鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

被害妄想が病的に酷く、体育の授業にも死の恐怖を感じ始める(過去編・1999年4月・22歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 2つ目の大学に移るも、やはり居場所が全く作れない(過去編・1999年4月・22歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が2つ目の大学に移ったものの、そこでもやはり周りと全くコミュニケーションが取れなかった、という話でした。自分はクラスでもサークルでも周りと喋る事が全く出来ず、入学して半年後には早くも大学内で完全孤立状態に陥ってしまいました。何故なら当時の自分は「被害妄想」が病的(×3倍)に酷かったですし、背中の激痛を始めとする肉体的苦痛も酷く、意識は朦朧としていたのです。これではコミュニケーションが取りようがありません。自分はその後タップダンス教室に活路を求めましたが、やはりここでも全く周りとコミュニケーションが取れず、病的(×3倍)な被害妄想が発動し、結局ここも辞めざるを得なくなりました。



このように自分は2つ目の大学のクラスでもサークルでも全く周りと馴染めませんでしたし、郊外の校舎で行われる体育の時間に関しても完全な孤立状態に陥っていました。今回の記事はこの体育の授業の辛さについて書いて行こうと思います。この体育の時間は朝9時から12時30分に渡って行われる長時間の授業でして、この時間の長さだけでも「鬱の廃人」状態の自分には辛くて仕方ないものでした。背中の慢性的な疲労感は、疲労感というより「激痛」になっていましたし、眠気や冷え性も酷かったからです。




また、この授業は東京の郊外の校舎で行われる授業でしたから、通学時間が我が家から片道2時間くらいかかってしまうのです。ですから、体育のある日は朝6時には起きなければならず、これがまぁアホみたいに辛かった記憶です。ただでさえ、体育の授業は長時間なので辛くて仕方なく、さらにそこでも自分は孤立しまくっていました。そんな授業の為に朝6時起きして、2時間も電車に揺られて通学するのは、マジで発狂ものの辛さがありました。



しかも自分は「被害妄想」がさらに酷くなっていましたから、「自分がただそこにいるだけで、他人から無根拠に迫害されてしまう」かのような、そんな緊張感と恐怖感の中で学生生活を送っていました。ですから、この体育の授業に関してもただでさえ緊張感と恐怖感が半端なかったですし、さらに自分はここでも孤立状態に陥っていました。故に体育の授業におけるの被害妄想は、肉体的苦痛も相まって、「死の恐怖」に近いくらいの凄まじいものになっていたのです。もう訳もなく周りの学生達が自分の事を迫害しようと手ぐすねを引いているような気がして、恐ろしくて仕方ありません。ですから、自分はこの体育の授業に出る事がどんどん恐ろしくて仕方なくなり、入学してから半年も経つと、この体育の授業のある日は授業開始の1時間前には大学に着く様な状態になってしまいました。



どうして授業開始より1時間も早く大学に着いていたのかと言いますと、なんというか体育の授業があまりにも恐ろしいので、授業が始まる1時間前から心の準備をしないとこれに臨めなくなってしまったのです。そう、大学に着いてすぐに体育の授業が始まると恐ろし過ぎるので、その前に1時間心の準備が必要になってしまったのです。ですから、自分は朝の5時に起きなければなりません。朝の5時に起きて、大学に向かい、8時に大学に到着。この時点で体育の授業まではまだ1時間あります。そこで、まだ誰もいない大学の端の方のベンチで一人身体を横たえ、死の恐怖に怯えまくりながら、授業までの時間を過ごしていました。自分は1つ目の大学でも3年間死の恐怖に怯え続けましたが、2つ目の大学でも同じような状態に陥ってしまったのです。自分がこのような末期的な状態になってしまったのは、2つ目の大学1年生の10月頃だった記憶です。




このように自分の被害妄想がさらに酷くなってしまった理由は、自分が2つ目の大学においても人間関係に挫折し続けたからです。大学のクラス、手品サークル、タップダンスサークル、自分はどこに行っても居場所を作れず、「自分に対する自信」をさらに失って行きました。自分はわざわざ1つ目の大学を辞め、2つ目の大学に入り直して大学生活をやり直してみたのですが、気付けばそこでの人間関係もわずか半年後には完全破綻していました。自分はさらに「自分に対する自信」を失い、「被害妄想」はさらに悪化していきました。ですから、自分は体育の授業が恐ろしくて仕方なくなり、心の準備の為に朝5時起きして大学に向かわなければならなくなったのです。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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