鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

大学休学の理由を親に説明出来ない(過去編・1999年11月・22歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 大学生活が破綻し、パチンコ屋に逃避(過去編・1999年11月・22歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が2つ目の大学に入学し直したものの、半年後には大学生活が破綻し、11月頃には再びパチンコ屋に舞い戻ってしまった、という話でした。この時代のパチンコ話は「パチンコⅡ期」として過去記事に書いていますので、詳細は割愛します。気になる方は2020年1月の記事をご覧下さい。自分はここから3ヶ月間程パチンコを打ち続け、トータル60万勝つ事が出来ました。ですから、前年に負けていた30万のOB会の会費分を取り戻し、さらに30万浮いた、という事になります。ただし、パチンコを打っている最中も自分の身体は「鬱の廃人」状態です。その状態で朝9時から夜9時までパチンコを打ち続ける作業はかなりのキツさがありました。ではここでいつもの「大学空手部引退後の10個の鬱の諸症状」を貼りたいと思います。自分は以下の諸症状に苦しみながら、パチンコを打っていました。



「大学空手部引退後の10個の鬱の諸症状」


①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)

②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)

③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)

④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)

⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)

⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分は、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい

⑧慢性的な口内炎

⑨自分は大学空手部の3年間でさらに「自分に対する自信」をさらに3倍失った。そして、自分の頭の中には依然として「トレーニング=体力が付く=自信が付く」という図式が色濃く残っており、この図式が自分にも当てはまると相変わらず信じていた。そこで、空手部を引退し、人間サンドバッグの恐怖が無くなったにも関わらず、「自分に対する自信」を回復させる為に自主練をを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)



しかし、空手部の頃と同様にトレーニングを積み重ねても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。体調が少し回復すると、またトレーニングをしてしまう。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。

10 大学空手部の3年間で「自分に対する自信」がさらに3倍失われた事で、「被害妄想」もさらに3倍悪化。自分は大学生活の中で何をしていても全く自信が持てず、常に他人の視線を気にし、病的(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」している状態。もはや自分にとって「自分という存在の価値」は、髪の毛一本より軽くなっている感じで、いつ他人から軽んじられ、無根拠に攻撃されても全くおかしくないような、そんな凄まじい緊張感の中で日々を送る羽目に。こんな状態では、完全に社会生活は不可能。


おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調


『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』



この時の自分の心の中にはパチンコで勝てるようになった喜びが溢れていたのですが、その喜びが上記の諸症状を和らげる事は一切ありませんでした。特に上記の中でも10の被害妄想は酷く、自分は病的(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」しながら、パチンコを打っていた記憶です。なんせパチンコ屋でも自分は一人でしたからね。パチンコ友達も皆無でしたから、パチンコで勝てるようになった喜びを誰とも共有する事が出来ず、そこでの孤独感も感じていたように思います。



さて、こんな感じでパチンコでお金を稼いでいるうちに年は明け、2000年1月。1月は大学ではテストの期間でしたが、自分は大学のテストはそこそこにパチンコ屋通いをしていた記憶です。そして、2月、3月は、大学は冬休みです。2月はパチンコ屋に通いまくりましが、3月に入るとモチベーションが下がってきました。とりあえずOB会の会費は取り戻せましたし、さらに30万稼げましたからね。もうこれ以上「鬱の廃人」状態の身体に苦しみながら、お金を稼ぐモチベーションは残っていませんでした。




ここで自分ははたと現実に戻されました。4月になると大学の冬休みは明け、自分は大学2年生に進級します。しかし、ここに来ても自分の中に大学生活を再開する気力は全く回復していないのです。自分は現実に直面しました。自分的には4月からは大学を休学する以外考えられませんでしたが、その為には親の了承を得なければなりません。




そう、自分はただでさえ1つ目の大学を1年半休学していますし、さらにその大学を中退し、2つ目の大学に移ってきました。ここでさらに親に休学を申し出るのは、けっこうしんどい感じがありました。3回目の休学を親がいい顔をするはずありませんし、自分自身も今回の休学をどうやって親に説明すれば良いのか、さっぱり分からなかったのです。




自分が1つ目の大学で休学した際の休学の理由は「大学空手部の稽古が厳し過ぎるからゆっくりしたい」でしたし、1つ目の大学を中退し、2つ目の大学を再受験した理由は「大学生活をやり直したい」でした。この時はこれらの理由で両親を納得させる事が出来ました。しかし、今回の休学に関しては親が納得する理由を考えるのがかなり難しい状況でした。2つ目の大学では空手部のような何か打ち込んでいるものがある訳ではないですし、「わざわざ2つ目の大学に移ったにも関わらず、3回目の休学」という状況ですからね。なんともバツが悪い感じもありました。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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