鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

鬱の諸症状の辛さも1/20しか表現出来ない(過去編・1998年11月・22歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「空手部引退の喜びも1/20しか表現出来ない(過去編・1998年11月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が大学空手部を引退したものの、その喜びをカウンセラーの先生とほとんど共有出来なかったっぽい、という話でした。いや〜、当時の自分は空手部を引退した事でかなりの開放感と安堵感を感じていた記憶ですが、それをS先生とほとんど共有出来ていなかったとは。これは悲しいものがあります。結局自分は空手部の引退の喜びをS先生と1/20くらいしか共有する事が出来ていませんでした。そして、人間サンドバッグにまつわる死の恐怖もほとんど共有出来ていなかったのです。なるほど〜。しかし、別にこれはS先生のカウンセリング能力に問題があるという話ではありません。全ての原因は、自分です。




そう、当時の自分の21年間分の記憶は「超カオス状態」に陥っていました。自分は小学校3年生以降日々の出来事や感情を全く言語化せずに生きてきましたからね。(この場合の「言語化」とは、「喋る事」もしくは「書く事」を指しています。)それにより、全ての経験や感情は整理整頓も消化も一切されず、ぐちゃぐちゃのまま記憶の海の底に沈んで行く事になったのです。そして、沈んで行った記憶はそこで他の記憶と混ざり合い、さらにカオス化が進んでいきました。これにより自分は過去の記憶を思い出す事がとても困難な状態に陥っていたのです。




直近の大学空手部3年間の記憶は、もっと酷い有様です。そう、空手部の記憶もこれまで同様全く言語化されていません。ですから全く整理整頓されず、消化もされず、他の記憶とぐちゃぐちゃに混ざり合っていました。さらにこの3年間の記憶は、思い出すのもおぞましい、トラウマ中のトラウマです。なんせ最低でも「中指の拷問」2回分の精神的ダメージを受けているのですから。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)という事は、この空手部の3年間の記憶って、ぐちゃぐちゃに混ざり合っている上に、トラウマ中のトラウマなのです。これは「超カオス状態」と言って良いと思います。こんな厄介過ぎる記憶を当時の自分が言語化出来るはずがありません。そう、あの時の自分はカウンセリングを受け始めてからまだ日が浅く、お喋りのスキルは乳幼児並みに拙かったですからね。ですから、自分は空手部の恐怖に関しても、引退の喜びに関しても1/20くらいしかカウンセリングで表現出来なかったのです。




こうやって思い出してみますと、やはり悲しいものがありますねぇ。何故かと言いますと、自分がカウンセリングを受け始めた際、自分が何より苦しんでいたのが、この空手部の恐怖なのです。そう、自分はそれまでの2年間空手部の死の恐怖に怯え続け、それにより鬱が悪化し、「鬱の廃人」状態に陥っていました。当時の自分の苦しさの大半はこの空手部に対する恐怖感に起因していたのです。もちろん、自分はカウンセリングを受け始めた当初、自分が副主将らしく全く振る舞えない事に悩んではいました。自分は後輩達と何を喋れば良いのか全く分からなくなっていましたからね。しかし、今から思うと、それは表層的な悩みだったと思います。それよりもなによりも自分にとっては、やはりこの空手部の「死の恐怖」こそが苦しみの元凶だったのです。この恐怖と2年間戦ってきた結果、自分は鬱を3倍に悪化させ、「鬱の廃人」状態に陥っていたのですからね。大学2年生の夏頃には、自分は以下の11の諸症状を併発していました。いつものコピペになります。


「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その「殺される」程の恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③激しいめまい・離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい
⑨慢性的な口内炎
10空手部の稽古中の喘息
11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。これは「無意識の自傷行為」とも言える。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)



おまけ①:空手部の稽古中の様子

『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)


おまけ②:大学空手部を辞めれなかった理由についてはこちら


おまけ③:自主練翌日の体調

『自主練の翌日の体調は、昨日の疲労感がエグく残っており、身体はとてもダル重く、冷え性も酷くて真夏でも鼻水がズルズルだったのです。もちろん食欲なんて当然ありませんし、背中の疲労感も滅茶苦茶です。背中をナイフで刺され続けているような痛みでしたからね。こんな状態で体力が付いたという実感を得られる訳がありません。』




しかし、悲しい事に当時の自分は上記の諸症状をほとんど認識出来ていません。認識出来ていたのは、


③激しいめまい・離人


⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい


くらいです。他は全く認識出来ていません。ですから、当時の自分はS先生に上記の諸症状の辛さをほとんど説明出来ていなかった、という事になります。これじゃ、当時の自分の辛さがS先生に伝わるはずがありません。そう、ですから自分がS先生に説明出来たのは、副主将問題を始めとする対人関係の悩みだけで、当時の苦しみの元凶である所の「鬱の諸症状の辛さ」や「空手部の死の恐怖」については、ほとんど説明出来ていなかった、という事になります。う〜ん、悲しい。




ただし、当時の自分にとってはカウンセリングで対人関係の悩みを喋れるようになったただけでも素晴らしい進歩だったとは思います。自分はそれまでの21年間全く自己表現や自己開示をして来ていませんでしたから、それと比べれば格段の進歩です。しかし、その対人関係の悩みは自分がそれまでの21年間で抱え込んだ膨大な闇に比べれば表層的だったと思います。そして、当時の拙い自己表現能力では、その膨大な闇に切り込む事はとても不可能な事だったのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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