皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「カウンセリングで自分の体調の酷さを全く喋れない(過去編・1997年3月・21歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が大学3年生の時にカウンセリングを受け始めたものの、当時感じていた辛さを何一つ喋れていなかった、という話でした。当時の自分は以下の12個の鬱の諸症状に苦しみまくっていたのですが、これらの辛さを何一つ喋る事が出来なかったのです。
「大学空手部時代の12個の鬱の諸症状」
①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その「殺される」程の恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい
⑨慢性的な口内炎
10空手部の稽古中の喘息
11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。これは「無意識の自傷行為」とも言える。自主練の内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度。頻度は通常は週1回、夏休み・春休みは週3回。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)
12 「空手部を辞める」という選択肢が全く無い中、引退までの3年間をただただ耐えるしか無い。しかし、①〜11の諸症状に苦しみながらの空手部の日々は全くもって遅々として進まなかった。それは例えるなら「匍匐前進で日本列島を縦断する」くらいの途方の無さ。自分は時間の進まなさに何度も絶望し、無力感を募らせていった。
おまけ①:空手部の稽古中の様子
『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)
おまけ②:大学空手部を辞めれなかった理由についてはこちら
おまけ③:自主練翌日の体調
『自主練の翌日の体調は、昨日の疲労感がエグく残っており、身体はとてもダル重く、冷え性も酷くて真夏でも鼻水がズルズルだったのです。もちろん食欲なんて当然ありませんし、背中の疲労感も滅茶苦茶です。背中をナイフで刺され続けているような痛みでしたからね。こんな状態で体力が付いたという実感を得られる訳がありません。』
当時の自分が感じていた苦しさの95%は上記の諸症状の辛さに由来していたのですが、その辛さを自分はカウンセリングでほとんど喋れていませんでした。喋れていないのですから、それに対する打開策を考える事など出来るはずがありません。よってカウンセリングを受け始めてからも上記の鬱の諸症状は一向に改善しませんでした。
では逆に自分がカウンセリングで喋れていた事を挙げたいと思います。以下の3つになります。
・自分が大学空手部において、副主将らしく振る舞う事が全く出来ない。
・自分がゼミで完全に浮いている。
・自分が大学内で完全孤立している。
自分はこれらに関してはカウンセリングで喋れていた記憶です。しかし、以前に書きました通り、そのお喋りは病的に拙かった。その理由は以下の3つになります。
①自分は幼い頃から家庭内で日々の出来事や感情を全く喋ってきていなかった。それにより日々の出来事や感情は、全く整理整頓されず、「カオス状態」のまま記憶の海の底に沈んでいく事となった。「カオス状態」のまま沈んだ記憶は、他の「カオス状態」の記憶と混ざり合い、「超カオス状態」に変化。こうなると記憶がぐっちゃぐちゃのぐちゃぐちゃに混ざり合い、後から思い出す事がかなり困難になってしまった。つまり自分の記憶の海の底では、21年間分の記憶がぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃに混ざり合っているので、過去の記憶を喋る事がかなり困難。
②自分は幼い頃から「自分に対する自信」を失い続ける一方の人生を送っていた。そして、「自分に対する自信」を失えば失う程、「被害妄想」が悪化。大学時代になるとそれは「空手部の先輩達が自分の事を無根拠に殺しにくるに違いない」という程酷くなった。こうなってしまうと自分は日々の生活を病的(
(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」しながら送る事となり、他人とのコミュニケーションが完全に不可能になっていった。故にカウンセリングにおいても「こんな事を言ったらカウンセラーの先生は自分の事を馬鹿にするのでは???」と病的(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」してしまい、自分の事を喋る事が全く出来ない。
③自分の過去の記憶のほとんどがトラウマなので、全くもって思い出したくも無いし、喋りたくもない。特に大学空手部の記憶は「中指の拷問」を最低でも2回受けた程、致命的なトラウマ。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)こんな記憶は思い出す事自体が拷問。
上記の理由で自分のお喋りは遅々として進まず、そのあまりの進まなさに先生は「コラージュ療法」を用意せねばならない程でした。
このようにカウンセリング最初期における自分の喋れなさは病的だったと思います。しかし、そうは言ってもカウンセリングの回を重ねる内に、ホントに少しずつですが、自分のお喋りは向上していった印象です。そう、自分はホントに少しずつですが、「安心して素直に」喋る経験を積み重ねていきました。カウンセリングの先生に自分の気持ちを喋ると、気持ちが暖かくなりましたし、それと同時に気持ちが軽くなる感覚もありました。その感覚は当時の自分にとってかけがえのないモノでした。
それと同時に自分は「安心して素直に」自分の感情を喋る事の素晴らしさもカウンセリングで学んでいきました。自分の気持ちや状況をありのままに喋る事の素晴らしさ、です。自分はこれまでこのような経験を家庭内で全くしてきていませんでしたし、それ以外の場でも全くしてきていませんでした。これは自分にとって生まれて初めての「自己表現」であり、「自己開示」でありました。これはホントに有難い経験をさせて貰っていたと思います。この経験が後々生かされ、自分は自分を取り戻していく事になるのです。
そう、自分にとってカウンセリングは短期的に見るとなんのポジティブな効果もありませんでした。鬱の諸症状は全く改善しませんでしたし、大学内の孤立状態も全く解決しなかったからです。しかし、10年20年の長期スパンで見ると、このカウンセリングによって自分の人生は変わったと言っても過言ではありません。このカウンセリングによって自分は「自己表現」や「自己開示」を学び、後にそれをノートに書く事で自分を取り戻す事が出来ました。また、親子関係もホントに紆余曲折ありましたが、現在(2021年11月)では安定しています。そしてなにより自分がこうやって現在ブログを書けているのは、カウンセリングで「自己表現」や「自己開示」を学んだおかげです。自分はカウンセリングでホントに素晴らしい経験をしたと思います。ただ、自分がその本当の素晴らしさに気付くまでには、20年以上の月日が必要だった、とも言えます。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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