鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

2つ目の大学に入り直すも、3ヶ月後には大学内で孤立(過去編・1999年3月・23歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「カウンセリングを卒業?(過去編・1999年3月・23歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が1つ目の大学でカウンセリングを終えた時の話でした。自分はこの大学で2年間カウンセリングを受け続けていましたが、大学4年生の3月でこの大学を中退する事となりました。と同時に、このカウンセリングセンターともお別れとなったのでした。当時の自分は「これでもうカウンセリングは卒業かな。もう自分にはカウンセリングは必要ないかな。」と思っていましたね。そして、新しい大学での大学生活に希望を感じていました。その時の気持ちはこんな感じです。


「自分は空手部の3年間でかなりの体力が付いたはず。新しい大学ではその体力を活かして、今度こそは楽しい学校生活を送ってみたい!!」


ま、当時の自分が感じていた体力は、「虚構の体力」なんですけどね。実際の自分の健康状態は「鬱の廃人」状態だった訳ですから。以下いつものコピペになります。



「大学空手部引退後の9個の鬱の諸症状」


①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)

②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事
⑧慢性的な口内炎
⑨ 空手部を引退後も自分は以下の2つの理由でトレーニングを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)


❶大学空手部を引退した事で自分の心の中にかなりの開放感が発生。その開放感の理由は以下の3つ。


⑴死の恐怖に怯え続け、永遠に続くと思われた空手部の3年間がようやく終わった。


⑵空手部の稽古に殺されずに、生きて空手部を引退する事が出来た。


⑶この3年間、自分の脳内の中心部分には空手部の恐怖が常に居座り続けていた。その空手部の恐怖がようやく無くなった。


上記の開放感により、「空手部の恐怖」が無い状態での「自主練」をやってみたくなってしまった。



❷空手部を引退した事で自分の心の中に以下のような思いが発生した。


「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」

この体力を生かすべく自主練を続けていった。(しかし、実際には空手部の3年間で体力は全く付いていなかったし、それどころか鬱は3倍に悪化していた。)


そして、空手部の頃と同様にトレーニングをしても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。



おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調


『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』



さて、そんな感じで自分は、1つ目の大学を中退し、2つ目の大学に入学する事となりました。ここで新たな大学生活をやり直すのです。その時期は、1999年4月です。年齢は23歳。う〜ん、懐かしい。2つ目の大学の入学式には母親が来てくれたのを覚えています。ただまぁこの入学式の時にも背中の疲労感が相変わらず酷く、身体が疲れ切った中での入学式でしたね。そして、自分はまだ母親にはそんなにムカついてはおらず、入学式後大学近くで2人でご飯を食べた記憶があります。



ここから2回目の大学生活が始まったのですが、結論を先に言いますと結局どこ行っても同じなんですよ。自分は新しい大学の新しいクラスで人間関係を作ろうとしましたが、全く馴染めず、どんどん浮いていく事になりました。最初は頑張って、今で言う「陽キャ」のグループに潜り込んだのですが、すぐに彼らのエネルギーや元気な様子に着いていけなくなりました。自分は彼らの会話にまるでついていけません。そりゃそうですよ。自分は上記の通りの「鬱の廃人」です。背中の激痛と鼻水ズルズルのせいで、頭の中が常にボーッとしている状態ですからね。そんな状態で彼らの元気な会話に入っていけるはずがない。加えて、自分は精神年齢の成長が小学校3年生で止まっていました。自分は人生経験を何も積み重ねないまま、23歳になっていたのです。そんな人間が周りの学生と人間関係を作れるはずがありません。自分は自分自身の事を全く上手く表現出来ませんし、他人への興味もとても薄い状態でした。まとめますと、自分は以下の2つの理由で周りとのコミュニケーションが不可能な状態だったのです。



①身体が「鬱の廃人」状態に陥っていて、その肉体的苦痛で常に頭がボーッとしている。会話に集中するのが無理な状態。


②精神年齢の成長が小学校3年生で止まっているので、自分自身の事を全く上手く表現出来ない。そして、他人への興味も薄い。



う〜ん、詰んでますね。ですから、自分は大学生活をやり直したものの、どこに行っても人間関係で挫折してしまうのです。先程書きましたように大学のクラスがそうでしたし、入学直後に入った手品サークルでも全く同じ事が起こりました。そう、自分は空手部の3年間で体力が付いたと思い込んでいましたから、その体力を活かそうと手品サークルに入ったのです。手品サークルなら空手部のような体力的に追い込まれるような練習はないでしょうからね。そして、幼い頃から手品は好きでしたし、手品を身に付ければ、自分のコミュニケーション能力が少しは上がるかも、という期待がありました。そして、入ってみますと確かに手品サークルにはそのような体力的に厳しい練習はありませんでした。




ところが、自分はそこでも人間関係を作る事が全く出来ません。この手品サークルは空手部に比べれば、全然気軽で楽しい雰囲気でした。しかし、皮肉な事に自分にとってはそういう雰囲気の方が逆に辛かったのです。そう、コミュニケーション能力皆無の自分にとっては、皆んなでワイワイガヤガヤ雑談みたいな時間が延々と続く事がホントに地獄でした。自分はそういう時に周りと何を喋っていいのか、まるで分からず、あわあわあわあわ赤面してしまい、汗びっしょりです。頭の中が真っ白でテンパリまくってしまうのです。それでも頑張って喋ってみるのですが、喋ったら喋ったで、場の空気に全く馴染めていない感じでした。かと言って、会話について行けず黙ってい続けるのもとても辛いのです。なんかこう会話の中に入れなければ、入れないで、どんどん疎外感みたいな感覚が湧き出てきまして、それに自分が押しつぶされそうになるのです。もうホント詰んでましたね。これなら空手部の稽古の方が精神的には楽なくらいです。空手部の稽古中はお喋りするような時間は皆無でしたからね。




さらにこの手品サークルでさらに厄介だったのが、習得した手品を皆んなに披露する場面です。手品サークルですから、練習した後には必ずそのような場がありました。しかし、先程書きましたように、自分は通常時のコミュニケーションすらテンパリまくっています。そんな自分が4〜5人の前で手品を披露するなんて、無理ゲーだったのです。自分はみんなの前に立つと、ますます頭の中がテンパリまくりの、赤面しまくりです。さらに、これは後々分かったのですが、この手品サークルは手品コンクールの入賞を狙っているガチの手品サークルだったんですよ。ですから、上達してくると正装して大きなステージ上での本格的なマジックもやっていたんですね。手から鳩を出すとか、ステッキを出すとか本格的なマジックです。自分にとっては4〜5人の前での手品ですら無理ゲーなのに、ステージ上でそれを披露なんて、無理ゲー過ぎる領域です。自分はその精神的辛さで気絶してしまうかもしれません。かくして、自分はこの手品サークルを3ヶ月後にはフェードアウトしていました。




ですから自分は希望に燃えて2つ目の大学に入学したものの、その3ヶ月後には早くも大学内で孤立していた印象です。その頃にはクラスの人間関係から脱落し、手品サークルもフェードアウトしてしまいました。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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