鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

カウンセリング初回で大号泣②(過去編・1998年11月・22歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「カウンセリング初回で大号泣(過去編・1998年11月・22歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が高校時代に周りとコミュニケーションが取れなかった理由についてまとめてみました。改めてこの話を振り返っていきます。途中まで前回の記事とほぼほぼ同じ内容になります。まず、コミュニケーションが取れなかった理由は以下の3つになります。



① 精神年齢の成長が小学校3年生で止まってしまっていた。これが原因で周りの空気が全く読めず、小、中、高と様々な失言、暴言事件が発生。これにより自分は喋る事に対する自信をどんどん失っていった。



② 小学校3年生以降日々の出来事や感情を一切言語化しなくなった。(この場合の「言語化」とは、「喋る事」もしくは「書く事」を指す。)これにより、自分は自分自身がどういう人間なのか全く分からなくなっていった。ですから、周りに対して自分という人間を表現する事が全く出来ない。また、自分の事を全く分かっていないので、他人に対する興味も皆無。こんな人間が周りとコミュニケーションを取れるはずがない。



③ 自分は高校1年生で鬱を発症し、以下の4つの諸症状を併発していた。


「高校時代の4つの鬱の諸症状」

❶食欲の完全消失

❷日曜夜ごとの激しい喘息

❸慢性的な疲労感と眠気

❹学校生活中の激しいめまい



自分の高校生活は常に上記の4つに攻撃され続け、辛くて仕方がない状態。特に背中の疲労感が酷く、このせいで自分は常に悲しい気分で日々をを送っていた。こんな状態で他人と積極的にコミュニケーションを取る気になる訳がない。



上記の理由で自分は全く周りのクラスメートとコミュニケーションが取れないまま、高校3年間を過ごす事となったのです。高校3年生になった自分はその事にかなりの虚しさを感じていました。そこで次の大学生活では、この二の舞は演じたくないと思ったのです。その為には、「自分に自信を付けて、コミュニケーション能力を改善させるしかない」と思ったのです。そこで、これまで避けていた運動系の部活に入り、自分を鍛えようと思いました。


そして、自分は大学入試に合格し、空手部に入部。ここからの悲劇はこれまでこのブログに書いてきています。自分はこの空手部の3年間で鬱を3倍に悪化させ、以下の11の諸症状を併発するに至りました。


「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その「殺される」程の恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③激しいめまい・離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をドライバーで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい
⑨慢性的な口内炎
10空手部の稽古中の喘息
11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。これは「無意識の自傷行為」とも言える。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)



おまけ①:空手部の稽古中の様子

『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)


おまけ②:大学空手部を辞めれなかった理由についてはこちら




上記の鬱状態に至った時期は、大学2年生の夏頃です。加えて同時期に、自分は大学生活においても人間関係を作れず、完全孤立状態に陥っていました。そして、大学3年生になった自分は、大学内のカウンセリングセンターの存在を知り、そこに駆け込んだのです。この時の話はこれまで何回も書いていますが、改めて書かせて貰います。カウンセリング初回の話になります。



自分がカウンセリングルームに通され、ソファに座って待っていますと、カウンセラーの先生が現れ、自分の前に座りました。カウンセラーの先生は年齢が当時30代くらいの女性の先生です。そして、先生は柔らかな微笑みを浮かべながら「今日はどうしました??」と尋ねてきたのです。自分はその優しい問いを聞いた途端、涙が一気に溢れ出し、止まらなくなってしまいました。「うわぁ〜〜〜〜〜〜ん!!」って感じの大号泣。そこから涙と嗚咽と鼻水が止まりません。




そう、それまでの21年間の人生において自分の心の中に溜まりに溜まった孤独感・恐怖感・無力感・虚無感・疲労感・絶望感などが一気に涙となって外に噴出した感じです。また、それらに加えて、自分はここまでの空手部の2年間で少なくとも「中指の拷問」2回分の精神的苦痛も受けています。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)その精神的苦痛による号泣という面もあったと思います。そんな感じで自分は子供のように泣きじゃくっていた記憶です。先生がティッシュ箱を用意し、自分の膝元に置いてくれたのを覚えています。そして、号泣は30分経っても1時間経っても止まりません。自分はなんとか先生の問いに答えようとするのですが、言葉が全然出てこないのです。そして、言葉らしきものが見つかったとしてもそれより先に涙が出てしまう状況でした。



そして、カウンセリング開始から1時間半が経過。自分は相変わらず言葉より先に涙が出てしまい、全く何も喋れていません。もうなんか自分の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃでしたね。カウンセラーのS先生は、優しげにこう言いました。


「とりあえず今日はここまでにしましょう。2〜3日後また来れますか??」


それを聞いた自分は泣き止み、次の予約を2日後くらいに設定し、S先生に見送られながら、カウンセリングセンターを後にしたのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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