鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

ハワイに「鬱の廃人」状態で行くとどうなる?(過去編・1998年3月・22歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「新しい大学に入り直したい(過去編・1998年3月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が大学4年生(休学中)の秋頃に他の大学に移りたくなった、という話でした。さて、ここら辺で大学空手部関連の話は一通り終わった感じなのですが、一つだけまだ書いていない話がありますので、それを書かせて貰います。いわば大学空手部「番外編」です。それは大学3年生の夏休みの話になります。当時の自分の状況ですが、その年の4月からカウンセリングを受け始めており、そこで「空手部で副主将になったけど全く副主将らしく振る舞えない辛さ」などを聞いて貰っている状況です。さて、そのような時に家族内で「ハワイ」に行くという話が持ち上がったのです。当時の我が家の状況を説明させて貰います。うちの父親は自分が小学校3年生の時に開業しまして、それ以来うちの母親は12年間くらいずっと父親の事業を手伝っていたんですね。ところがここに来て、もう母親の手伝いは必要ないという状況になりました。それで父親がその母親の長年の苦労を慰労したいと言い出しまして、家族でハワイに行く事になったのです。我が家では初の海外旅行となりました。これだけ聞くと良い話ですが、この12年間、この2人の関係はずっと戦争状態にありました。その原因は12年前の開業にあります。これにより子供である自分の人生が狂っていった事はこれまでにお話している通りです。




では何故に父親が12年目にして急に殊勝な事を言い出したのか、という話になります。実はこの頃くらいからうちの父親はとある整体師と急激に仲良くなっていき、ある種の「洗脳状態」に陥っていたんですよ。それで父親は事業をその整体師と共同で行うと言い出しまして、その流れで母親が事業の手伝いから手を引く事になったのです。たぶん父親は整体師と共同で事業をしていく上で母親の存在が邪魔だったのでしょう。そう、ですから表向きは母親の慰労をする為のハワイ旅行でしたが、そこには「母親を事業から排除したい」という父親の思惑があったのではないかと、自分は考えています。実際、このハワイ旅行から1〜2年後、両親の関係はこの整体師の存在を巡って、過去最悪レベルにまで悪くなりましたからね。





さて、そのような状況の中で我々家族はハワイに旅立ちました。日程は5泊6日くらいだった記憶です。飛行機がハワイに着き、我々家族はハワイの地に降り立ちました。その瞬間自分は「あぁ、空気が爽やか」と思いました。そう、この時のハワイの気温は30度くらいだったと思いますが、とても湿度が低く、じめっと感が全く無かったのです。日本の夏では考えられないくらい空気が乾いていて、暑さが苦じゃないんですね。




その後我々家族はホテルにチェックインし、自分はプールに行った記憶です。父親が奮発したのか、なかなか豪華なホテルでした。それでね〜、ここから我々家族は5泊6日くらいでハワイに滞在したのですが、この間で自分の中に1番強く残っている記憶は、「とにかく心身が辛かった。」なんですよ。そう、とにかく当時の自分は慢性的な疲労感と眠気がエグかったですから、自分の意識は常にそれらから攻撃され続け、肉体的苦痛が半端なかったのです。その状態は特に大学にいる時間が酷かったのですが、このハワイに滞在している間も同じくらい酷かった。つまり、大学にいる時の鬱状況がそのままハワイでも再現されていたのです。当時の自分は11個の鬱の諸症状を併発していたのですが、それがそのままハワイでも起こっていた、という事になります。ではここでいつものコピペを貼らせて貰います。



「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③激しいめまい・離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい
⑨慢性的な口内炎
10空手部の稽古中の喘息
11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。これは「無意識の自傷行為」とも言える。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)



おまけ①:空手部の稽古中の様子

『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)


おまけ②:大学空手部を辞めれなかった理由についてはこちら



おまけ③:自主練翌日の体調

『自主練の翌日の体調は、昨日の疲労感がエグく残っており、身体はとてもダル重く、冷え性も酷くて真夏でも鼻水がズルズルだったのです。もちろん食欲なんて当然ありませんし、背中の疲労感も滅茶苦茶です。背中をナイフで刺され続けているような痛みでしたからね。こんな状態で体力が付いたという実感を得られる訳がありません。』



こんな「鬱の廃人」状態でハワイに行ったって楽しい訳がありません。例えば自分はハワイの街中で銃の試し撃ちが出来る場所に行ったのですが、そこの冷房が寒過ぎて、鼻水がズルズルでした。鼻水ズルズルで頭がボーッとした状態では、銃を撃つのを楽しむどころではありません。また、エアパラグライダー的なのもやってみましたが、慢性的な疲労感と眠気が酷い中では何も楽しくありません。ジェットスキーもやってみましたが、同様です。もう何をしてても「背中をナイフで思い切り刺され続けている」ような痛みが自分の意識を攻撃し続けているのです。それはもはや疲労感ではなく激痛です。ですからその激痛に意識を奪われレジャーどころじゃないんですよ。もちろん食欲も皆無です。父親はいいホテルを取ってくれていましたから、ご飯も良さげなレストランで食べました。ロケーションも内装もとても良かった記憶です。30階建てのホテルの最上階で食べた時は眺めが良かった。しかし、肝心の食欲が皆無なのです。たぶん食欲がある状態で食べれば、かなり美味しい料理だったのでしょう。ところが、食欲が全くありませんから、何を食べても「灰」の味しかしません。よって自分の記憶には何も残っていない。あれは虚しかったですねぇ。




そういえば、自分はハワイに行っても自主練をしていました。自分はハワイに行っても空手部の死の恐怖に怯え、「体力を付けよう」と考えたのです。それでハワイのホテルの周りを走った記憶があります。しかし、ここでも「目指す目的とは真逆の効果」が発生してしまいました。自主練の翌日、ホテルのベッドで目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛です。そう、折角のハワイでも自分は「無意識の自傷行為」を続けていたのです。こんな状態ですから、ハワイの街中を歩いていても、身体が辛くて辛くて仕方ないですし、ついでに酷いめまいも起きていた記憶です。




ですから、このハワイ滞在の5泊6日の間で自分の中に楽しい記憶は何も残っていません。自分の意識は常に背中の激痛や冷え性に占領されて続けているのです。こんな状態では、何をやっても楽しいはずがありません。かくして、自分は折角ハワイに行ったものの、何一つ楽しむ事なく、ただただ酷い疲労感と眠気と冷え性とめまいを味わっただけで、家に帰ってくる事になったのでした。唯一残っているポジティブな思い出は、「ハワイの空気は湿気が少ないので、暑いけど不快じゃない」だけです。





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