鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間鬱と闘病した45歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

記憶が超カオス状態+病的な被害妄想(過去編・1997年3月・21歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 被害妄想のせいで、カウンセリングでも全く喋れない(過去編・1997年3月・21歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が大学3年生の時にカウンセリングを受け始めた、という話でした。今回の記事もあの頃の話を思い出していきます。当時の自分のお喋りは病的に拙く、一言喋っては10分〜15分黙り込む事はザラだった記憶です。何故なら自分は幼い頃より家庭内において全く日々の出来事や感情を喋ってきていませんでした。自分にとって家庭内は「安心して素直に」喋れる場所とは程遠かったからです。ですから、自分の日々の経験や感情は全く言語化されず、「カオス状態」のまま記憶の海の底に沈んでいく事となりました。そして、そこで他の「カオス状態」の記憶と混ざり合い、さらに「カオス化」が促進され、「超カオス状態」に陥っていったのです。こうなってしまうと記憶がぐっちゃぐちゃのぐっちゃぐちゃに混ざり合い、後からその記憶を思い出すのはとても困難になってしまいました。




その状態を「辞書」で例えますと、単語の順番が「あいうえお順」に並んでおらず、単語が全てランダムに並んでいる辞書のようなものです。この状態から一つの単語の意味を探し出すのは滅茶苦茶困難ですよね。これは書いてある中身は辞書ですが、辞書としての用途を全く果たせない辞書です。自分の記憶状態も全く一緒です。一応記憶として残ってるものはあるのですが、それを後から思い出すのが超困難な状態なのです。先程の辞書の例で言いますと、記憶が「あいうえお順」には全く並んでおらず、後から思い出す事がとても困難なのです。記憶がぐちゃぐちゃに混ざり合っているので、思い出す為の手がかりが全く無いのです。ですから、自分は成長すればする程「カオス状態」の記憶が増えていき、より記憶の海の底がぐちゃぐちゃになっていきました。




しかもこれまで書いていますように、自分の学生時代の思い出のほとんどは思い出すのもおぞましいトラウマばかりです。つまり、自分の記憶の海の底にはトラウマな思い出ばかりが、ぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃに混ざり合っていたのです。こんなものを言語化出来るはずがありません。ですから、自分は成長をすればする程、自分について喋る事がホントに苦手になっていったのです。



そして、当時の自分のお喋りが病的に拙かった理由として、もう一つ考えられるのは「被害妄想」です。これまで書いていますように、自分は幼い頃から「自分に対する自信」をどんどん失っていきました。それによって「被害妄想」がどんどん酷くなっていったのです。自分がどのように自信を失っていったのかをまとめたものが、以下のフローチャートになります。前回の記事をお読みの方はスルーして下さい。 各項目後ろの数字は、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。この数値が下がれば下がる程、自分が「自分に対する自信」を失った事を示します。それは同時に「被害妄想」がさらに酷くなった事も意味しています。



3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を表現するのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)

小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)


小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人(マイナス5)
(詳細はこちら)



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8) 被害妄想発症
(事件の概要はこちら・被害妄想についてはこちら)



中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)

高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)

高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)



高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス21)
(概要はこちら)

高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス22) 鬱を完全発症
(事件の概要はこちら・8個の鬱の諸症状はこちら)


このように自分は小、中、高とすごい勢いで自分に対する自信を無くしていき、それと同時並行で被害妄想が酷くなっていったのです。自分は高校の時点で、「他人が自分の事を無根拠に迫害してくるに違いない」という「被害妄想」に囚われていました。結果、「鬱」を発症し、高校生活を病的に「ビクビク」「オドオド」しながら、過ごす事となったのです。



そして、自分は大学に入学後、空手部に入部したのですが、そこでとある練習メニューの厳しさを乗り越えられず、さらに自信を大きく大きく失ってしまいました。これにより被害妄想はさらに3倍に悪化です。自分は「空手部のとある稽古メニューで先輩達に追い込まれ過ぎて、殺されてしまうのでは無いか」という被害妄想に完全に囚われてしまいました。この激しい恐怖により、自分は夜眠れなくなってしまいました。そして、酷い睡眠不足状態は延々と続き、「鬱」が3倍に悪化してしまったのです。さらに自分は高校の時点で他人に対して病的に「ビクビク」「オドオド」していたのですが、これもさらに3倍酷くなってしまったのです。こんな状態でまともな大学生活が送れる訳がありません。



自分がカウンセリングを受け始めたのは、まさにこの時期なのです。つまり、自分は病的(×3倍)に「ビクビク」「「オドオド」している状態でカウンセラーの先生と喋り始めたのです。(高校時代の時点で被害妄想が「病的」で、それが大学空手部時代に「3倍」悪化しましたので、「病的×3倍」と表現しています。)そりゃこんな状態で自分の感情をスラスラ喋れる訳がありません。だって当時の自分はホントに酷い「被害妄想」状態に陥っていました。高校の時点で「他人が自分の事を無根拠に迫害してくるに違いない。」と感じていましたし、大学空手部では「先輩達が自分の事を無根拠に殺しにくるに違いない」とまで感じていたのです。




このように自分は病的×3倍な「被害妄想」状態にありましたから、カウンセラーの先生にだってそうそう、心を開ける訳がないのです。ですから、カウンセラーの先生を前にしても遅々として言葉が出てきません。さすがにカウンセラーの先生が自分を殺しに来るとは感じていませんでしたが、しかし、「こんな事を言ったらカウンセラーの先生は自分の事を馬鹿にするのでは???」と、病的×3倍に「ビクビク」「オドオド」していたのです。こんな状態で簡単に「自己表現」や「自己開示」が出来るはずがありません。



ですから、自分はホントにホントに恐る恐る「自己表現」や「自己開示」をしていったのです。そして、少しずつ自分の事を喋っては、カウンセラーの先生の顔やリアクションを伺い、それで先生が真摯なリアクションを返してくれると、ホントにホッとしたのです。「あぁ先生は自分の事を馬鹿にはしていないんだな」、と。そのような「恐る恐るの自己開示」→「安堵」の繰り返しで、自分は「安心して素直に」自分の気持ちを喋る事を覚えていったのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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