皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 自分は親の人生を全く知らないし、親も自分の人生を全く知らない②(過去編・1999年11月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が親に対して大学休学の理由を説明する事がとても難しかった、という話でした。自分は23歳の時に2つ目の大学に入り直したのですが、人間関係が全く作れず大学生活は半年で破綻。自分の中から大学生活を続ける気力は消失してしまいました。そして、翌年の3月。自分は親に対して大学休学の理由を説明する必要性に迫られていました。しかし、その本当の休学理由(大学内で人間関係が全く作れない)を親に説明する事にかなりの抵抗感を感じていました。何故ならこの23年間の間、自分と親とは一つ屋根の下で暮らしていたにも関わらず、人生を何一つ共有していなかったからです。自分は親の人生を何も知りませんでしたし、親もまた自分の人生を何一つ知らなかった。
そう、自分は幼い頃から自分の感情や気持ちを親に喋る事を完全に諦めて生きてきました。そして、親の方もそんな自分に興味を向ける事は皆無でした。また、自分の方から親の人生に興味を持つ事も皆無でしたし、親もまた親自身の人生を語る事など全くしていませんでした。そもそも自分は自分自身の人生さえ何も把握できていませんから、親の人生など把握できるはずがありません。ですから、自分と親は何一つ人生を共有していないまま、人生を重ねる事になったのです。自分は子供の頃から親に対して何もかも諦め切っていましたし、かなり冷め切ってもいました。
そんな親相手に、何故に自分の方だけが一方的に「自己開示」をしなければならないのでしょう。何故に自分の方だけが「大学内で人間関係が全く作れない」という恥を晒さなければならないのでしょう。ですから、自分は休学の本当の理由を喋る事にかなりの抵抗感を感じていました。極力喋りたくはない感じでしたね。
そこで自分は第ニの理由を考え出しました。それは
「休学したらカウンセリングに通いたいから、休学させて欲しい。」
これも本当の気持ちではありましたが、休学の本当の理由には触れてはいません。これで親を納得させられるかどうか自信はありませんでしたが、とりあえず自分はこの理由を親に言ってみようと思いました。
さて、2000年の3月下旬くらいに自分は親に対して休学の話を切り出しました。当然親は驚きましたし、案の定渋い顔をしていました。それはそうでしょう。これで自分の休学は通算3度目ですし、さらに今回の休学はわざわざ2つ目の大学に移ったにも関わらず、ですからね。しかも1年通っただけ。そこで、自分は予め用意していた理由
「休学したらカウンセリングに通いたいから、休学させて欲しい。」
を言いました。自分は正直この言い回しの最後の「〜させて欲しい」という言い方も嫌でしたね。「なんで自分が親に頭を下げなければならないんだ?」という気持ちもありました。しかし、これで休学は通算3度目ですし、わざわざ大学を移った果ての休学ですから、仕方ありません。そして、親の方のリアクションを伺うと全然納得していない様子です。自分は内心「やはりこの理由では弱かったか、、」という気持ちでした。
そこで、自分は本当に本当に嫌でしたが、休学の本当の理由を喋り始めたのです。そう、自分が大学において人間関係を全く作れていない事を親に喋り始めました。これにはかなりのストレスを感じた記憶です。何せ自分は親に対して信頼や愛情の欠片も感じる事なく育ってきていました。それどころか、親に対してかなり冷めてもいたのです。そんな親に対して、「大学内で全く人間関係を作れていない」という恥を晒すのはかなり屈辱的な気持ちになったのを覚えています。
しかし、そうは言っても「自分が大学内で全く人間関係を作れていない」のも事実です。自分はその理由を喋っているうちに、悲しくなってきてしまい泣き出してしまいました。ただし、それは別に親に対して暖かいものを感じたからでは一切ありません。ただただこれまでの自分の人生に蓄積した孤独や辛さが涙となって溢れてきただけなのです。
ですから、この事もまた自分にとっては屈辱的な出来事でした。理由は先程と全く同じです。何故に親に対してこちら側だけが一方的に「泣く」という弱い姿を親に晒さなければならないのでしょう。自分は親の前で泣きながらさらなるストレスを感じていた記憶です。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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