鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

挫折経験を誰にも喋れない事で生じる孤独感(過去編・1988年・12歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「中学受験失敗で、虚無感発生(過去編・1988年・12歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事も引き続き、「A先生怒られ事件」について考えてみました。今回の記事でもこの事件を考えてみたいと思います。あの事件は自分が小学校6年生の時に起こった事件ですが、この事件によってかなりの「虚無感」が自分の心の中に発生した感じです。そう、自分は中学受験の塾に入塾しまして、1年半一生懸命勉強し続けました。その結果小学校6年生の夏頃にかなり良い点数を取る事が出来たのです。これにより自分は目標としていた「先生達に褒められたい!!」という思いを達成する事が出来ました。とは言っても、自分が先生達から直接褒められた訳ではありません。自分の通っていた塾はクラス順や席順がテストの点数順で決まるシステムでした。各クラス50人くらいで4クラスって感じでしたかね。自分はそこで1番上のクラスで、前から4番目くらいの席に座る事が出来たのです。つまり200人中4番くらいの点数を取った、という事です。




自分は入塾してからずっと1番上のクラスに憧れていましたし、しかもそのクラスで1番前の列に座っている塾生達を雲の上の存在のように感じ、憧れていました。彼らは全国模試でも常にトップレベルの成績を叩き出しており、「天才」「秀才」という形容詞がぴったり来る塾生達だったのです。彼等は最難関である灘中学を狙えるレベルでした。そして、自分は1年半の勉強の末、ようやく彼らと肩を並べるに至りました。自分は憧れの彼らと肩を並べ、かなり舞い上がったのを覚えています。周りを見渡せば、憧れの「天才」「秀才」達が隣に座っているのですからね。そして、有頂天になった自分は、授業が始まってからもはしゃぎ続けてしまった。しかも、その授業はその塾で最も厳しく恐れられていたA先生の授業でした。




A先生は授業が始まってもはしゃぎ続けている自分を見て「やる気のないやつは出て行け!!」と一喝しました。そりゃそうでしょう。A先生の算数の授業は、常に緊張感漂う、ピリついたものでしたからね。そんな緩んだ態度が許される訳がありません。自分はA先生に怒鳴られ、一気に天国から地獄に落ちて行きました。そして、その精神的ショックで、その後塾に行けなくなってしまったのでした。




自分は1年半の努力の末に、憧れていた席に座る事が出来て有頂天になりました。しかし、その直後「A先生に怒鳴られる」という最も望んでいない事態が起こってしまい、天国から地獄に落ちていきました。この落差はエグいものがありました。しかも、自分はこの事件を親を含め、誰にも喋る事が出来なかったのです。自分は普段両親とは日常の出来事すらまともに喋っていませんでした。自分は幼い頃から両親に対する自己表現を諦めていましたし、両親もまたそんな自分に興味を示さなかったからです。そんな自分が両親にこんな精神的ショックを受けた事件を喋れるはずがありません。だって自分は両親に対して一欠片の信頼も愛着も感じていませんでしたからね。そう、自分の周りには「安心して素直に」喋れる大人が皆無でした。もちろん心を許せる友達がいるはずもありません。




この状況により、この事件は全く言語化されないまま、自分の記憶の海の底に沈んで行く事となりました。そう、この事件の時系列や因果関係は、自分の脳内で全く整理整頓されないままです。と同時に、この事件による「精神的ショック」もまた全く消化されないまま、記憶の海の底に沈んで行く事となったのです。これにより自分の心の中にはかなりの「虚無感」が発生した印象です。そう、まずは有頂天になった直後にA先生に怒鳴られた事自体がショックでした。加えて、こんなショックな事件を一人で抱えなければならない、という状況もかなりキツかった記憶です。要するに「孤独感」ですね。この流れを数式にするとこんな感じです。



「A先生怒られ事件」による精神的ショック+この事件を一人で抱える孤独感=かなりの虚無感




良い式ができました。このように事件後の自分はかなりの虚無感を抱え、もはや何もかもがどうでも良くなっていました。何もかもが虚しく、何もかもが物悲しかったですからね。特に両親に対する諦めは酷くなっていました。すると、事件後の自分に以下の問題行動が続いたのです。



・親の金を盗んでゲームセンター


・親に何も伝えず無断外泊


・本屋で万引き


これらの問題行動の原因は、先程の数式


「A先生怒られ事件」による精神的ショック+この事件を一人で抱える孤独感=かなりの虚無感


にあったと言えます。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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