鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

空手部引退後も睡眠が超不安定(過去編・1998年3月・22歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「生まれて初めての俯瞰的な思考を現在の自分が評価してみる(過去編・1998年3月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、大学空手部を引退後の自分が「空手部3年間の評価」に挑戦した、という話でした。そして、この行為を現在の自分(2021年8月)が評価するとどうなるのか、いう話もさせて貰いました。ややこしい話ですみません。その評価は以下の2つになります。



①当時の自分が辿り着いた評価は「玉虫色の評価」であり、これは正しい評価からはかけ離れていた。しかし、これは当時の自分の自己認識具合を考えると仕方なかった。また、仮に正しい評価を下せたとしても、それを受け入れられるような状態では到底無かった。



②「空手部の3年間の評価」に挑戦する意欲自体はとても素晴らしかった。当時の自分は、1年間のカウンセリングで以下の3つの意欲を得ていた。


・「空手部の3年間を評価してみたい!」という自発性的な意欲


・「安心して素直に書く」という行為への自発的な意欲


・俯瞰的な思考への自発的な意欲


(3つとも生まれて初めて芽生えたモノ)


これら3つの意欲が自分を突き動かし、「空手部の3年間の評価」の原動力となった。ここで自分は生まれて初めて「安心して素直に書く」という行為に目覚め、それはその後も続いていく事となった。




良いですね。素晴らしい。なんか現在の自分(2021年8月)って、このブログの中で事あるごとに過去の自分の行為を褒めていますが、これって現在の自分になかなか良い効果を生んでる感じがしています。「現在の自分」が「過去の自分」を褒める事で、両方の自分が喜んでいる感じがするんですよ。そう、褒められているのは過去の自分ですから、過去の自分が嬉しいのは言うまでもありません。そして、現在の自分は過去の自分と繋がっていますから、過去の自分が褒められると現在の自分も嬉しい。なんか一回の褒めで、過去と現在の自分が両方喜んでくれますから、一石二鳥な感じです。これからも隙あらば過去の自分を褒めていきたいと思います。




さて、話は空手部引退後に戻ります。大学空手部引退後の自分は、この3年間の評価に挑戦したのですが、辿り着いた評価は「玉虫色」でした。それは現在の自分(2021年8月)が思う正しい評価からはかけ離れていたのです。しかし、空手部3年間の評価に挑戦した意欲自体は素晴らしかった、という話でもありました。そんな感じで、空手部引退後の自分は机に向かい、ノートを書きながら3年間の評価を考えていきました。その時期は大学4年生(休学中)の4月頃だったと思います。懐かしいですねぇ。この頃の自分は、夢にまでみた空手部引退が叶えられ、かなりの開放感を感じていたと思います。そう、もはや「殺される」程の恐怖に怯えなくても良いのですからね。当時の自分が感じていた開放感と安堵感は以下の3つになります。



①死の恐怖に怯え続け、永遠に続くと思われた空手部の3年間がようやく終わった。


②空手部の稽古に殺されずに、生きて空手部を引退する事が出来た。


③この3年間、自分の脳内の中心部分には空手部の恐怖が常に居座り続けていた。その空手部の恐怖がようやく無くなった。



懐かしいですねぇ。しかし、その一方で当時の自分があまりにも莫大な虚脱感も感じていたのも事実です。そう、空手部を引退した事で自分はかなりの開放感と安堵感を感じていたのですが、それで鬱の諸症状が改善することは全くありませんでした。自分はこの空手部の3年間で鬱をさらに3倍に悪化させ、以下の11個の諸症状を併発させていました。以下いつものコピペになります。



「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事
⑨慢性的な口内炎
10空手部の稽古中の喘息
11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)



おまけ①:空手部の稽古中の様子

『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)


おまけ②:大学空手部を辞めれなかった理由についてはこちら)



あ、先程「空手部引退後、鬱の諸症状が全く良くならなかった」と書きましたが、改めてコピペを見てみましたら何個かは良くなっていそうです。まず「①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。」は、緩和したような気がします。何故なら空手部自体が生活の中から無くなりましたから、とある練習メニューへの恐怖感も当然無くなったと思うんですよね。ですから、「翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない」という状況は流石に無くなったと思います。




ただね〜、これが厄介なんですが、空手部を引退したにも関わらず、その後も自分の睡眠って超不安定な状態がずっと続いた印象なんですよ。ちょっと生活のリズムが変わっただけで眠れなくなったり、翌日ちょっと緊張する事があるだけで全然眠れなかったり。また、理由もなくなかなか眠れなかったりした事もあったと思います。他にも生活の中でちょっと良い事があると、嬉しくなり過ぎて、眠れない、とか。(これは最近10年くらいの感じですが。)そうそう、思い出してみますと、自分が空手部を引退してから5年後、「尿管結石事件」が発生します。自分はこの事件で更に致命的なメンタルダメージを受ける事になるのですが、この事件の発端って、自分の睡眠が妹の出すドア音に妨害された事ですからね。そう、自分が入眠中に隣に住む妹の出すドア音で起こされる事が頻発したのです。自分はそれに対する怒りと恐怖でどんどん眠れなくなっていきました。尿管結石を引き起こしたこの「睡眠時の恐怖」、これは空手部時代の睡眠時の恐怖が蘇り、さらに強化されたものと考えて良いと思います。そして、その後も睡眠時の恐怖はどんどん悪化していく事とななりました。




確かに空手部を引退した事で、恐怖の直接的な原因は消滅しました。しかし、自分が空手部の3年間で受けた精神的ダメージは致命的でしたからね。最低でも「中指の拷問」2回分の精神的ダメージを受けています。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。) このダメージにより自分の脳の一部は破壊されてしまったような気がするのです。ですから、恐怖の直接的な原因が消滅した後も、睡眠の不安定さはそのまま残ってしまった、そんな感じがします。という訳でこれまで散々貼ってきました「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」 、これを新たに「大学空手部引退後の鬱の諸症状」に修正したいと思います。これまでの①は以下の通りです。



①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。



これを書き直したいと思います。こんな感じですかね。



①大学空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。




うん。良いでしょう!





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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