鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。skipper1242でツイッターもやってます。

祖母が父親の見舞いに来た話(過去編・2000年3月・24歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「「土下座事件」と「尿管結石事件」の因果関係(過去編・2000年3月・24歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が2つ目の大学を休学した際に起きた「土下座事件」と、その1〜2週間後に起きた「父親の入院」の因果関係について考えてみました。また、その3年後には「尿管結石事件」が起きたのですが、「土下座事件」と「尿管結石事件」の因果関係について考えてみました。うちの父親はこの「土下座事件」によって自分と母親から糾弾され、土下座をさせられる事になりました。ここでかなりの屈辱感を受けたと考えられます。そして、父親はこの1〜2週間後に胃潰瘍で入院する事になったのですが、自分はそこに「土下座事件」との因果関係を感じてしまいます。「土下座事件」で受けたかなりの屈辱感が胃潰瘍を発生させたのでは?、と。



それから3年後。今度は自分が尿管結石の痛みでのたうち回る事になりました。父親はそんな自分に対して「こんな時に頼りやがって!!」という血の凍るような殺人的暴言を吐いてきたのです。自分はこの時の暴言は、先程の「土下座事件」への仕返し的な意味合いがあったのでは無いかと考えます。それは「意識的」ではなく、「無意識的」な仕返しだったのではないか、と。



さて、とりあえず「土下座事件」と「父親の入院」「尿管結石事件」の因果関係の話は、これで一旦終わります。このような感じで自分が2つ目の大学の休学を両親に切り出した際に「土下座事件」が起こり、その1〜2週間後に父親が胃潰瘍で倒れたのでした。さらに倒れた父親の事を心配して、うちの母親方の祖母がわざわざ九州からこちらに出てくる一幕もありました。今回の記事はこの祖母の話を書きたいと思います。



当時祖母は85歳くらいだったと思います。とにかく明るく面倒見の良い祖母で、85歳という高齢にも関わらず、飛行機に乗って、わざわざ九州から神奈川の我が家まで来てくれました。最初自分は祖母と会う気はなかったのですが、祖母がまぁ明るくアプローチしてくるものですから、つい会ってしまい、そこからは祖母の明るさに心がほぐれていった感じです。その後、自分はこの祖母を2つ目の大学に連れていき、カウンセラーの先生に会って貰ったりもしました。祖母は社交性も抜群でしたから、そこの大学の見ず知らずの学生とも気軽にお喋りをしていまして、それを見た自分はこんな感じで驚いた記憶があります。


「同年代の自分がここの学生と全くコミュニケーションが取れていないというのに、85歳の祖母はいとも簡単にコミュニケーションが取れてる!!」


と。ホントに母親方の祖母は社交性が高く、暖かく明るい人でしたね。祖母は九州に住んでおり、自分達家族は神奈川に住んでいましたから、なかなか会う事が出来なかったのはホントに残念な事でした。自分が人生の中で祖母に直接会ったのは、3〜4回くらいです。自分はこういう想像をしてしまいます。


「もし、我々家族が自分が幼い頃から祖母の近くに住んでいたら、自分の人生は全く違うものになっていたのでは?」


と。もしそうだったとしたら、祖母は幼い自分を絶対的に可愛がってくれたでしょうから、自分が「自分という存在に対する自信」を失って行く事も無かったと思います。そして、うちの母親と祖母は仲が良かったですから、祖母の近くにいれば、うちの母親のメンタルも安定したはずです。また、祖母の周りには母親方の親類も沢山いましたから、その意味でも母親のメンタルは安定したはず。ここら辺の話は、この前(2021年11月)うちの両親、妹、自分で喋ったのですが、妹も全く同じ見解でした。もしうちの家族が母親方の祖母の近くに住んでいたなら、我が家が15年間戦争状態に陥る事は無かっただろう、と。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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