鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

「尿管結石事件」における父親の暴言の背景を考える(過去編・2000年3月・24歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「2021/12/13/このブログの意義(過去編・2000年3月・24歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が両親に2つ目の大学の休学を訴えた際に、当時苦しみまくっていた鬱の諸症状の辛さを全く喋る事が出来なかった、という話でした。そう、当時の自分は大学生活の中で以下の10個の鬱の諸症状の辛さに苦しみまくっていました。いつものコピペになります。


「大学空手部引退後の10個の鬱の諸症状」


①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)

②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)

③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)

④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)

⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)

⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分は、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい

⑧慢性的な口内炎

⑨自分は大学空手部の3年間でさらに「自分に対する自信」をさらに3倍失っていた。そして、自分の頭の中には依然として「トレーニング=体力が付く=自信が付く」という図式が色濃く残っており、この図式が自分にも当てはまると相変わらず信じていた。そこで、空手部を引退し、人間サンドバッグの恐怖が無くなったにも関わらず、「自分に対する自信」を回復させる為に自主練をを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)



しかし、空手部の頃と同様にトレーニングを積み重ねても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。体調が少し回復すると、またトレーニングをしてしまう。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。

10 大学空手部の3年間で「自分に対する自信」がさらに3倍失われた事で、「被害妄想」もさらに3倍悪化。自分は大学生活の中で何をしていても全く自信が持てず、常に他人の視線を気にし、病的(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」している状態。もはや自分にとって「自分という存在の価値」は、髪の毛一本より軽くなっている感じで、いつ他人から軽んじられ、無根拠に攻撃されても全くおかしくないような、そんな凄まじい緊張感の中で日々を送る羽目に。こんな状態では、完全に社会生活は不可能。


おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調


『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』



しかし、当時の自分は上記の辛さを何も認識出来ておらず、何も言語化出来ていませんでした。自分は大学生活が不可能な程、上記の諸症状に苦しんでいたのですが、その苦しさを大学休学の理由として説明する事が全く出来なかったのです。ですから、自分は最も説明したくない理由「大学内で全く人間関係を作れていない」を親に説明せざるを得なくなってしまいました。これを親に説明する事は、自分にとってかなり屈辱的な事であり、自分の中でかなりのストレスが発生しました。そこで自分は母親と共闘して父親を責め始めたのです。その責め方は、


「親父がこの家を滅茶苦茶に壊し続けたせいで、俺の人生も無茶苦茶になった!!」


です。そして、この見解に関しては母親も同意見でしたので、自分と母親は共闘して父親を責めました。すると父親は折れ、土下座して「済まなかった」、と謝ったのでした。それから1〜2週間後、この時のストレスが影響したのかどうかは分かりませんが、父親は胃潰瘍で倒れ、入院する事となったのでした。



以前の記事で書きました通り、自分はこの「土下座事件」が3年後に起きた「尿管結石事件」の伏線になっているような気がしています。「尿管結石事件」とは自分が27歳の秋に起きた事件の事を言います。事件の詳細はこちらです。まず「土下座事件」で父親は多大な精神的ダメージを受けたと思うのです。妻や息子に土下座して謝るのはかなり屈辱的だったでしょうからね。ですから、この事件によって父親は自分の事を無意識的に恨むようになっていた。そして、3年後、今度は自分が尿管結石の痛みにのたうち回る事になりました。そして父親に助けを求めた所、父親の中でその恨みが再燃し、「こんな時だけ頼りやがって!!」という血も凍るような暴言が吐き出された、と。



そうそう、この「尿管結石事件」の前日談になるのですが、自分は「尿管結石事件」以前の1〜2年間、父親とはたまにご飯を食べに行く関係でありました。しかし、自分はその間も大学生活やバイトでどんどんメンタルを病んでいきましたから、父親とご飯に行くのもしんどくなっていきました。自分は父親とのご飯の中で、古本屋バイトにおける様々な辛さを父親に喋っていたのですが、それに対する父親のリアクションがまぁ薄かったのです。なんのアドバイスも共感もなく「そうか〜」くらいなものです。そして、父親が饒舌に喋る事と言ったら、スピリチュアルや陰謀論的な話ですからね。自分は徐々に父親とのご飯に無力感を感じていきました。そして、「尿管結石事件」の1〜2ヶ月前から、父親と一切コンタクトを取らなくなっていたのです。その期間自分は父親の事を無視するような形になっていました。もしかしたら、自分のそんな行動が父親の不興を買い、例の暴言「こんな時だけ頼りやがって!!」に繋がった可能性もあります。



また、以前の記事でお話しした通り、うちの父親は長年医療関係者として、患者さん達の診療に当たってきていました。父親が開業したのは自分が小学校3年生の時です。開業から5年間くらいはかなり患者さんの数が多く、それでかなり消耗していたと聞きます。また、昼夜を問わない往診の依頼にも全て応えていたそうです。



そんな患者さん達の中には父親が「こんな時だけ頼りやがって!!」と言いたくなる患者さんもいたのだと思います。何故なら本来の父親は滅茶苦茶人嫌いな人間だからです。滅茶苦茶人嫌いですし、滅茶苦茶他人に興味がありません。そんな滅茶苦茶人嫌いな父親が、仕事で超激しく消耗すれば、患者さんに対してそう感じる事もあったでしょう。しかし、当然父親は患者さん達に直接その思いをぶつける事は出来ません。そんな事をしたら、評判が下がるのは目に見えています。そこでその無意識の積年の恨みが、「尿管結石事件」の際に吐き出された、と。そう、息子である自分に対して「こんな時だけ頼りやがって!!」という言葉で吐き出されたのではないかと思います。



まぁいづれにしろ、父親自身もかなり鬱屈した人生を送ってきており、かつての自分と同じように父親も自己認識能力が皆無の人間です。自身の人生を何も整理整頓出来てきていません。この15年間、自分は幾度となくあの暴言の理由を父親に聞いているのですが、父親自身もあの暴言が出た背景を何も説明する事が出来ないのです。いづれ機会があれば、またこの辺の話を父親にぶつけてみて、改めて見解を聞いてみたいものです。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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