鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

「何故に自分は社会から完全脱落する羽目になったのか??」という疑問②(過去編・2004年3月・28歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 「何故に自分は社会から完全脱落する羽目になったのか??」という疑問(過去編・2004年3月・28歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、「尿管結石事件」後の自分が、両親と話す中でとある謎を解いていこうとした、という話でした。その謎とは、


「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」


です。そう、この頃の自分は、2つ目の大学は退学していましたし、最後に残った古本屋バイトからも脱落寸前でした(2004年5月頃・28歳)。そして、この古本屋バイトはかなり仕事が楽で、人間関係も緩いバイトでしたから、ここが駄目ならもはや自分に務まりそうなバイトはありません。そう、いよいよこの世の中から自分の居場所になりそうな場所が無くなろうとしていました。



振り返ってみますと、自分は1つ目の大学の4年生で空手部を引退しました。その後、自分の居場所を見つけようと、6年間に渡って様々な場所でもがき苦しみ続けました。以下自分が挑戦したものの一覧です。


・ロックダンス教室

・ファミレスバイト

・自動車教習所

・2つ目の大学のクラス

・2つ目の大学の手品サークル

・タップダンス教室

・2つ目の大学の体育の授業

・タップダンスの発表会

・(休学期間中)母親との関係

・2つ目の大学の和楽器サークル

・古本屋バイト(支店)

・古本屋バイト(本店)

・父親との関係、妹との関係



自分は上記の場所に自分の居場所を探し続けましたが、全ての場所で挫折を重ね、とうとう最後の古本屋バイト(本店)からも脱落しようとしていたのです。そう、自分は思い付く限りの場所で自分の居場所を探し続け、全ての場所で挫折し続けたのです。もはや自分の中には「ここに行けば自分の居場所が見つかるかも??」という場所が思い浮かばなくなっていました。



また、「尿管結石事件」後の自分はさらに心身を壊していたから、体調面でもバイトを続けるのがホントに厳しくなっていました。そもそも事件前の自分の体調は「鬱の廃人」状態にあったのですが、それはさらに2倍に悪化してしまったのです。



ではまず、この「鬱の廃人」状態がどのような状態だったのか、という話です。事件から遡る事6年前、自分は1つ目の大学の空手部時代に鬱を3倍に悪化させ、「鬱の廃人」状態に陥っていました。以下に「鬱の廃人」状態の詳細を貼らせて貰います。



「大学空手部引退後の10個の鬱の諸症状」(=「鬱の廃人状態」)


①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)

②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)

③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)

④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)

⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)

⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分は、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい

⑧慢性的な口内炎

⑨自分は大学空手部の3年間でさらに「自分に対する自信」をさらに3倍失った。そして、自分の頭の中には依然として「トレーニング=体力が付く=自信が付く」という図式が色濃く残っており、この図式が自分にも当てはまると相変わらず信じていた。そこで、空手部を引退し、人間サンドバッグの恐怖が無くなったにも関わらず、「自分に対する自信」を回復させる為に自主練をを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)



しかし、空手部の頃と同様にトレーニングを積み重ねても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。体調が少し回復すると、またトレーニングをしてしまう。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。

10 大学空手部の3年間で「自分に対する自信」がさらに3倍失われた事で、「被害妄想」もさらに3倍悪化。自分は大学生活の中で何をしていても全く自信が持てず、常に他人の視線を気にし、病的(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」している状態。もはや自分にとって「自分という存在の価値」は、髪の毛一本より軽くなっている感じで、いつ他人から軽んじられ、無根拠に攻撃されても全くおかしくないような、そんな凄まじい緊張感の中で日々を送る羽目に。こんな状態では、完全に社会生活は不可能。


おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調


『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』



そして、上記の「鬱の廃人」状態はその後の6年間で2倍に悪化していました。先程も書きましたように、この6年の間には様々な場所での挫折が続きましたし、さらにダメ押しで「尿管結石事件」もありましたからね。「鬱の廃人」状態は2倍に悪化してしまいました。これから表記としましては『「鬱の廃人」×2倍状態』と書きたいと思います。こんな『「鬱の廃人」×2倍状態』では古本屋バイトを続けられるはずがありません。いくら古本屋バイトが楽な仕事だと言っても、レジ前でただ立っている事すら辛くて仕方なくなってきたのです。



この頃の自分は、自分がいよいよ社会から完全脱落しつつある事を感じていました。そこで心の中に浮かんで来たのが、


「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」


という問いだったのです。そして、この頃の自分は親とのコミュニケーションを再開していましたから、親との話の中でこの謎を探っていこうと思ったのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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