鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。skipper1242でツイッターもやってます。

小学校3年生で承認欲求が飢餓状態に陥る(過去編・2005年3月・29歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 精神的ショックを伴う事件が「トラウマ」になるのか「良い人生経験」になるのかの分岐点②(過去編・2005年3月・29歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事も、トラウマに関して自分が思う事を書いてみました。さて、話を戻したいと思います。自分が部屋に引きこもって過去の記憶をノートに書いている頃の話に戻ります。当時の自分は29歳で、暦は2005年の3月頃です。ノートに過去の記憶を書き始めてからは1年弱が経っており、部屋に引きこもってからは半年が過ぎていました。自分はノートに過去の記憶を書く行為を記憶のサルベージ(言語化)と呼んでおり、その中で様々な自分に関する発見がされていきました。その発見は以下の通りになります。以前の記事でまとめたものになります。



「記憶のサルベージの前半戦における7つの大きな発見」


①小学校3年生を境目にして、記憶の色が明らかに変わっている。小3「以前」の記憶には鮮やかな色が付いているのだが、小3「以降」の記憶は「灰色」一色。記憶から色が完全に剥げ落ちている。


②記憶の色の変化の原因は、当時の家庭環境の急激な悪化にあった事が判明。それに伴いメンタルが急激に悪化し、持病の喘息も急激に悪化。学校を休みがちになり、半不登校児になっていた事も思い出す。


③小3の時に通っていたスイミングスクールで離人症を発症していた事が判明。小3で精神疾患を発症していた事を知り、自分の人生の先行きの暗さに愕然とする。


④高校時代の時点で「鬱状態」に陥っていた。

⑤大学空手部の3年間は全くもって無駄だった。

⑥大学空手部の3年間で鬱がさらに3倍悪化した。

⑦自分の人生はただひたすらに人間関係で挫折を繰り返し、大学空手部も大失敗し、心身が壊れていくだけの人生だった。



自分は上記の発見を踏まえた上で記憶のサルベージ(言語化)の後半戦に突入していきました。そこで自分がまず最初に言語化したのが、小学校6年生の時の記憶です。自分はこの時期に中学受験の塾に通っていたのですが、そこで甚大な精神的ショックを受けた気配が残っていたからです。自分はノートを書きながら、「何故当時の自分は中学受験の塾に通い出したのだろう??」と思いました。そこでそもそもの「動機」の部分も含めて、小学校3年生の頃の記憶から紐解いていきました。そこで言語化したものが以下の6つの事象です。


①小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化

②同時期の喘息の急激な悪化

③同時期のスイミングスクールでの離人

④同時期の半不登校児化

⑤小学校5年生の時に中学受験の塾に通い始めた

⑥小学校6年生の夏に起こった「A先生怒鳴られ事件」


そして、自分はこの7つの事象に感情の因果関係を見つけていき、これらの事象を一つのエピソードに組み上げていきました。そこで出来上がったものが以下のエピソードになります。こちらも以前の記事からの引用になります。



そこで、自分は小学校3年生、4年生の頃の記憶を思い出していきました。すると小学校3年生の頃に家庭環境が急激に悪化し、子供の自分のメンタルも急激に悪化した事を思い出したのです。それにより持病の喘息も急激に悪化。自分は小学校の半分を休まなければなりませんでした。さらには当時通っていたスイミングスクールでは離人感を発症していたのです。



当時うちの両親はエネルギーと時間の全てを新規事業と夫婦喧嘩に投入しており、消耗し切っていました。そこでは子供の自分が省みられる事などありません。開業前から両親は自分に対して無関心でしたが、開業後それは悪化したのです。ですから自分は親から遊んで貰った記憶などありませんし、興味を持って貰った記憶すらないのです。よって子供の自分は親に対して何の信頼も愛情も感じていませんでした。そして、自分という存在が家庭内においてかなり不安定な存在である事に、かなりの不安感と危機感を抱いていたのです。このメンタルダメージが喘息を急激に悪化させた原因でした。



一言で言いますと、自分は家庭内において「承認欲求」が全く満たされていなかったのです。衣食住などの物理的な環境は用意して貰っていましたが、それが満たされる事は全くありませんでした。当時の自分の気持ちを言語化すると、「俺この家にいてもいいの??」的な感じです。自分がこの家に存在して良いという理由がまるで見つからないのです。もしくは自分という存在がこの世の中に存在して良いという理由がまるで見つからないのです。これでは自分が自分に対して自信を持てるはずがありません。自分は家庭内において、「自分に対する自信」を失い続けていました。



そこで子供の自分は考えました。「得意な勉強でなら、大人に褒めて貰えるのでは??」、と。そう、家庭内において自信を喪失している自分にとって、外の世界の大人からの承認は喉から手が出る程欲しいものでした。ですから、それを得る為に中学受験の塾に通おうと思いました。中学受験の塾は「偏差値」が絶対的な価値基準です。勉強さえ出来れば先生に褒めて貰える事でしょう。自分は小学校5年生の時に自ら中学受験の塾に通い始めたのでした。



そこから順調に成績は伸びていきました。しかし、小学校6年生の夏に「A先生怒鳴られ事件」が発生したのです。(事件の概要はこちら)これにより自分は天国から地獄に叩きつけられました。事件後の自分は、完全に勉強する気力を失い、学力は急降下。自分は虚無感に支配され、親の金を盗んだり、万引きしたり、無断外泊したりと、問題行動が頻発しました。そして、私立中学受験に失敗したのです。



このように自分は7つの事象を言語化した上で、それを「A先生怒鳴られ事件」という一つのエピソードに組み上げていきました。何度も書いていますように、7つの事象を言語化する時には、激しい精神的苦痛が自分を襲いました。全てがネガティヴな記憶であり、子供の頃の自分が心を病んでいたという話ですからね。もちろん、「A先生怒鳴られ事件」における精神的ショックを思い出す際にも、悶絶しながらノートに当時の気持ちを書いていきました。



しかし、それぞれの事象は1度言語化してしまうと次に思い出す時の精神苦痛は最初程の苦痛ではありませんでした。何度も思い出せば思い出す程、その事象を思い出す際の精神的苦痛は下がっていった印象です。



そして、自分は言語化した7つの事象を1つのエピソードに組み上げていったのです。何度も書いていますが、この作業はかなり面白かった記憶です。それぞれの事象に感情の因果関係を見つけて、1つのエピソードにまとめ上げていきました。今回のエピソードの背景にあったものは「承認欲求の飢餓状態」でした。ではここからは「A先生怒鳴られ事件」を「承認欲求の飢餓状態」という切り口で改めて書いてみたいと思います。



幼い自分は「承認欲求」が家庭内で全く満たされていない子供でした。自分が小学校3年生の頃に父親が自宅で新規事業を始め、両親ともにそこに全ての時間とエネルギーを投入していったからです。その中で父親方の親族トラブルも発生し、母親は父親の事を激しく糾弾し始めました。これにより家の中は戦争状態に突入。両親は新規事業と親族トラブルで消耗し切っており、子供の自分は完全に放置される事になりました。また、我が家の周りには頼りになる親類縁者が誰一人いませんでしたから、そこでも自分は放置されていました。子供の自分は承認欲求が家庭内で全く満たされず、それが飢餓状態に陥っていきました。



故に、幼い自分は中学受験の塾の先生達に「承認」を求めました。自分は勉強は出来る子供だったからです。そして、自分は小学校5年生の4月に中学受験の塾に入学。そこから1年半一生懸命勉強した結果、灘中学を受験する子供と肩を並べるくらいの成績が取れたのです。これにより自分の「承認欲求」は激しく満たされてしまいました。そして、激しく満たされたが故に舞い上がってしまったのです。普段褒められ慣れていない子供が急激に褒められてしまったのですからね。自分は塾の授業が始まってからもはしゃぎ続けてしまい、塾で1番怖いA先生に「やる気のないやつは出ていけ!!」と怒鳴られ、黒板消しで頭を叩かれました。



自分は天国から地獄に落とされました。何故なら普段の自分は先生に怒鳴られるような生徒では全く無かったからです。むしろ全く逆の生徒でした。常に先生の顔色を伺い、先生の意向には絶対従う生徒でした。家の中で承認欲求が全く満たされていませんから、先生からそれを貰おうと必死だったのです。故に全く怒られ慣れていません。そんな自分が塾で一番恐ろしいA先生に怒鳴られてしまったのです。その精神的ショックは計り知れないものがありました。



事件後自分はこの事件を親を始めとして誰にも相談する事が出来ませんでした。これにより事件の記憶は全く整理整頓されないまま、記憶の海の底に沈んでいく事となりました。また、精神的ショックを自分独りの心の中に溜め込んだせいで、被害妄想も発生し、自分は塾に行くのが恐ろしくて仕方なくなってしまったのです。「今回の事でA先生に目をつけられ、これから自分は事あるごとにA先生からいじめられるのではないか??」、と。



この被害妄想により自分は塾をサボるようになってしまいました。当然成績は急落です。1年半の勉強の努力は水の泡と消えてしまいました。



これにより自分の中には虚無感が発生しました。もはや何もかもがどうでも良くなってしまったのです。自分は親の金を盗んでゲーセンに通い、万引きを繰り返し、無断外泊もしました。親の事など知ったこっちゃありません。むしろ少しくらい心配させてやろうと思っていました。



事件から半年後、自分は形だけは中学受験をしましたが、半年間全く勉強していない自分の学力は無惨なものでした。全ての私立中学の受験に失敗して、中学受験は幕を閉じたのでした。



いいですね!上記のストーリーは現在の自分(44歳)が、「A先生怒鳴られ事件」を思い出して書いたものですが、29歳の頃の自分が組み上げた「A先生怒鳴られ事件」も上記のストーリーとほぼ変わりません。ただ29歳の頃に組み上げたストーリーには「承認欲求」という単語は出て来て無かったような気がします。代わりに「大人に褒められたかった」というセンテンスを使っていた記憶です。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!



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