終わり、自分は晴れて3年間の空手部生活を引退出来ました。これからは布団の中で「明日人間サンドバッグが行われるかも、、」という恐怖に怯える必要は無いのです。なんと素晴らしい事でしょう。自分は布団の中でその開放感と安堵感を噛み締めていた記憶です。その開放感と安堵感の詳細は以下の3つになります。



①死の恐怖に怯え続け、永遠に続くと思われた空手部の3年間がようやく終わった。


②空手部の稽古に殺されずに、生きて空手部を引退する事が出来た。


③この3年間、自分の脳内の中心部分には空手部の恐怖が常に居座り続けていた。その空手部の恐怖がようやく無くなった。



良いですね。加えて、自分の身体の中には5泊6日の春合宿の疲れと、3年間に渡る空手部生活の疲れも溜まりまくっていました。それもあって春合宿後は寝まくっていた印象です。懐かしいですねぇ。




さて、そんな日々が3〜4日続いた後、とりあえず自分はカウンセリングに行った記憶です。そこで自分はカウンセラーの先生に春合宿がようやく終わった事を報告しました。同時に空手部を引退出来た事も報告しました。これも嬉しかったですね。「やっと3年間の空手部生活が終わりました、、」、と。ただし、当時の自分はその開放感を上記の3つのように分析的には説明出来ていなかったと思います。当時の自分が言えたのは「疲れました、、」とか「大変でした、、」くらいでしょうね。まぁそれでも嬉しかった事は確かです。それに対してS先生は「良かったわねぇ」とニコニコ聞いてくれていた記憶です。



そして、自分は確かこの時点でこの先の大学1年間の休学を決めていた記憶です。そう、自分はすでにこの半年間(大学3年の後期)大学を休学していたのですが、ここからさらに1年間の休学を決めていたのです。その理由ですが、もうなんか自分はこの空手部の3年間で燃え尽きた感覚がありました。そう、死の恐怖に怯え続けた3年間がようやく終わり、自分の中にはもはや何も残っていない感覚がありました。この3年間、自分の中の全てのエネルギーは「空手部の恐怖を耐える事」に使われ続け、そして、全て無くなってしまった感じです。もはや、ここから大学に戻り、授業を受ける気力など皆無だったのです。これは「PTSD」や「トラウマ」と呼ばれる状態だったと思います。




ですから自分はカウンセラーの先生にもう1年間休学する事も報告したと思います。そして、その事でホッとした記憶もあります。そう、ここから1年間は大学の授業に出る必要はありません。週1回のカウンセリングと、週1回のダンス教室の事だけを考えれば良いのです。エネルギーが完全消失している自分にとっては、週2回くらいの外出がちょうど良かった感じです。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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