鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

サッカーのワールドカップ中の激しい殺意〜引きこもり中の鬱の諸症状⑧(過去編・2005年1月・29歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「引きこもり中の被害妄想〜引きこもり中の鬱の諸症状⑧(過去編・2005年1月・29歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が引きこもっていた時期の「被害妄想」について考えてみました。当時の自分は29歳です。全ての社会生活と家族関係から脱落し、部屋に引きこもって過去の記憶をノートにひたすら書く日々を過ごしていました。


引きこもり中の被害妄想で最も酷かったものが、寝付く際の被害妄想です。ここから先は前回記事を貼らせて貰います。


①当時の自分は睡眠を取っても取っても酷い疲労感が全く取れず、睡眠への欲求が底無しになっていた。自分にとって睡眠は、自分の生命と同じ価値を持っており、「睡眠を妨害される」=「生命を激しく傷付けられる」となっていた。故に自分の睡眠を妨害する可能性のある音に対して、「病的(×6倍)な怯え」と「病的(×6倍)な憎しみ」を感じる事に。


そして、実際に自分が睡眠を取ろうと布団の中に入ると、瞼を閉じた途端、上記の怯えと憎しみに襲われてしまい。全く眠る事が出来ない。実際にはまだ「睡眠を妨害する音」は発生していないのだが、その発生を先取りして考えてしまい、予期不安(予期憎悪)が発生。これにより自分の身体は恐怖と緊張でガチガチに強ばり、冷や汗ダラダラで覚醒してしまう。睡眠を取る際には毎回1時間、この恐怖と緊張に必死に耐え続けないと、寝付く事が出来なかった。


また、当時の自分は睡眠への欲求が底無しになっており、身体が無限に睡眠を要求していた。しかし、いざ実際に睡眠を取ろうとすると、上記の如く「病的(×6倍)な怯え」と「病的(×6倍)な憎しみ」に襲われ、全く寝付く事が出来ない。身体は無限に睡眠を欲しているにも関わらず、いざ睡眠を取ろうとすると、耐え難い精神的苦痛に襲われてしまう。これは自分の身体の中で起こっていた「激し過ぎる自己矛盾」であり、これによるメンタルダメージも甚大だった。



こんな感じで自分は寝付く際に病的(×6倍)な被害妄想に攻撃され、甚大なメンタルダメージを受けていました。上記の文の中に出てくる


・病的(×6倍)な怯え

・病的(×6倍)な憎しみ

・予期不安(予期憎悪)

・激し過ぎる自己矛盾


これらは全て病的(×6倍)な被害妄想から派生したものです。引きこもりの1年間において、寝付く前のこれらによる精神的ダメージはまぁエグかった。あの1年間でダントツに辛かった時間帯が、「寝付くまでの1時間」でしたからね。ホント被害妄想が病的(×6倍)に酷かったと思います。



ただ寝付く際の「被害妄想」に関しては上記の①でまとめていますので、これ以上書く事はない感じです。



では、寝付く時間「以外」の「被害妄想」はどんな感じだったのか、今回の記事はそれを思い出して行こうと思います。自分は寝付く時間以外の起きている時間にも病的(×6倍)な「被害妄想」に怯えていた記憶です。まずは周りの物音に対して「病的(×6倍)な怯え」と「病的(×6倍)な憎しみ」を感じていましたね。



例えば、ノートを書いている時、周りで近所の犬が吠えたり、下で家族が喋ってる声が聞こえたりすると、それはもう激しい怯えと憎しみに襲われていた記憶です。思い出しました。あの時期は妹と母親が深夜に日本代表のサッカーを見ている事があったんですよ。ワールドカップの予選の試合です。それで深夜にあの2人がサッカーを見て歓声を上げたりするのですが、その声が階下から聞こえてくると自分はブチ切れまくっていました。



ただでさえ当時の自分は母親と妹に対して「殺したい」程の憎しみを感じていました。(何故そうなったのか、詳細はこちら)そして、28歳の自分は部屋に引きこもり、ノートにひたすら過去のトラウマを書いていたのです。ノートに自分の過去のトラウマを書いていき、それをひたすら再体験する事自体が発狂もののストレスでした。自分は記憶のサルベージ中に何度泣いたか分かりません。



そんな時に、階下から2人の歓声が聞こえてくるのですから、もうたまりません。ホント「殺したい」程の衝動を我慢するのが大変でした。歓声が聞こえてくるたびに、衝動を我慢出来ず「あ"〜〜〜〜〜っっっ!!!」と奇声をあげ、床をガンガン蹴っていましたからね。



ですから、あの時期の自分はサッカーやオリンピックなどの国民的なスポーツイベントが死ぬ程嫌いでした。ただでさえ、自分は幼い頃から喘息で苦しみ続け、スポーツとは無縁の人生を送っていました。ですからそもそもそれらに全く興味が無かったですし、そこに来ての先程の状況ですからね。あれはもう発狂もののストレスでした。



当時の自分はワールドカップ予選が始まるととにかく日本が早く負けるよう必死に祈っていました。そうでないといつまでも深夜に母親と妹の歓声を聞き続けるになります。しかも自分は母親と妹が一緒にサッカーを見ている事にもムカつきまくっていました。何故なら自分はこの2人に対して「殺したい」程の憎しみを感じていたのです。そんな2人が揃って楽しそうにサッカーを見ているのですからね。あれはホント殺意が酷かったです。



こうやって思い出してみますと、当時の自分は「寝付く時間」以外にも病的(×6倍)な被害妄想に苦しみまくっていた事がよく分かります。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!


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