皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 記憶が超カオス状態+病的な被害妄想(過去編・1997年3月・21歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事も、自分が大学3年生の時にカウンセリングを受け始めた、という話でした。しかし、そこでの自分のお喋りは病的に拙く、話は遅々として進みませんでした。あまりにも自分から言葉が出て来ないものですから、先生がコラージュ療法を用意してくれた程です。先生はこの療法で「言葉以外」の表現手段で自分の心情を推し測ろうとしてくれたのだと思います。それ程までに自分のお喋りは病的に拙かったのです。前回の記事で書きました通り、その理由は以下の2つになります。
①自分は幼い頃から家庭内で日々の出来事や感情を全く喋ってきていなかった。それにより日々の出来事や感情は、全く整理整頓されず、「カオス状態」のまま記憶の海の底に沈んでいく事となった。「カオス状態」のまま沈んだ記憶は、他の「カオス状態」の記憶と混ざり合い、「超カオス状態」に変化。こうなると記憶がぐっちゃぐちゃのぐちゃぐちゃに混ざり合い、後から思い出す事がかなり困難になってしまった。つまり自分の記憶の海の底では、21年間分の記憶がぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃに混ざり合っているので、過去の記憶を喋る事がかなり困難。
②自分は幼い頃から「自分に対する自信」を失い続ける一方の人生を送っていた。そして、「自分に対する自信」を失えば失う程、「被害妄想」が悪化。大学時代になるとそれは「空手部の先輩達が自分の事を無根拠に殺しにくるに違いない」という程酷くなった。こうなってしまうと自分は日々の生活を病的(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」しながら送る事となり、他人とのコミュニケーションが完全に不可能になっていった。故にカウンセリングにおいても「こんな事を言ったらカウンセラーの先生は自分の事を馬鹿にするのでは???」と病的(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」してしまい、自分の事を喋る事が全く出来ない。
良いですね!①、②をまとめてみて思ったのですが、「自分のお喋りが病的に拙かった理由」として、さらにもう一つの理由もあると思いました。今回の記事はその理由を考えてみます。それは自分のそれまでの21年間の記憶のほとんどが「トラウマ」であるから、です。そう、自分のこれまでの人生で起こってきた事件のほぼ全ては、酷い精神的ショックと精神的苦痛を伴う「トラウマ体験」です。そして、この種のトラウマ体験は、思い出す事で激しい精神的苦痛を伴います。そんな記憶はそもそも本能的に思い出したくはありません。ではここで、自分がどのようなトラウマ体験を積み重ねてきたのか、フローチャートで示したいと思います。各項目後ろの数字は、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。この数値が下がれば下がる程、自分が「自分に対する自信」を失った事を示します。これは同時に「被害妄想」の発症及び悪化も意味しています。
3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を表現するのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)
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小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)
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小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人感(マイナス5)
(詳細はこちら)
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小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8)→ 被害妄想発症
(事件の概要はこちら・被害妄想についてはこちら)
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中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)
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中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)
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中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)
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高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)
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高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)
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高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス21)
(概要はこちら)
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高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス22)→ 鬱を完全発症
(事件の概要はこちら・8個の鬱の諸症状はこちら)
このように自分の人生は様々な事件によって「自分に対する自信」を一方的に失っていくだけの人生でした。この中で「トラウマ級」の精神的ダメージが発生した事件といえば、以下の3つになります。
・小学校3年生時の家庭環境の急激な悪化
・高校1年生秋の「暴言事件」
・高校2年生春の「寄せ書き事件」
また、準トラウマ級の事件としては、
・小学校6年生の時の「A先生怒鳴られ事件」
が挙げられます。また、上記のフローチャートにはまだ入っていませんが、大学空手部の3年間は当然凄まじいトラウマでした。自分はあの3年間で致命的な精神的ダメージを受けましたからね。このように自分の過去の記憶はトラウマまみれなのです。こんな記憶を誰が好き好んで思い出して喋りたいと言うのでしょう。先程も書きました通り、特に酷いのは大学空手部3年間の記憶です。この3年間の記憶は「中指の拷問」を最低でも2回受けた程、致命的なトラウマです。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)こんな記憶は思い出す事自体が拷問です。
ですから、自分の過去の記憶はまず「超カオス状態」であるが故に思い出せなくなっていましたし、さらにそれらの記憶は酷いトラウマだらけだった、という事になります。故に自分は本能的に過去の記憶を思い出す事を拒否していたと思います。さらに「被害妄想」的な心理状態も強く、その理由からもカウンセラーの先生に喋りにくかったのです。これらの理由により、自分のお喋りは病的に拙く、なかなか前に進んでいかなかったのでした。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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