鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

自分で作り上げた被害妄想で精神的ダメージを受ける(過去編・1993年・17歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「時間がいくら経っても心の傷が癒えない③(過去編・1993年・17歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、「A先生怒鳴られ事件」後の話を書いてみました。「A先生怒鳴られ事件」とは自分が小学校6年生の時に起こった事件の事です。事件の概要はこちらになります。自分はこの事件によってかなりの精神的ショックを受けたのですが、この事件を誰にも喋る事が出来ませんでした。これにより自分の心の中には、「孤独感」が発生しました。そして、次に「孤独感」と「精神的ショック」が混ざり合い、「被害妄想的な予期不安」が発生しました。この「被害妄想的な予期不安」は具体的には以下の通りです。


「自分は今回の事でA先生を怒らせてしまった。これによりA先生は今後自分の事を目の敵にし、事あるごとに注意されたり、怒鳴られたりするのではないか???」


自分はこの「被害妄想的な予期不安」に怯え、塾に通えなくなってしまいました。そして、成績は急降下し、中学受験に失敗したのです。



以前の記事の中で「A先生怒鳴られ事件」後の自分の心の中には「虚無感」が発生し、それが万引きや親の金を盗むなどの問題行動に繋がったという話をしました。この「虚無感」を分解しますと、先程の「精神的ショック」「孤独感」「被害妄想的な予期不安」になる感じです。数式にするとこんな感じです。


「虚無感」=「精神的ショック」+「孤独感」+「被害妄想的な予期不安」


そして、自分はこの事件を誰にも喋る事が出来ませんでしたから、「精神的ショック」と「孤独感」と「被害妄想的な予期不安」は全く癒される事なく、記憶の海の底に沈んでいく事となったのでした。



さて、話を進めたいと思います。改めて自分が幼い頃よりどのように心を病んでいったのかをフローチャートで示したいと思います。いつものフローチャートですので、御存知の方は飛ばして下さい。各項目後ろの数字は、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。(この数値をメンタル数値と呼んでいます)



3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を言うのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)

小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)


小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人(マイナス5)
(詳細はこちら)



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8) 被害妄想発症
(概要はこちら)



中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)

高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)

高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)



高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス21)
(概要はこちら)

高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス22) 鬱を完全発症
(概要はこちら)



上記のフローチャートを見て思ったのですが、やはり「被害妄想」が自分の精神に与えた悪影響は甚大だったと思います。この「被害妄想」は小6の時の「A先生怒鳴られ事件」で発症して以来、それ以降の全ての事件に絡んできていると言って良いと思います。「被害妄想」が絡んでいると思われる事件を以下に列挙していきたいと思います。


・「A先生怒鳴られ事件」(小学校6年生)

・「自己紹介事件」(中学1年生)

・中学時代の「被害妄想的ないじめの予感」

・「歓迎会逃亡事件」(高校1年生)

・「暴言事件」(高校1年生)

・「寄せ書き事件」(高校1年生)

・「ホルンパートでの自己紹介事件」(高校2年生)



やはり全ての事件に絡んでいます。ちょっとここで考えてみたいのが、「暴言事件」における「被害妄想」です。「暴言事件」とは自分が高校1年生の時に起こった舌禍のことです。事件を端的書きますと、自分が吹奏楽部のA先輩(男)といる時に、ウケ狙いでエグ過ぎる下ネタの暴言を言ってしまい、ドン滑りした、という事件です。事件の概要はこちらになります。この事件によって自分は以下の精神的ダメージを受ける事となりました。これも以前の記事からの引用です。以前からお読みの方はスルーして下さい。




①あの性的暴言によって、A先輩の自分に対する評価がだだ下がりする事が確定的な状況。それまでのA先輩の自分に対する評価は「無口で何考えてるか分からない後輩」だと思われるが、これが「急にエグ過ぎる性的暴言をぶっ込んでくるヤバくて痛い後輩」に急降下する事は確定的。A先輩は部活で副部長を務める部のムードメーカー的な存在だったので、この先輩からの評価が急降下するのは辛過ぎる。しかも自分はこの先輩と毎日のように2人で練習をしていたので、その時間が針のむしろ状態になった。



②あの性的暴言が吹奏楽部の女の子達の間に広まったらと考えると恐ろしくて仕方ない。広まってしまったら、「とても許されない下ネタを言うクソクズ」とのそしりは免れない。


③さらに最悪の最悪なのは、あの性的暴言が、直属のサックスパートの女の子達に伝わる想定。女の子の先輩達3人は常に自分に対して暖かく接してくれていたが、もしあの暴言が伝われば、性犯罪者を見るような目で見られる事は確定的。その想定を考えるとこの世の終わりかと思える程の恐怖に襲われてしまう。また、この暴言はサックスパートの同期の女の子を対象にしていたものだったので、この子に伝わってしまうのも最悪の最悪。この子の心を深く傷付ける事は確定的だし、自分との関係も取り返しのつかない事になる。



④自分の周りには信頼できる大人や友人が皆無だったので、①〜③の苦しみを誰にも喋る事が出来なかった。もちろん「書く」という手段も持ち合わせていない。故に事件の背後にあった、人間関係や事実関係や時系列を全く整理する事が出来ず、いつまで経っても心の中がパニック状態であり続けた。つまり、いつまで経っても事件を「客観視」する事が出来なかった。そして、事件を客観視出来ない状態ではこの事件に対する有効な前後策を考えられるはずもなく、ましてこの事件から反省や学びを得る事も全く出来なかった。自分はいつまで経ってもこの事件の最悪の最悪の想定に怯え続けていた為、メンタルは急激に悪化していき、持病の喘息も悪化。事件後鬱を発症し、以下の6つの諸症状に苦しむ事となった。


「高校時代の6つの鬱の諸症状」


①食欲の完全消失

②日曜夜ごとの激しい喘息

③慢性的な背中の疲労感(痛み)と眠気

④学校生活中の激しいめまい

⑤激しい被害妄想

⑥自転車通学による無意識の自傷行為

(「③慢性的な背中の痛み」と「⑤激しい被害妄想」は相関関係にある。慢性的な背中の痛みが酷くなっていくと、被害妄想も酷くなっていった。)



自分は「暴言事件」後上記の精神的ダメージを受ける事となったのですが、この中の②と③が「被害妄想的な予期不安」なんですよね。実際にはあの暴言はたぶん女の子達には伝わらなかったと思うのですが、自分はその可能性に酷く怯え、それによってメンタルが急激に悪化していったのです。そう、これらの想定は最悪の最悪の想定でしたが、当時の自分の心の中では明日にでも現実化してもおかしくないくらいの凄まじいリアリティを持った想定でした。ですから、自分は恐ろしくて仕方なかったのです。




そう、この事件に関しても自分は周りにこの事件を相談出来る相手が皆無でした。ですから自分は自分で作り出した最悪の最悪の想定にいつまで経っても怯え続け、それによって甚大な精神的ダメージを受けていったのです。その精神的ダメージ量は、実際に想定が現実化した時に受ける精神的ダメージ量とそう変わらなかったのではないかと思います。そう、実際には②、③の想定は現実化しなかったと思われるのですが、自分が受けた精神的ダメージ量はそれらが現実化した時のダメージ量と変わらなかったと思います。それ程までに「被害妄想的な予期不安」が酷かった印象です。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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