鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

小学校3年生で離人感を発症していた事に気付き、驚愕(過去編・2004年9月・28歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 小学校3年生以降、記憶から色が抜け落ちている事に気付き、驚愕③(過去編・2004年9月・28歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事も、自分が記憶のサルベージ(言語化)を進めていき、小学校3年生の頃の記憶をノートに書いていった、という話をでした。記憶のサルベージ(言語化)とは、自分が28歳〜29歳の時に行っていた過去の記憶をノートを書く行為の事を指しています。この時の自分は全ての社会生活と家族関係から脱落し、部屋に引きこもっています。



さて、自分は小学校3年生付近の記憶をノートに書いていく中で、小学校3年生を境目にして、記憶の色が全く変わっている事に気付きました。小学校3年生「以前」の記憶には「鮮やかな色」が付いているのですが、小学校3年生「以降」の記憶からは色が剥げ落ち「灰色」一色なのです。


そして、さらに当時の記憶を言語化していきますと、小学校3年生で家庭環境が急激に悪化し、それにより自分のメンタルも急激に悪化した事が分かってきました。メンタルの悪化は持病の喘息を急激に悪化させ、自分は半不登校児のような生活を送る事になったのです。


一方、小学校3年生「以前」の記憶を言語化してみますと、それは真逆でした。家庭内はまだ比較的安定しており、自分の喘息はそこまで酷くはありませんでした。ですから、学校には毎日通えていましたし、友達と楽しく遊んでいる記憶もありました。


つまり、小学校3年生を境目とする記憶の色の激変の原因は生活環境の激変にあったのです。それにより自分のメンタルが急激に悪化し、毎日が灰色の日々になったという事です。そう、自分は小学校3年生にしてすでに心を病み始めていました。以前の記事にも書きましたが、自分はこの頃スイミングスクール内で「離人感」も発症していました。(離人感の詳細はこちら)小学校3年生で精神疾患を発症していてのですから、驚きです。これもノートを書いていて驚いた事の一つです。



当時自分はスイミングスクールに通っていたのですが、これが嫌で嫌で仕方なかったのです。自分は日々喘息で眠れない日々を送っていましたから、背中の疲労感や眠気が慢性的になっていました。そして、時には前夜一睡もしていない状態で、小学校に行き、その後放課後にスイミングスクールに行く事もありました。こうなりますと、スイミングスクールが始まる前の時点で、自分の心身は疲労困憊状態に陥っていました。そして、この状態でハードな運動であるスイミングをしなければなりません。自分は疲労困憊状態で絶望的な気持ちでスイミングスクールに通っていました。



そして、スイミングスクールの授業が始まります。そうすると、さらに身体には疲労感が蓄積していきます。自分の心身はこれ以上の疲労感の蓄積に耐えられません。すると、自分の視界には自動的に半透明な幕が降りてきまして、現実感が半分無くなってしまうのです。視界がぼんやり歪み、半分他人事みたいな感覚になってしまいます。もうなんか自分という存在がフラフラフワフワ滅茶苦茶不安定な感覚です。あれはホントキツかった記憶です。



子供時代の自分は、この状態が何なのかさっぱり分かりませんでした。しかし、28歳の自分はノートに当時の事を書いていて驚きました。「スイミングスクールでのあの感覚は、離人感だったのか!!」と。



そして、自分の人生の闇の深さに驚いた記憶です。「小学校3年生で精神疾患を発症してるって、俺の人生、先行きが暗過ぎるだろ。」と。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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