鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

「被害妄想的な嘲笑感」と「背中の慢性的な疲労感(痛み)」(過去編・1992年4月・16歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 高校時代の「被害妄想的な嘲笑感」(過去編・1999年10月・23歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が高校時代以来感じてきた「被害妄想的な嘲笑感」について思い出してみました。この被害妄想の記憶で最も古い記憶は高校1年生の時のモノです。自分は高校に入学し、吹奏楽部に入部しました。その際に所属パートの先輩達が我々新入生2人の為に歓迎会を開いてくれたんですよ。しかし、自分はその歓談の席で先輩達5〜6人の会話に入る事が全く出来ません。出来ないなら出来ないで、大人しく先輩達の会話を聞いていれば良い話ですが、当時の自分はそういう状態が辛くて仕方なかったのです。そう、周りの先輩達が会話に入れない自分の事を嘲笑しているのではないか、という被害妄想が自分の中に発生してしまうのです。その被害妄想はどんどん大きくなっていき、その精神的苦痛はどんどん酷くなっていきました。そして、歓迎会が始まってから40〜50分後、自分はその精神的苦痛にとうとう耐えかね、嘘を言って歓迎会から脱兎の如く逃げ帰ってきたのでした。




その帰り道、自分の心の中には「先輩達に申し訳ない事をした」という申し訳なさが発生していました。折角先輩達が我々の為に開いてくれた歓迎会から逃げ帰ってきてしまったのですからね。さらに自分の心の中にはこのような不安も発生していました。


「今回の件で先輩達が自分の事を軽蔑し、そのうち意地悪やいじめの対象になるのではないだろうか?」


う〜ん、冷静に考えればわざわざ歓迎会を開いてくれる程の優しい先輩達がそんな事をするはずないのですが、当時の自分はそのような思考に囚われていたのです。当時の自分は物事を何でも悪い方向に考える癖がありました。自分が何かミスを起こしてしまうと、すぐにそれが嘲笑やいじめの対象になる可能性を考えてしまうのです。なんというかすぐに「最悪」のパターンを考えてしまう、思考の癖がありました。



この思考のパターンは特に以下のシチュエーションにおいて、より発生しがちだった記憶です。


「背中の慢性的な疲労感が酷い時」


そう、自分は物心ついた時から喘息に苦しみ続けていたのですが、その弊害で背中に慢性的な疲労感が発生していました。それは年齢を重ねるごとに酷くなっていき、中学時代の時点で「疲労感」ではなく「痛み」に変化していた記憶です。そして、この背中の慢性的な痛みが強くなりますと、その肉体的苦痛によって精神が消耗して行きます。そうなると、自分の思考は「最悪」の方向に行きがちでした。そして、自分はたぶんこの歓迎会の日にも背中に慢性的な痛みを感じていたと思います。ですから、歓迎会中に精神が消耗し、「被害妄想的な嘲笑感」が発生し、自分はそこから逃げ出さざるを得なかったのです。



ホントこの「被害妄想的な嘲笑感」と「背中の慢性的な疲労感」は、ワンセットな印象です。「背中の慢性的な疲労感」が酷くなればなる程、「被害妄想的な嘲笑感」が発動し易い感じです。先程、当時の自分はすぐに物事を最悪の方向に考える癖があったと書きました。その癖が「被害妄想的な嘲笑感」を生んでいたのは間違いないところだと思います。ではどうして当時の自分は物事を最悪の方向に考えがちだったのでしょう。次回の記事はそこら辺を考えてみたいと思います。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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