鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

食欲が消えかかっていた中学時代(過去編・1991年・15歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「ゲームの世界に現実逃避しただけの中学3年間(過去編・1991年・15歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が中学生になった時点でけっこう心を病んでいた、という話でした。「鬱」発症の1歩手前という感じです。中学時代の自分のメンタルヘルスは以下の通りになります。以下の「自己紹介事件」とは自分が中学に入学した時に起こった事件です。



「中学時代(『自己紹介事件』後)のポジティブな感情」



①学校の勉強がまぁまぁ得意



「中学時代(『自己紹介事件』後)のネガティブな感情」


❶家庭内における自分という存在のかなりの不安定さ

❷一晩中続く喘息の苦しさ

❸背中の慢性的な疲労

❹喘息のせいでスポーツが全く出来ず、スポーツ系のクラスメートに引け目を感じる

❺小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」によるかなりの虚無感+この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感

❻中学校入学時の「自己紹介事件」による「やらかした感」と「恐怖感」+ この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感


(❶〜❹は小学校3年生時点ですでに発生)



そして、自分は幼い頃より家庭環境や様々な事件が原因で、どんどんメンタルを病んでいったのですが、その時系列が以下の通りになります。項目後ろの数字はその時のメンタル状態を数値化しています。



3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を言うのを諦める(プラスマイナス0)

(とある事件の概要は こちら)

小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)



小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人(マイナス5)

(詳細はこちら)



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8)
(概要はこちら)




中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)

(概要はこちら)

中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)

(概要はこちら)



このように自分のメンタルは学年が進むにつれて病んで行きました。そして、それと同時並行で喘息も酷くなっていき、背中の慢性的な疲労感も酷くなっていったのです。中学時代に入るとそれは「疲労感」というより「痛み」に変化していました。




また、肉体的な症状で言いますと、中学時代に入ると自分の中の「食欲」も消えつつあった印象です。思い出してみますと、うちの中学校のお昼休みは給食が無かったので、毎朝うちの母親がお弁当を作ってくれていました。自分は中学校の3年間それを食べ続けたのですが、このお弁当を食べて「美味しい」と思った記憶がまるで無いのです。それは別にうちの母親のお弁当が不味かったから、という話ではありません。うちの母親は料理は上手い方だと思いますからね。自分がお昼休みにお腹を空かせてお弁当を食べた記憶も皆無なのです。



そう、ですから自分の食欲は中学校の時点で消えかかっていたような気がします。中学時代の自分はと言えば、現実世界に虚無感を感じており、ゲームの世界に現実逃避していましたからね。そして、その代償として背中の慢性的な疲労感が慢性的な痛みに悪化していました。このような肉体的なダメージが食欲を失わせていた可能性はあると思います。ちなみに自分が通っていた小学校では給食が出ていたのですが、それは美味しく食べていた記憶があります。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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