鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

「鬱の廃人」状態でファミレスバイト(過去編・1998年6月・22歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「ファミレスバイト開始(過去編・1998年3月・22歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が大学4年生の6月頃頃にロックダンス教室を辞め、その直後からファミレスでバイトを始めたという話でした。懐かしいですねぇ。そして、自分が雇ってもらったファミレスは新規オープンのお店でして、まだ店内が未完成だったのです。そこで我々バイト10人くらいはそのファミレスの別のチェーン店に移動し、そこで研修を受ける事になりました。自分は厨房の中の中華料理の担当になりまして、ラーメンの作り方やスープの作り方など教えて貰いました。自分はそれまで料理の経験が皆無でしたが、そんな自分でも作れるようなシステムになっており、手順を覚えて一通り作れるようになっていた記憶です。そう、下ごしらえの仕方や味付けの仕方、盛り付けの仕方も教わりましたね。それで次は実戦という事で、その別のチェーン店で実際に手伝いとして働かせて貰いました。そんな感じで研修は1ヶ月くらいで終わり、いよいよ、本来働く予定の店舗が出来上がり、新規オープンとなりました。



新規オープンは初日からお客さんの数が半端なかった記憶です。なんせそのファミレスが入っているスーパー自体が新規オープンだったのです。まだ研修を1ヶ月受けたばかりの新人がその殺到する注文を捌けるはずはなく、そのファミレスの社員さんが厨房の中華料理担当を仕切っていまして、自分はその人のお手伝いという形で1〜2ヶ月働いていた記憶です。その1〜2ヶ月間の詳しい記憶なんですが、ほとんど残ってないんですよね〜。まぁとにかく忙しかったな、くらい。あとその社員さんが自分より3歳くらい年上の男性の方だったのですが、その方が優しくて助かったな、って思い出もありますね。



さて、その後その社員の方は現場監督みたいなポジションで一歩引いた立場になりました。そして、我々バイトが厨房を取り仕切る事になったのです。それでね〜、自分は中華料理担当として、一応一生懸命働いてはいました。ただね、いつもの話になります。この時の自分は「鬱の廃人」状態です。以下の9つの鬱の諸症状を併発しています。いつものコピペになります。


「大学空手部引退後の9個の鬱の諸症状」

①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)

②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事
⑧慢性的な口内炎
⑨ 空手部を引退後も自分は以下の2つの理由でトレーニングを続けてしまった。


❶大学空手部を引退した事で自分の心の中にかなりの開放感が発生。その開放感の理由は以下の3つ。


⑴死の恐怖に怯え続け、永遠に続くと思われた空手部の3年間がようやく終わった。


⑵空手部の稽古に殺されずに、生きて空手部を引退する事が出来た。


⑶この3年間、自分の脳内の中心部分には空手部の恐怖が常に居座り続けていた。その空手部の恐怖がようやく無くなった。


上記の開放感により、「空手部の恐怖」が無い状態での「自主練」をやってみたくなってしまった。



❷空手部を引退した事で自分の心の中に以下のような思いが発生した。


「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」

この体力を生かすべく自主練を続けていった。(しかし、実際には空手部の3年間で体力は全く付いていなかったし、それどころか鬱は3倍に悪化していた。)


そして、空手部の頃と同様にトレーニングをしてもその翌日に体調が滅茶苦茶に崩れてしまうだけで、一向に体力が増える実感が得られない。翌日の体調は、冷え性が酷く鼻水ダラダラで、身体はダルくて重くて仕方ない。トレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度。頻度は週3回。)




上記の「鬱の廃人」状態で働くのはまぁキツかった記憶です。一番印象に残っているのは「めまい」ですね。自分は激しいめまいに襲われる中でお皿を運んでいたのです。幸い割るような事態は起こりませんでしたが、頭フラフラの状態で何枚ものお皿を運ぶのですから、危ないったらありゃしない。そして、慢性的な疲労感もまぁエグかった。自分はこの時も懲りずにトレーニングをしていましたから、トレーニングの翌日の体調はまぁ滅茶苦茶です。翌日の体調は、冷え性が酷く鼻水ダラダラで、身体はダルくて重くて仕方ない。こんな状態でバイトに入ると背中の疲労感がまぁ酷く、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」なのです。背中の痛みが辛くて辛くて仕方ない。自分の意識はその辛さに占領されていますから、思考能力や集中力もボロボロです。自分はバイトをやり始めた当初、中華料理の作り方を教わったのですが、それから1〜2ヶ月も経ちますと洋食の作り方やデザートの作り方も覚えなければなりませんでした。そう、中華料理以外にも色々と追加で覚えなければならなかったのです。しかし、自分は思考能力や集中力がボロボロですから、それらの作り方を教えて貰ってもそれらの知識が全然頭の中に入ってこないんですよ。すると、徐々にお店の中で「こいつ使えねぇ奴だな」的な視線を感じるようになっていった記憶です。



あと、働いてる時の体調で言いますと、「冷え性」も酷かったですね。もう自分の体温調節は壊れまくっていましたから、汗が全然上手く出ないんですよ。自分が担当していた中華料理の厨房は、麺茹で機がありますから、常にお湯が煮立っていて、その湯気で基本いつも暑いんですね。しかし、一方では夏になると厨房にクーラーも入っていました。それで自分は冷え性が酷いですから、その状況が暑いのか寒いのかよく分からない感じでした。クーラーで滅茶苦茶寒いんだか、湯気の熱気で暑いんだか、もう身体はぐっちゃぐちゃです。完全に体温を感じる機能が馬鹿になっていましたね。



そんな感じで自分は「鬱の廃人」状態で厨房で働き続け、どんどん働くのが辛くなっていきました。体調は上記の通り滅茶苦茶ですし、職場の対人関係もいつもの通りのグダグダです。思考能力と集中力も皆無ですから、仕事のミスも多かったと思います。次回の記事では、ファミレスバイト中のミスについて書いていきたいと思います。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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