鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

3度目の大学休学(過去編・2000年3月・24歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 親に休学の了承を取りに行く→泣く→父親を土下座させる②(過去編・2000年3月・24歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が両親に対して大学休学の話を切り出し、すったもんだの果てに父親を土下座させた、という話でした。(24歳)あれはカオスな展開でしたねぇ。展開としてはこんな感じです。



自分が両親に対して2つめの大学の休学を切り出す。



休学の理由として、「休学したらカウンセリングに通いたいから、休学させて欲しい。」 を挙げるも、両親は納得しない。



仕方なく休学の本当の理由「大学内で人間関係を全く作れていない」を喋り出す。



しかし、この理由を喋っているうちに自分の中にエゲツない量のストレスが発生した。理由は以下の3つ。


①自分と親はお互いの人生を何一つ共有しなきまま、年齢を重ねていた。自分は幼い頃から親に対して自分の感情や欲望を表現する事を諦め切っていたし、親に対してかなり冷め切っていた。そして、親の方もそんな自分に興味を向ける事は皆無だった。そんな状態が23年間続いた中で、自分の方が「大学内で人間関係を全く作れていない」という恥を一方的に晒す事へのかなりの抵抗感。


②自分は幼い頃より「自分に対する自信」をどんどん失っていく一方の人生を送っていた。その原因は家庭環境や様々な事件。そして、「自分に対する自信」を失っていけばいく程「被害妄想」は悪化していき、それと同時に「親に対する信頼」もマイナス状態がどんどん悪化していった。「0」から始まった「親への信頼」は、この時には「マイナス66」以下。このように自分の親に対する信頼感は大幅なマイナス状態にあり、そんな親相手に自分の恥を晒さなければならない事への屈辱感。



③自分は休学の本当の理由を喋っている時に泣き出してしまった。これは親に対して何か暖かいものを感じたからでは一切なく、ただただ自分の孤独な大学時代を喋る事が悲しかったから。そして、親の前で泣いた事で、さらなるストレスが発生。それは①、②の理由と同様。自分は親とお互いの人生を全く共有していなかったし、親への信頼感もエグられまくっていた。そんな親相手に泣き顔を晒す事への大いなる屈辱。



泣いているうちに段々と涙は収まってきて、ストレスの方が爆発。



「親父がこの家を滅茶苦茶に壊し続けたせいで、俺の人生も無茶苦茶になった!!」



うちの母親もまた15年に渡ってうちの父親がもたらしてきた「家の闇」に人生を蹂躙され続け、心を壊され続けてきていた。同時に母親はその事に対する激しい糾弾を15年続けてきていた。よってここで自分と母親の利害が一致し、共闘して、父親を責める展開に。



父親が非を認め土下座して謝罪。
「分かった。謝るのはいいけど、その代わり休学中にはカウンセリングに行ってくれ」




う〜ん、怒涛の展開。自分は親に対して休学の話をしに行ったのですが、何故か最後には父親を土下座させていたのです。あれは自分でも思ってもみなかった展開でした。



さて、このような怒涛の展開の果てに自分は大学休学を認めさせる事が出来ました。その後自分は自分の部屋に戻り、ホッと安堵した記憶があります。これでもう4月からは友達のいない大学に通わなくても済むのです。しかも再びカウンセリングを受ける事も出来ます。そして、自分は今度の休学期間中は習い事やバイトをする気は一切ありませんでした。自分はそれらにおいても全く人間関係を作る事が出来ず、ただただ挫折し続けたからです。



ですから今回の休学中は、週1回のカウンセリング以外は全く何もしない予定でした。もはや外の世界とは関わらず、ひたすらのんびり暮らしたい、という感じでしたね。そう考えると自分の心の中は結構な安堵感に包まれていた記憶です。大学や習い事やバイトに行かなければ、「被害妄想」で苦しむような事は起こりません。



そんな感じで、自分は2000年3月の下旬に2つ目の大学に休学届けを出しに行きました。(24歳)そして、同時に2つ目の大学の学生相談室に駆け込み、カウンセリングをお願いしました。これで自分にとって理想的な生活が始まりました。4月以降の1年間は、大学生活や習い事やバイトで被害妄想に苦しまなくても良いですし、外出は週に1回カウンセリングに行けば良いだけです。



しかし、そんな理想的な生活が始まったのも束の間、家庭内で新たなトラブルが発生しました。うちの父親が倒れてしまったのです。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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