皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 「自分に対する自信」を失い続けた結果の尿管結石(過去編・2003年10月・27歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が幼い頃から「自分に対する自信」を失い続けた結果、27歳で尿管結石を発症した、という話でした。ではここで
いつものフローチャートを貼りたいと思います。前回の記事で新しく作った項目を付け足してあります。前回の記事をお読みの方はスルーして下さい。
このフローチャートは自分が幼い頃よりどのように「自分に対する自信」を失っていったのかを示しています。各項目後ろの数字は、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。この数値を「メンタル数値」と呼んでいます。この数値が下がれば下がる程、自分が「自分に対する自信」を失った事を示します。同時に「被害妄想」と「体調の悪化」も意味しています。
「鬱悪化のフローチャート(3歳〜28歳)」
3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を表現するのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)
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小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)
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小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人感(マイナス5)
(詳細はこちら)
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小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8)→ 被害妄想発症
(事件の概要はこちら・被害妄想についてはこちら)
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中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)
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中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)
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中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)
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高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)
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高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)
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高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス21)
(概要はこちら)
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高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス22)→ 鬱を完全発症
(事件の概要はこちら・8個の鬱の諸症状はこちら)
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大学に入学後空手部に入部し、そこでの稽古の厳しさを乗り越えようと必死に自主練を繰り返すが全く体力が付かない。自分の中で無力感がどんどん増えていき、「被害妄想」がさらに悪化。それにより、空手部の稽古に対して「死の恐怖」を感じるようになり、夜眠れなくなってしまった。この生活を3年間続けた結果、鬱がさらに3倍に悪化。「鬱の廃人」状態に突入。(マイナス66)
(この時代の12個の鬱の諸症状はこちら)
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大学3年生でカウンセリングを受け始めるも、鬱の諸症状の辛さをほとんど喋る事が出来ず、短期的には何のポジティブな効果も得られず。(マイナス66)(詳細はこちら)
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大学空手部引退後も、トレーニングという名の「無意識の自傷行為」を続けてしまい、鬱が全く回復しない(マイナス66)(詳細はこちら・大学空手部引退後の「鬱の廃人」状態はこちら)
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大学空手部引退後、自分の居場所を作ろうと、ロックダンス教室、タップダンス教室、ファミレスバイト、自動車教習所にチャレンジするも、全く周りとコミュニケーションが取れず、全て挫折。(マイナス71)(概要はこちら)
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1つ目の大学を中退し、2つ目の大学で大学生活をやり直す。しかし、半年でクラスと手品サークルの人間関係から脱落。その後タップダンス教室や大学の体育の授業でも人間関係を作れず、大学生活が破綻。(マイナス76)(概要はこちらとこちら)
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大学を1年間休学し、比較的穏やかに過ごす。(マイナス76)
(概要はこちら)
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大学休学中、家の中に「居場所」「安心」「暖かさ」を求め、15年間続く両親の喧嘩の仲裁に動く。しかし、母親の心の中には15年間に渡って蓄積した「父親への不信感」が膨大に存在し、説得が全く通じない。自分は次第に仲裁を諦め、無力感を感じるようになっていった。そして、いつまでも父親の糾弾を続ける母親に対して、憎しみがどんどん増えていった。(マイナス78)(概要はこちら)
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2つ目の大学に復学し、和楽器サークルに居場所を作ろうとするも、やはり周りの学生と全くコミュニケーションが取れず、3ヶ月で大学生活から脱落。(マイナス83)(概要はこちら)
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2つ目の大学の復学に失敗後、再起をかけて古本屋バイトに取り組むも、「被害妄想」と「鬱の諸症状」が酷く、1年半で支店を撤退。その後、残った本店での人間関係もどんどん厳しくなっていった。(マイナス88)(概要はこちら)
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大学復学に失敗し、古本屋バイトでも挫折し続ける間、妹の方は海外ホームステイに成功したり、新しい彼氏が出来たりで、充実した生活を送っているようだった。それに対する劣等感がすごい勢いで増大。(マイナス91)(概要はこちら)
なるほど〜。このようにメンタル数値がマイナス91まで下がった所で、尿管結石が発症した、という事になります。詳しく書きますと、ある日自分と妹との間に激しい口論が発生しました。その事で自分の心の中に激しい2つの被害妄想が発生し、その2つの被害妄想が尿管結石発症の発端となった、という流れです。そして、痛みに耐えかねて父親に助けを求めに行った所、「こんな時だけ頼りやがって!!」という血の凍るような暴言を吐かれた、と。これが「尿管結石事件」です。
その後自分は病院に担ぎ込まれ、そこで様々な苦痛に七転八倒したのですが、そこの詳細はとりあえず割愛します。詳しく知りたい方は今年7月の記事をお読み下さい。ただ、その時にまとめた[尿管結石事件で受けた8つの精神的・肉体的ダメージ]がありますので、それを貼りたいと思います。
かなり長いコピペになります。
[尿管結石事件で受けた8つの精神的・肉体的ダメージ]
①自分は2つ目の大学生活もバイトも何もかもが上手く行かず、鬱をさらに悪化させていた。当時27歳。寝ても寝ても慢性的な疲労感と眠気は改善していかず、逆に悪化していく一方。すると睡眠に対する渇望感がどんどん増していき、「睡眠を妨害する音」に対する過敏さがどんどん酷くなっていった。この一番の標的になったのが「隣の部屋の妹の出すドア音」。
2003年10月のある日、自分は怒りの限界を迎え、妹にクレームを言いに行くも妹も反論してきて、激しい口論に。15分程で自分は疲労困憊状態に陥り、自分の部屋に戻るも怒りは全く収まらない。そこで自分は妹が出て行く音を聞いたのだが、ここで以下の被害妄想が発生。「妹はあの後彼氏の元に向かい、先程の激しい口論の話をするに違いない。そしたら、彼氏が怒り狂い、自分の部屋にバットを持って殴り込みに来るのではないか??」そして、自分はこの被害妄想を信じ込み、それに備えて部屋にバリケードを作り、武装したのであった。この妹との激しい口論で発生した激しい「憎悪」と「疲労感」と「被害妄想」。これらの深い精神的・肉体的ダメージの数々が尿管結石発症のきっかけになったように思う。
②部屋にバリケードを作った直後、夕食を食べていたら、謎の下腹部の痛みが発生。その痛みはどんどん酷くなっていったので、父親を頼っていくと、父親から「こんな時だけ頼りやがって!!!」という信じられない暴言を食らった。(詳しい話はこちら→〜痛みに悶える自分に父親が言い放った破壊的暴言〜尿管結石にのたうち回った1日②)これによって父親に対する憎しみが「殺したい」程に膨れ上がる。
③尿管結石の凄まじい痛みで病院へ担ぎ込まれる。
④尿管結石の痛みが余りに凄まじいので「殺したい」程憎い父親に看病を頼らざるを得ない。後から考えるとこれは「屈辱感」という言葉ではとても言い表せない程の「汚辱感」。
⑤尿管結石の痛みが収まってくると自分の中で凄まじい安堵感が発生し、その安堵感を父親と共有してしまった。一方、痛みが収まってきた事で自我が復活し、父親に対する「殺したい」程の憎しみも復活していた。つまりこれは、「殺したい」程憎い父親と安堵感を共有してしまった、というかなり両価的な状況。自分の心は真っ二つに引き裂かれ、そこでも精神的ダメージが発生。
⑥ 病院には母親も来たのだが、①〜④のダメージで衰弱し切っていた自分には「父親とは喋るけど、見舞いに来た母親とは喋らない」というねじれた行動を取る気力は残っていなかった。特に③、④は自分の中に猛烈な自己矛盾の嵐を巻き起こしており、もはや自己矛盾の嵐が1個発生しようが、2個発生しようが、変わらないだろう、というヤケクソな気持ちも。しかし、やはり自分にとっては母親も「殺したい」程憎い存在。その母親と喋るという事は自分の中に強烈な自己矛盾の嵐を発生させた。(何故「殺したい」程の憎しみを抱くにいたったのかはこちら→)
⑦自分は1年ぶりに母親と喋る上で以下の2つを母親に期待していた。
・母親はついさっきまで尿管結石の痛みでのたうち回る自分の姿を見ていた訳だから、自分に対して病人に接するような優しい態度で接してくるのではないか。
・母親と没交渉だった1年の間に、「母親が父親の事を10年以上に渡って責め続けている」件について、母親が少しは反省してくれたのではないか。
しかし、母親と喋り始めてみると、喧嘩腰で喋り始めた自分も悪いのだが、母親の対応も不機嫌。そこから1年前と同じような口論が始まり、ヒートアップ。その中で自分は母親が上記の件に関して全く反省していない事を知る。また、母親からは病人の自分に対する労りの態度も全く見えない。2つの期待は見事に裏切られ、とても悲しい気持ちになる。
⑧ ①〜⑥のダメージの蓄積により、自分の中には果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」が発生。これは「中指の拷問」級の「無力感」「絶望感」「理不尽感」。(「中指の拷問」についてはこちら→「花粉症発症→ぎっくり腰事件」を別のモノで例えてみる(2007年3月・32歳))そして、それから4年後に起きる事になる「花粉症発症→ぎっくり腰事件」においても「中指の拷問」級の「無力感」「絶望感」「理不尽感」が発生している。つまり、2つの事件で受けたダメージ量は等しいので、「尿管結石事件」=「花粉症発症→ぎっくり腰事件」という事になる。
なるほど。では上記のダメージを踏まえた上で、フローチャートに「尿管結石事件」の件りを新しく付け加えたいと思います。こんな感じになります。
2003年10月のある日、尿管結石が発症し、あまりの痛みに父親に助けを求めるが、父親から「こんな時だけ頼りやがって!!」という血も凍るような暴言を吐かれる。そして、その後病院に担ぎ込まれ、そこでも甚大な精神的・肉体的苦痛を受ける事となった。
問題はこの「尿管結石事件」によりメンタル数値がどれくらいまで下がったのか、という話になります。とは言いましても自分の中ですでに答えは出ています。答えは「マイナス132」です。何故そうなるのか説明したいと思います。まず、自分が1つ目の大学で空手部を引退した時のメンタル数値が「マイナス66」なんですね。そして、そこから5年間が経つ間に自分の鬱はさらに2倍悪化しています。ですから、66×2=132です。つまり自分の人生における鬱の悪化をフローチャートでざっくり書きますとこういう感じになります。
高校2年生で鬱発症(マイナス22)
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1つ目の大学における3年間の空手部生活で鬱が3倍に悪化(マイナス66)
↓
「大学空手部引退」から「尿管結石事件」の5年間で鬱はさらに2倍悪化(マイナス132)
そして、「大学空手部引退」から「尿管結石事件」の5年間で自分が鬱を悪化させた場所、事件は以下の通りになります。
「大学の空手部引退」後 から「尿管結石事件」の5年間、居場所作りに挫折した場所(時系列順)
・ロックダンス教室
・ファミレスバイト
・自動車教習所
・2つ目の大学のクラス
・2つ目の大学の手品サークル
・タップダンス教室
・2つ目の大学の体育の授業
・タップダンスの発表会
・(休学期間中)母親との関係
・2つ目の大学の和楽器サークル
・古本屋バイト(支店)
・古本屋バイト(本店)
・父親との関係・妹との関係
・「尿管結石事件」
なるほど。そりゃ鬱が2倍悪化する訳です。
という訳で、「尿管結石事件」後のメンタル数値は「マイナス66×2=マイナス132」となります。そして、上記のフローチャートで見ますと、「尿管結石事件」直前妹への劣等感の件りでのメンタル数値は「マイナス91」です。つまり、「尿管結石事件」単体で見ますと、メンタル数値は「マイナス41」下がった、という事になります。かなり下がりましたねぇ。
ただ、この下り幅は妥当な所だと思います。ただでさえ、当時の自分の身体は鬱の廃人状態にあった上に、病的(×3倍)な被害妄想も発症していましたのです。その上凄まじい肉体的苦痛に襲われた上に、父親から血も凍るような暴言を浴びたのですからね。そして、病院に担ぎ込まれてからも、エグい肉体的・精神的ダメージを立て続けに受けました。上記の⑧にありますように、トータルのダメージ量は中指の拷問一回分ですからね。そりゃ「マイナス41」下がるな、という印象です。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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