皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「家族内の人間関係からも脱落し始める(過去編・2000年3月・25歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が大学空手部引退後も様々な場所で挫折を繰り返し、「自分に対する自信」を失っていった、という話でした。ではここでいつものフローチャートを貼りたいと思います。このフローチャートは自分が幼い頃よりどのように「自分に対する自信」を失っていったのかを示しています。各項目後ろの数字は、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。この数値を「メンタル数値」と呼んでいます。この数値が下がれば下がる程、自分が「自分に対する自信」を失った事を示します。同時に「被害妄想」と「体調」の悪化も意味しています。
「鬱悪化のフローチャート」
3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を表現するのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)
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小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)
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小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人感(マイナス5)
(詳細はこちら)
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小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8)→ 被害妄想発症
(事件の概要はこちら・被害妄想についてはこちら)
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中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)
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中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)
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中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)
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高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)
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高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)
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高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス21)
(概要はこちら)
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高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス22)→ 鬱を完全発症
(事件の概要はこちら・8個の鬱の諸症状はこちら)
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自分を変える為に大学に入学後空手部に入部。そして、そこでの稽古の厳しさを乗り越えようと必死に自主練を繰り返すが全く体力が付かない。自分の中で無力感がどんどん増えていき、「被害妄想」がさらに悪化。それにより、空手部の稽古に対して「死の恐怖」を感じるようになり、夜眠れなくなってしまった。この生活を3年間続けた結果、鬱がさらに3倍に悪化。「鬱の廃人」状態に突入。(マイナス66)
(この時代の12個の鬱の諸症状はこちら)
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大学3年生でカウンセリングを受け始めるも、鬱の諸症状の辛さをほとんど喋る事が出来ず、短期的には何のポジティブな効果も得られず。(マイナス66)(詳細はこちら)
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大学空手部引退後も、トレーニングという名の「無意識の自傷行為」を続けてしまい、鬱が全く回復しない(マイナス66)(詳細はこちら・大学空手部引退後の「鬱の廃人」状態はこちら)
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大学空手部引退後、自分の居場所を作ろうと、ロックダンス教室、タップダンス教室、ファミレスバイト、自動車教習所にチャレンジするも、全く周りとコミュニケーションが取れず、全て挫折。(マイナス71)(概要はこちら)
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1つ目の大学を中退し、2つ目の大学で大学生活をやり直す。しかし、半年でクラスと手品サークルの人間関係から脱落。その後タップダンス教室や大学の体育の授業でも人間関係を作れず、大学生活が破綻。(マイナス76)(概要はこちらとこちら)
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大学を1年間休学し、比較的穏やかに過ごす。(マイナス76)
(概要はこちら)
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2つ目の大学に復学し、和楽器サークルに居場所を作ろうとするも、やはり周りの学生と全くコミュニケーションが取れず、3ヶ月で大学生活から脱落。(マイナス81)(概要はこちら)
そして、大学空手部引退後の鬱の諸症状が以下の通りになります。上記のメンタル数値で言いますと、マイナス66〜マイナス81の期間の鬱の諸症状です。
「大学空手部引退後の10個の鬱の諸症状」
①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分は、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい
⑧慢性的な口内炎
⑨自分は大学空手部の3年間でさらに「自分に対する自信」をさらに3倍失っていた。そして、自分の頭の中には依然として「トレーニング=体力が付く=自信が付く」という図式が色濃く残っており、この図式が自分にも当てはまると相変わらず信じていた。そこで、空手部を引退し、人間サンドバッグの恐怖が無くなったにも関わらず、「自分に対する自信」を回復させる為に自主練をを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)
しかし、空手部の頃と同様にトレーニングを積み重ねても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。体調が少し回復すると、またトレーニングをしてしまう。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。
10 大学空手部の3年間で「自分に対する自信」がさらに3倍失われた事で、「被害妄想」もさらに3倍悪化。自分は大学生活の中で何をしていても全く自信が持てず、常に他人の視線を気にし、病的(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」している状態。もはや自分にとって「自分という存在の価値」は、髪の毛一本より軽くなっている感じで、いつ他人から軽んじられ、無根拠に攻撃されても全くおかしくないような、そんな凄まじい緊張感の中で日々を送る羽目に。こんな状態では、完全に社会生活は不可能。
おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調
『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』
う〜ん、「鬱の廃人」状態ですね。このような状態で自分は大学復学に失敗した、という話になります。(2001年7月頃・25歳)さて、話を進めたいと思います。自分は大学復学に失敗した事で、大学内に自分の居場所を作る事を諦めてしまいました。そう、自分が大学内で人間関係を作る事が不可能である事を悟ったのです。自分は2つ目の大学に入学して以降、以下の場所で居場所を作ろうとしてきました。
・大学のクラス
・手品サークル
・体育のクラス
・和楽器サークル
しかし、自分はどこに行っても周りとコミュニケーションが全く取れません。ここまで挫折が続くと、自己認識能力に乏しい自分でも、大学内に居場所を作る事は到底不可能であると薄々理解し始めていたように思います。そして、その頃自分は新たなバイト先として、古本屋を選んでいました。ここは2つ目の大学への復学に際して、リハビリの意味で始めたバイトでした。そこで自分は和楽器サークルを辞めた後、ここに活路を求めました。なんとかこの「古本屋バイト」を上手くこなして、大学復学への足掛かりにしたいと思ったのです。
ところがやはりここでも自分は上手く行きません。そもそも上記の通り自分の体調は鬱のせいでぶっ壊れています。この古本屋バイトは、かなり労働量が少ないバイトでしたが、それでもバイト中の自分は上記の諸症状が辛くて仕方ないのです。そう、このバイトは基本レジ前に1人で立っているだけのホントに楽なバイトでしたが、それにも関わらず、自分の意識は背中の激痛や冷え性に襲われ続け、それらの肉体的苦痛がホントに辛くて仕方なかったのです。自分はいつも泣きそうな気持ちでレジ前に立っていました。
そして、病的(×3倍)な被害妄想も相変わらずです。自分はその古本屋の店長に仕事の事で注意されるとビビりまくっていました。その注意は今から考えると穏やかで合理的な注意でしたが、当時の自分にとっては「自分の人格を全否定された!!」と感じる程の凄まじい精神的ダメージがあったのです。被害妄想が病的(×3倍)ですからね。ですから、自分は徐々にこの店長の事が恐ろしくて仕方なくなり、バイトのある日の前夜は恐怖で眠れなくなっていきました。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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