鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

喘息の原因は、幼い頃に自己表現を諦めた事(過去編・1979年・3歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「歓迎会で「被害妄想」を発症した3つの理由(過去編・1992年4月・16歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が高校1年生の時に発生させた「被害妄想的な嘲笑感」について考えてみました。自分は高校入学直後、「歓迎会逃亡事件」を起こしまして、そこで「被害妄想的な嘲笑感」を発生させる事になりました。(「歓迎会逃亡事件」の概要はこちらです。)この「被害妄想的な嘲笑感」が発生した要因は以下の3つになります。



①自分は幼い頃より喘息に苦しんでいて、その弊害で背中に慢性的な疲労感を感じていた。その疲労感は学年が進むにつれ悪化していき、高校時代には「痛み」に変化していた。この「背中の慢性的な痛み」は、自分から集中力や意欲を根こそぎ奪っていき、「自信」をも奪っていった。これにより、自分の自信は完全にゼロになり、さらにマイナス状態へ突入。「周りが自分の事を馬鹿にしている」という被害妄想が発生する事となった。




②当時の自分は1対1の同性との会話さえ難しくなっていた。ところがこの歓迎会は男2人と女の子4人の状況。自分にとっては同性との1対1の会話でさえ難し過ぎるのに、さらに女の子が4人もいる状況なんて無理ゲーにも程がある。その状況に自分は絶望感を感じていた。



③自分が育った家庭環境は長年に渡って両親の戦争状態が続き、荒廃し切っていた。対してこの歓迎会の雰囲気はとても和やかで穏やか。当時の自分は歓迎会の雰囲気に面食らい、かなりの居心地の悪さを感じた。




この3個の要因の中で最も大きかった要因が①「背中の慢性的な疲労感(痛み)」です。この「背中の慢性的な疲労感(痛み)」は幼い頃より自分を苦しませており、学年が進んでいくにつれ、どんどん酷くなっていきました。高校時代になると、それは自分から集中力や意欲といったポジティブなエネルギーを根こそぎ奪い取っていったのです。奪い取っていったのはそれだけではありません。自分から「自信」をも奪い取っていきました。




この背中の慢性的な痛みにより自分の「自信」は奪われ続け、ゼロ以下の大幅なマイナス状態に突入していました。これにより自分は何もかもが不安で仕方なくなりました。そして、何もかもが自分に悪意を持っていて、何もかもが自分を攻撃してくるように感じてしまうようになっていました。それで発生したのが、「被害妄想的な嘲笑感」です。この歓迎会における自分は「自分が歓迎されている場」にも関わらず、「周りの先輩達が自分の事を嘲笑しているような被害妄想」を発生させていたのです。う〜ん、末期的。ですから、この「被害妄想的な嘲笑感」は、「自分が本来持っていた自信」が学校生活の中でどんどん失われていき、マイナス状態に突入した事で発生したもの、と考える事が出来ます。




「自分が本来持っていた自信」と書きましたが、そもそも自分は幼い頃より自分自身に対して全く自信を持てていなかったと思います。なんせ物心ついた頃から喘息に苦しんでいましたからね。さらに3〜4歳頃に起こったとある事件によって、「自分は自分の感情や欲求を親に一切表現してはいけないのだ」と悟ってしまったのです。これにより自分は全く自己表現をしないまま、成長していく事になりました。そして、親の方もそんな自分に対して興味を向ける事は無かったのです。


(とある事件の詳細は以下の記事に書いてあります。よろしければお読み下さい。


・最も古い記憶

・最も古い記憶②)



このような環境で育った自分は、幼い頃より自分に対する自信が全くありませんでした。それどころか日々の生活の中で漠然とした不安を感じていた記憶です。その不安感を言語化しますと、「自分ははこの家庭にいて良い人間なのか??」という感じです。そう、自分は「自分がこの家庭にいて良いのだ」という確信をまるで持てていなかったのです。自分という存在はこの家庭内でとても不安定な立場にあり、吹けば飛ぶような軽い存在であると感じていた記憶です。自分がどうしてそう感じていたのかと言いますと、それは自分が「自分は自分の感情や欲求を親に一切表現してはいけないのだ」と諦めていたからです。自分の感情や欲求を一切表現出来ない環境下で、自分の存在に自信を持てるはずがありません。もちろん、そんな自分に対して両親が一切無関心だった、という状況もその不安感の大きな要因になっていました。




先程の文の中で、自分は幼い頃より喘息に苦しんでいた、と書きました。現在の自分(2021年9月)は、この幼い頃からの喘息の原因は上記の心理状況にあると考えています。そう、「自分はこの家庭にいて良い人間なのか??」という不安感が、喘息の原因になっていたと思うのです。そして、この不安感の原因ですが、それは幼い自分が「自分は自分の感情や欲求を親に一切表現してはいけないのだ」と諦めていた事にありました。ですから、この「自己表現の諦め」のストレスが喘息の原因になっていたと思います。




そう、幼い自分は「自己表現」を諦めていました。しかし、子供はどうしたって親に甘えたい気持ちがあります。しかも自分の場合は、「自分はこの家庭にいて良い人間なのか??」と不安でしたから、甘えたい気持ちはなおさらあったと思います。しかし、一方では自分は感情や欲求を親に表現する事を諦めていました。母親や父親が自分に構う余裕が全く無い事を察知していたのです。そこで自分の身体が無意識的に「喘息」という病気を作り上げていたのではないかと、思うんですよ。そう、喘息になれば、いつもは無関心な母親も自分の方に関心を向けてくれてくれましたからね。なんというか、「親に甘えたいが、甘えられない」というねじれた状況が喘息という病気を作り上げていた、のではないかと推測します。つまり、自分の喘息は「心因性」の病気だったという事です。



しかし、作り上げたと言ってもその苦しさは本物です。幼い自分はその苦しさで夜一睡も出来ず、なんとか呼吸を吸おうと一晩中背中を大きく動かし、背中の筋肉を酷使し続けました。これが「背中の慢性的な疲労感」の始まりです。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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