鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

2つ目の大学に移るも、やはり居場所が全く作れない(過去編・1999年4月・22歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 大学空手部引退後も挫折は続く(過去編・1998年4月・21歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が大学空手部を引退した後、様々なものに挑戦するも、何一つ上手く行かなかったという話でした。無理もありません。自分は大学空手部の3年間でさらに鬱を3倍に悪化させ、以下の10個の諸症状に苦しみまくっていたのです。


「大学空手部引退後の10個の鬱の諸症状」


①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)

②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)

③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)

④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)

⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)

⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分は、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい

⑧慢性的な口内炎

⑨自分は大学空手部の3年間でさらに「自分に対する自信」をさらに3倍失った。そして、自分の頭の中には依然として「トレーニング=体力が付く=自信が付く」という図式が色濃く残っており、この図式が自分にも当てはまると相変わらず信じていた。そこで、空手部を引退し、人間サンドバッグの恐怖が無くなったにも関わらず、「自分に対する自信」を回復させる為に自主練をを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)



しかし、空手部の頃と同様にトレーニングを積み重ねても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。体調が少し回復すると、またトレーニングをしてしまう。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。


10 大学空手部の3年間で「自分に対する自信」がさらに3倍失われた事で、「被害妄想」もさらに3倍悪化。自分は大学生活の中で何をしていても全く自信が持てず、常に他人の視線を気にし、病的(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」している状態。もはや自分にとって「自分という存在の価値」は、髪の毛一本より軽くなっている感じで、いつ他人から軽んじられ、無根拠に攻撃されても全くおかしくないような、そんな凄まじい緊張感の中で日々を送る羽目に。こんな状態では、完全に社会生活は不可能。



おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調


『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』



しかし、当時の自分は上記の鬱の諸症状を全く認識出来ていません。それどころかこんな思い込みまでしている始末。


「自分はあの空手部の過酷な3年間を耐えたのだから、体力が付いているはず!!」



そして、自分はこの虚構の体力を信じ、自分の居場所を作ろうと様々なものに挑戦しました。


・ロックダンス教室

・タップダンス教室

・ファミレスバイト

・自動車教習所


しかし、どこに行っても全く周りとコミュニケーションが取れません。何故なら「被害妄想」が病的(×3倍)に酷く、どこに行っても他人が自分の事を無根拠に迫害してくるような、そんな「被害妄想」に襲われてしまうのです。そして、上記の鬱の諸症状にありますように、背中の激痛を始めとする諸症状も酷く、それらの肉体的苦痛で意識は常に朦朧としています。こんな状態で他人とまともにコミュニケーションが取れるはずがありません。自分は上記の4つ全てに挫折した後、新しい大学に入り直し、大学生活をやり直したいと思いました。そこで再び大学受験をしまして、大学に合格。2つ目の大学で大学1年生からやり直す事にしたのです。この時自分の年齢は23歳、時期は1999年4月になります。



さて、2つ目の大学に入り直した自分は、早速手品サークルに入り、大学生活をやり直そうとします。しかし、やはり上記の理由で他人とまともにコミュニケーションを取る事が出来ません。とにかく「被害妄想」が酷く、病的(×3倍)に他人の目を気にして「ビクビク」「オドオド」していますから、他人を目の前にするだけでテンパりまくって、赤面しまくりなのです。当然自分の事を何一つまともに喋れませんし、他人にもほとんど興味がありません。こんなコミュ障中のコミュ障が人前に立って手品など披露出来るはずがありません。そして、大学のクラスの方も同じ理由で全くクラスメートとコミュニケーションが取れません。体調も酷く、意識朦朧としていましたからね。結果半年も経つと自分は早くも大学内で孤立状態に陥っていました。



しかし、自分はまだ諦めません。以前からやっていたタップダンスに活路を求め、タップダンス教室に週2〜3で通い始めました。しかし、これまでと全く同様の理由でこれも辛くて辛くて仕方ありません。自分はタップダンスの発表会に向けて、30人くらいの練習生達との合同練習に臨んだのですが、そこでも全く周りとコミュニケーションを取る事が出来ませんでした。そう、休み時間になると周りの練習生は楽しそうに他の練習生達とお喋りをしているのですが、自分は全くその輪の中に入れません。練習生は同年代の女の子が多く、それが余計にコミュニケーションを難しくしていた記憶です。



さらに厄介だったのが、この時の自分は病的(×3倍)に「被害妄想」が激しかったという事です。先程書きました通り、自分は全く周りの練習生の女の子達とコミュニケーションが取れなかったのですが、その中で一人でいると、「周りの女の子達は一人でじっとしている自分の事を酷く馬鹿にしているのではないか??」という被害妄想に襲われまくってしまうのです。これはホントにキツかった記憶です。そう、ただでさえ自分の身体は上記の鬱の諸症状に襲われ続け、「鬱の廃人」状態でしたが、それに加えて激しい「被害妄想」にも襲われていたのです。いや〜無理ゲーにも程があります。発狂ものの辛さがありました。



さて、そんな感じで自分は発狂ものの精神的ダメージを耐え、なんとかタップダンス本番の発表会を終えました。自分は発表会の2ヶ月くらい前から、「発表会が終わったら、タップダンスは辞めよう」と思っていましたので、これでようやくタップダンスともおさらばです。自分は以下の気持ちを抱えながら、発表会の会場を後にしたのでした。


・酷く虚しい気持ち

・激しい「被害妄想」が原因の深い悲しさ

・背中の激痛を始めとする鬱の諸症状が原因の肉体的苦痛

・タップダンスからの解放感



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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