鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間鬱と闘病した45歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

親に休学の了承を取りに行く→泣く→父親を土下座させる②(過去編・2000年3月・23歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「親に休学の了承を取りに行く→泣く→父親を土下座させる(過去編・2000年3月・23歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が2つ目の大学の休学を親に切り出した時の話でした。自分は休学の本当の理由「大学内で全く人間関係を作れていない」を喋らなければならない状況に追い込まれたのですが、それは自分にとってエゲツない程のストレスでした。そのストレスは以下の3つの理由が原因でした。



①自分と親はお互いの人生を何一つ共有しなきまま、年齢を重ねていた。自分は幼い頃から親に対して自分の感情や欲望を表現する事を諦め切っていたし、親に対してかなり冷め切っていた。そして、親の方もそんな自分に興味を向ける事は皆無だった。そんな状態が23年間続いた中で、自分の方が「大学内で人間関係を全く作れていない」という恥を一方的に晒す事へのかなりの抵抗感。


②自分は幼い頃より「自分に対する自信」をどんどん失っていく一方の人生を送っていた。その原因は家庭環境や様々な事件。そして、「自分に対する自信」を失っていけばいく程「被害妄想」は悪化していき、それと同時に「親に対する信頼」もマイナス状態がどんどん悪化していった。「0」から始まった「親への信頼」は、この時には「マイナス66」以下。このように自分の親に対する信頼感は大幅なマイナス状態にあり、そんな親相手に自分の恥を晒さなければならない事への屈辱感。



③自分は休学の本当の理由を喋っている時に泣き出してしまった。これは親に対して何か暖かいものを感じたからでは一切なく、ただただ自分の孤独な大学時代を喋る事が悲しかったから。そして、親の前で泣いた事で、さらなるストレスが発生。それは①、②の理由と同様。自分は親とお互いの人生を全く共有していなかったし、親への信頼感もエグられまくっていた。そんな親相手に泣き顔を晒す事への大いなる屈辱。



ですから、涙が一通り収まってくると、今度は親に対するムカつきの方が滅茶苦茶大きくなっていったのです。そこで自分は母親と共闘して父親を責める流れになっていきました。責め方としてはこんな感じです。



「親父がこの家を滅茶苦茶に壊し続けたせいで、俺の人生も無茶苦茶になった!!」


この頃になると自分と母親の仲は悪くなり始めていたのですが、この時ばかりは共闘しましたね。うちの母親もまた10年間に渡ってうちの父親がもたらす酷いトラブルに人生を蹂躙され続け、心を壊され続けてきていました。ですから、うちの母親は10年に渡って父親の事を糾弾し続けていたのです。それによって我が家は10年に渡って戦争状態に陥り続けたのですが、その糾弾理由自体は至極真っ当なモノでした。




うちの母親は、父親の人間としての薄情さや社会性の無さや判断力の甘さ、そして父親と祖母の歪な親子関係などを10年以上に渡って糾弾し続けていたのです。そこでこの場面では自分と母親が共闘して、父親を糾弾する展開となったのです。自分が母親の糾弾姿勢に乗っかった、という面もあったかもしれません。そして、共闘での糾弾がしばらく続くと最後に父親は折れ、「これまですまなかった」と土下座したのでした。



そうそう、父親は土下座する前にその条件としてこんな事を言ってましたね。


「分かった。謝るのはいいけど、その代わり大学休学中にはカウンセリングに行ってくれ」


と。もちろん、自分としては元々そのつもりでしたから、その条件はすぐに飲みました。そして、父親は土下座をして謝り、自分の1年間の休学は了承されたのでした。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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