鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

過去の被害妄想を書く事のポジティブな効用(2021年10月)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「現在の自分にも色濃く残る被害妄想的な思考(2021年10月)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分がこのブログで過去の「被害妄想」について書く事が、現在の自分(2021年10月)に良い影響を与えている、という話でした。ホントこの「被害妄想」的な感覚って、現在の自分の中にも色濃く残っていますからね。なんかこうこの「被害妄想」的な感覚を言語化しようとすると、自分の心の中にあるドス黒いモヤモヤに首を突っ込んでいるような感覚があるのです。そして、そのモヤモヤを注意深く言葉に変えていくと、なんかこうスッキリする感じがあったりします。



前回の記事で、自分は「被害妄想」的な感覚をこう表現していました。


ホントこの感覚って「自分という存在」の根底が滅茶苦茶不安定なイメージなんですよ。「自分という存在」が立っている地面が震度7くらいで凄まじく揺れていて、しかも自分の周りには何も身体を支えるものが無いのです。ですから、自分はただただその凄まじい地震とその恐怖にただただ独りで耐えるしか無い。



ですから、自分が「被害妄想」的な感覚を言語化していきますと、少しずつですがこの心の中の揺れが収まっていくような感覚もあったりします。このブログを書き始める前は、「自分という存在」が立っている地面が震度7くらいで凄まじく揺れていたのですが、その揺れが少しずつ収まっていくような感覚です。なんというかグラグラに揺れている不安定な地面を、言葉の力で踏み固めているような、そんなイメージもあったりします。



いづれにしろ、この「被害妄想」的な記憶を言語化していく作業は、現在の自分にとって良い効用しかないように思えます。そして、自分はこれまでこのブログにおいて学生時代の話を幾度となく繰り返していますが、学生時代の話を書くのはこれが最後になるような予感がしています。そう、こうやって「被害妄想」的な切り口で書くのが最後って感じがするんですよね。この先新しい切り口が出てくる予感が全くしません。加えて最近書いている「自信」に関するフローチャートが、これまでのこのブログの総まとめになるような感覚があったりしますし。




ま、でも分からないですけどね。今後書いていくうちに新たな切り口が見つかるかもしれませんし。そうしたら、その切り口でまた学生時代の話を書きたくなるかもしれない。そこら辺は書いてみないと全く分からない領域だったりします。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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