鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

空手部引退後もトレーニングがやめられない(過去編・1997年3月・21歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「カウンセリングの素晴らしさ(過去編・1997年3月・21歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分にとってのカウンセリングとはなんだったのか、考えてみました。端的に言いますと、短期的には何もポジティブな効果が無いモノであったが、長期的にはとても有益なものであった、という感じです。短期的に見ると自分の現実問題に対してまるで無力でしたが、長期的に見ると自分の精神の礎はカウンセリングによって築かれたと言っても過言ではありません。家庭内では一切出来なかった、「安心して素直に」喋るという経験をカウンセリングでさせて貰えたのはホントに大きかったと思います。



さて、そのような感じで自分は大学3年生の4月から大学内でカウンセリングを受け始めました。そして、そこから1年間空手部の稽古と並行して、週1回カウンセリングを受け続けたのです。しかし、前回の記事で書きましたように、カウンセリングを受け始めたからと言って、自分の現実状況が改善される事は一切ありませんでした。自分は相変わらず大学内で完全孤立状態に陥っていましたし、鬱の諸症状の辛さにも相変わらず七転八倒していたのです。ではここで、当時の鬱の諸症状を詳しく解説したコピペを貼りたいと思います。いつものコピペになります。



「大学空手部時代の12個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その「殺される」程の恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)

②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)

③激しいめまい・離人感(〜離人感と冷え性〜)

④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)

⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)

⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい

⑨慢性的な口内炎

10空手部の稽古中の喘息

11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。これは「無意識の自傷行為」とも言える。自主練の内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度。頻度は通常は週1回、夏休み・春休みは週3回。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)

12 「空手部を辞める」という選択肢が全く無い中、引退までの3年間をただただ耐えるしか無い。しかし、①〜11の諸症状に苦しみながらの空手部の日々は全くもって遅々として進まなかった。それは例えるなら「匍匐前進で日本列島を縦断する」くらいの途方の無さ。自分は時間の進まなさに何度も絶望し、無力感を募らせていった。



おまけ①:空手部の稽古中の様子

『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)


おまけ②:大学空手部を辞めれなかった理由についてはこちら


おまけ③:自主練翌日の体調

『自主練の翌日の体調は、昨日の疲労感がエグく残っており、身体はとてもダル重く、冷え性も酷くて真夏でも鼻水がズルズルだったのです。もちろん食欲なんて当然ありませんし、背中の疲労感も滅茶苦茶です。背中をナイフで刺され続けているような痛みでしたからね。こんな状態で体力が付いたという実感を得られる訳がありません。』




う〜ん、辛い。自分はなんとかこれらの辛さに耐え、空手部の残りの1年間を必死に過ごしていきました。そして、いよいよ大学3年生の3月に最後の春合宿を終え、空手部を引退する事が出来たのです。これにより自分は3年間に及ぶ「空手部の稽古に殺されるかもしれない!!」という被害妄想から解放される事となりました。ようやく「死の恐怖」から解放されたのです。そして、それにより多少は夜眠れるようになったと思います。ただし、だからと言って上記の鬱の諸症状のほとんどは改善されなかった印象です。



そう、自分の鬱は「空手部の死の恐怖」が原因で高校時代の3倍悪化してしまったのですが、空手部を引退後も鬱は3倍酷くなったままでした。自分の鬱を悪化させた「空手部」が生活の中から無くなったにも関わらず、全く体調は良くならなかったのです。その理由は幾つかあると思いますが、まず思い当たるのは上記の11です。自分は11で書かれている「無意識の自傷行為」を空手部引退後も懲りもせず続いてしまったという事です。そう、自分はもはや空手部は辞めているにも関わらず、トレーニングを続けてしまったのです。自分が空手部時代に鬱を3倍に悪化させてしまった大きな要因の一つとして、この「自主練(トレーニング)」が挙げられると思うのですが、自分は空手部引退後もこれを懲りもせず続けてしまった。




ではここで、自分が大学空手部時代にこの自主練によってどのように鬱を悪化させたのか、フローチャートで示したいと思います。以前の記事でまとめたものになります。



大学空手部に入部

半年後、稽古の中で「人間サンドバッグ」という稽古が行われ、そこで先輩達にかなり心肺機能を追い込まれる

人間サンドバッグの厳しさを乗り越える為に自主練を始める。


自主練の翌日に体調をぶっ壊すばかりで全く体力が付いた実感を得られない。そして、当時の自分はその理由が全く分からなかった。



自主練から2〜3日経ち、少し体調が戻ると、また懲りずに自主練をしてしまう。しかし、やはり翌日体調をぶっ壊すばかり。



この流れを繰り返しているうちに自分の中に「無力感」がどんどん増大していく。



「無力感」が増えていく程、「自分に対する自信」はさらに失われ、「被害妄想」が増大。


被害妄想がさらに増えていった結果、稽古の前夜、ベッドの中に入ると次のような「被害妄想的な予期不安」に襲われるようになる。
「明日の稽古で人間サンドバッグが行われるかもしれない。自分はそこで先輩に追い込まれて殺されるかもしれない」。



上記の予期不安は凄まじい恐怖感を発生させ、ベッドに入っても全く眠れない。

そんな日々が1年続いた結果、鬱が3倍に悪化



上記のように「自主練(トレーニング)」によって自分は更に「自分に対する自信」を大きく失い、「被害妄想」を更に悪化させてしまいました。自分は「先輩達に追い込まれ過ぎて殺されてしまう!!」という被害妄想に追い込まれ、夜眠れなくなり、鬱を3倍に悪化させてしまったのです。そんな因縁の悪魔のトレーニングを折角空手部引退出来たにも関わらず、続けてしまったのですから付ける薬がありません。自ら「無意識の自傷行為」を続けてしまったのです。では何故自分が空手部引退後もトレーニングを続けてしまったのか、次回の記事で考えてみたいと思います。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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