鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

被害妄想的な嘲笑感(過去編・1999年10月・23歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「ファミレスでも被害妄想爆発(過去編・1999年10月・23歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分がタップダンス教室の練習生とファミレスに行った時の話でした。時期は2つ目の大学に通い始めて5ヶ月目くらいです。年齢は23歳。そう、自分はこの時も周りの練習生達10人くらいと全くコミュニケーションを取る事が出来ませんでした。彼らの会話に入る事が全く出来ませんでしたし、かと言って話をただ聞いているだけなのもかなりの精神的苦痛でした。そう、周りの練習生達が会話に入れない自分を嘲笑しているような、そんな気持ちになってしまうのです。被害妄想的な嘲笑感ですね。あれはホントにいたたまれなかった。その間、自分は引きつり笑いを浮かべながら、周りの話を聞いている風を装っていました。しかし、身体からは冷や汗がダラダラ出ていた記憶です。




そんな感じで自分はファミレスで神経をかなり消耗し、疲労困憊状態に陥った記憶です。その後公民館でリハーサルが行われ、いよいよ発表会の本番が始まりました。自分はそこでタップダンスをする事で肉体的にも消耗していきました。加えて、前々回の記事でお話ししました、楽屋での精神的消耗です。そう、自分は楽屋での待ち時間にも周りに喋れるような友達がおらず、かなり居心地の悪い状態にあったのです。楽屋には同年代の女の子が20人男の子が10人くらいいた記憶です。自分の周りでは練習生の女の子達が和気藹々と喋りながら、待ち時間を過ごしているのですが、自分は当然その中に入る事なんて出来ません。だって当時の自分は異性どころか同性とのコミュニケーションすら不可能になっていましたからね。ですから、自分は最初の方は発表会のパンフレットを読んだりして、なんとか喋り相手がいない事を誤魔化していました。ただそれも2〜3時間で限界です。そして、その公民館の中には人気の無い場所がありませんでしたから、そういう場所に一人で逃げ込む事も出来なかったのです。あの頃スマホガラケーを持っていれば、一人でいてももう少し体裁が保てたかもしれませんが、あの頃の自分はそういうのも持っていませんでした。




このような状態に追い討ちをかけるかのように、先程の食事会での消耗がありました。さらに発表会のリハーサルや本番でのダンスでの体力的消耗もありました。そして、忘れてはいけないのは、この時の自分は「鬱の廃人」状態にあったという事です。自分は以下の9つの諸症状を併発している状態でした。




「大学空手部引退後の9個の鬱の諸症状」


①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)

②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事
⑧慢性的な口内炎
⑨ 空手部を引退後も自分は以下の2つの理由でトレーニングを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)


❶大学空手部を引退した事で自分の心の中にかなりの開放感が発生。その開放感の理由は以下の3つ。


⑴死の恐怖に怯え続け、永遠に続くと思われた空手部の3年間がようやく終わった。


⑵空手部の稽古に殺されずに、生きて空手部を引退する事が出来た。


⑶この3年間、自分の脳内の中心部分には空手部の恐怖が常に居座り続けていた。その空手部の恐怖がようやく無くなった。


上記の開放感により、「空手部の恐怖」が無い状態での「トレーニング」をやってみたくなってしまった。



❷空手部を引退した事で自分の心の中に以下のような思いが発生した。


「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」


この体力を生かすべくトレーニングを続けていった。(しかし、実際には空手部の3年間で体力は全く付いていなかったし、それどころか鬱は3倍に悪化していた。)


しかし、空手部の頃と同様にトレーニングを積み重ねても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。体調が少し回復すると、またトレーニングをしてしまう。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。



おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調


『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』




このように自分はそもそも「鬱の廃人」状態だったのです。ですから、この発表会本番でも背中の慢性的な疲労感が発生しており、それは疲労感というより激痛でした。そして、酷い冷え性で鼻水はダラダラ、頭の中はめまいでフラフラです。この状態にさらに発表会での肉体的消耗やファミレスでの神経的な消耗が加わっていきました。さらに楽屋に帰っくると、ここでも自分の心の中に「被害妄想的な嘲笑感」が再び発生していました。ここでも自分は周りの女の子達に嘲笑されているような気持ちになってしまい、辛くて仕方ありません。




こうなるともう自分の頭は意識朦朧としていて、楽屋の椅子に座っているのすら辛過ぎました。自分はもはや体裁を考える余裕などなくなり、楽屋の床に身体を横たえるしかなくなってしまったのです。あれは悲しいやら恥ずかしいやら惨めやらでしたね。女の子達が和気藹々としている楽屋で一人だけ床に寝転がっているのですから。女の子一人が「大丈夫ですか??」と声を掛けてくれた記憶もあります。自分は「大丈夫です」と答えましたが、あれは自尊心がさらに破壊されるような感じがありました。




そして、発表会の本番は進んでいき、ようやく発表会が終わりました。そして、片付けも終わり、解散となりましたので、自分は脱兎の如くそこから一人で逃げ出してきたのでした。自分の心の中は「ようやくこれでタップダンス教室が終わった!!」という開放感がありました。しかし、一方ではすごくみじめで虚しくて悲しい気持ちにもなっていた記憶です。なんかこう自分の心が地べたに叩きつけられた感じでしたね。さらに肉体的には背中に「ナイフで思い切り刺され続けているような激痛」が発生していましたし、冷え性で鼻水はズルズルです。さらにめまいで頭の中はフラフラです。まぁもう満身創痍の状態で、家路に着いたのでした。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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