鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

私立中学受験時の被害妄想(過去編・1988年・12歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「自分に対する自信を失えば失う程、被害妄想が悪化(過去編・1993年・17歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が幼い頃よりどんどんメンタルが悪化していき、それと同時に「被害妄想」も酷くなっていった、という話でした。自分が幼い頃よりどのような流れでメンタルが悪化していったのか、フローチャートで示したいと思います。各項目後ろの数字は、自分のメンタルを数値化してきます。具体的に書きますと、自分の中の「自分に対する自信」を数値化しています。


3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を言うのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)

小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)


小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人(マイナス5)
(詳細はこちら)



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8)
(概要はこちら)



中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)

高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)

高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)



このように自分のメンタル数値は0から始まり、「暴言事件」後にはマイナス16まで下がってしまいました。つまり、「自分に対する自信」は「0」から始まり、「暴言事件」後には「マイナス16」まで減っていったという事になります。そして、マイナスが大きくなればなる程、喘息や体調が悪化していき、同時に「被害妄想」も酷くなっていったのです。



振り返ってみますと、中学1年生の時に発生した「自己紹介事件」。この事件でも「被害妄想」に苦しめられた記憶です。自分は吹奏楽部の自己紹介の際に先輩を揶揄してしまい、大滑りしてしまいました。その後自分は「あの一言で自分は先輩達に目をつけられ、いじめの対象になるのではないか??」と怯えまくる事になったのです。もちろん、自分はこの事件に関しても誰にも相談する事が出来ませんでした。よって、この事件で発生した怯えや恐怖はいつまで経っても減る事なく、自分の記憶の海の底に沈んでいったのでした。



そして、小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」。ここに関しても「被害妄想」は影響していたと思います。事件の概要を書かせて貰います。自分は私立受験の塾に1年半通い続け、ものすごく良い点数を取る事が出来ました。灘中学志望のクラスメートと肩を並べる程の点数です。自分は舞い上がってしまい、授業が始まってからもはしゃいでしまったのです。しかも間の悪い事にその塾で最も厳しく恐れらていたA先生の授業です。A先生はそんな自分に対して「やる気のない奴は出て行け!!」と怒鳴り付け、黒板消しでけっこうな強さで自分の頭を叩いたのでした。怒鳴られた後の自分は天国から地獄に真っ逆さま。頭の中が真っ白になってしまいました。その精神的ショックは凄まじいものがありました。



普段の自分は先生に対して必要以上に従順でしたし、怒られるどころか、注意された事すらない子供でした。常に大人の顔色を伺っている子供だったと思います。そして、自分は「勉強で先生に褒められたい!!」という一心で私立中学受験の塾に入りまして、順調に成績を上げていきました。1年半後ようやく念願叶ってすごく良い成績が取れました。それは灘中学を狙うような生徒と肩を並べるくらいの好成績でした。しかし、そこで有頂天になった直後の「A先生怒られ事件」です。これはホント天国から地獄って感じでした。



その後自分は頭の中が真っ白な状態で塾から帰ってきたのですが、バスから見える風景は全て灰色に見えた記憶です。そして、自分はこの事件を両親を始めたとした誰にも喋る事が出来ませんでした。自分は両親の事を1ミリも信頼していませんでしたし、それどころか両親の事をかなり冷めた目で見ていたからです。当時うちの両親は新規事業と夫婦喧嘩に全てのエネルギーと時間を費やしていまして、その中で自分の事を省みる時間など1日1秒もありませんでした。当時のうちの母親は父親と不毛な夫婦喧嘩を繰り返し、「離婚したい、離婚したい」とよく泣いていたものです。そして、小学校4年生頃の自分はそんな母親の姿をすごく冷めた目で見ていた記憶があります。泣いてる母親を心配する気持ちなどこれっぽっちもありませんでしたね。そんな母親に対してこんなショッキングな事件を喋る気になるはずがありません。もちろん、父親に喋る選択肢も皆無です。



このように自分はこの事件を親を始めとした誰にも喋れませんでした。そして、親や塾の方からもこの件に関するフォローはありません。ですから、事件で出来た心の傷は全く癒える事がありませんでしたし、この事件の時系列や事実関係を心の中で整理する事も全く出来ません。いつまで経ってもこの事件は自分の心の中で痛み続けました。すると、自分の中で「A先生に怒鳴られた事で、自分はA先生から目を付けられてしまったのではないか?」という悪い想像が膨らみ始めたのです。そう、「これから先、自分は事あるごとにA先生から厳しくされ、怒鳴られてしまうのではないか??」という「被害妄想」がどんどん膨らみ始めたのです。とにかくA先生は厳しくて有名な先生でしたから、その先生の記憶に自分が残ってしまった事が恐ろしくて仕方なくなってきたのです。これによより自分はA先生の授業に出れなくなってしまいました。そして、A先生の授業をサボり始めました。1度ついたサボり癖はどんどん広がっていき、1〜2ヶ月後には全ての授業をサボるようになっていました。当然成績は急降下です。結果自分は全ての私立中学に落ちてしまったのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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