皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 自分の精神の成長しなささに気付き、ドン引きする(過去編・2005年3月・29歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が記憶のサルベージを進める中で「過去の自分の成長しなささ」に気付き、驚き、呆れたという話でした。当時の自分は28歳です。全ての社会生活と家族関係から完全脱落し、部屋に引きこもって過去の記憶をノートにひたすら書く日々を過ごしていました。そして、ノートを書き始めてから1〜2ヶ月後くらいにこのような仮説を思い付いたのです。
「もし子供の頃の自分の周りに、カウンセリングのような『安心』して喋れる『暖かな』居場所があったならば、自分の人生は全く違ったものになったのでは??」
この仮説は裏を返しますと、「実際の自分の幼い頃には、そのような暖かい居場所は全く無かった」という事です。自分はこの仮説を頭の片隅に入れながら、小学校、中学校時代の記憶をサルベージしていきました。すると、以下の3つの発見がありました。
①小学校3年生を境目にして、記憶の色が明らかに変わっている。小3「以前」の記憶には鮮やかな色が付いているのだが、小3「以降」の記憶は「灰色」一色。記憶から色が完全に剥げ落ちている。
②記憶の色の変化の原因は、当時の家庭環境の急激な悪化にあった事が判明。小学校3年生の時に家庭環境が戦争状態に突入していた。それに伴いメンタルが急激に悪化し、持病の喘息も急激に悪化。学校を休みがちになり、半不登校児になっていた事も思い出す。
③小3の時に通っていたスイミングスクールで離人症を発症していた事が判明。小3で精神疾患を発症していた事を知り、自分の人生の先行きの暗さに愕然とする。
これらの発見は、上記の仮説を裏付けているように思えました。ここから自分はさらに小学校時代の記憶を言語化していきました。すると、小学校6年生の時に「A先生怒鳴られ事件」が起こり、甚大な精神的ダメージを受けた事が分かったのです。さらに半年後には「自己紹介事件」が起こり、ここでもかなりの精神的ダメージを受けていました。(2つの事件の概要は、こちら)自分はこの2つの事件を言語化してみて驚きました。2つの事件は構造が全く一緒だったのです。2つの事件の共通点は以下の3つになります。
①自分の「空気の読めない言動」によって引き起こされていた。
②事件後、事件について安心して相談出来る暖かな居場所が皆無だった。
③「家庭内における承認欲求の満たされなさ」が大きな原因
そして、自分は何故同じような舌禍が続いてしまったのか考えてみました。それは自分が「A先生怒鳴られ事件」を誰にも相談する事が出来なかったからです。当時の自分の周りには「安心」して喋れる「暖かな」居場所が皆無でした。つまり、安心して「自己開示」出来る場所が皆無だったのです。
ですから自分は「A先生怒鳴られ事件」についての事実関係を全く整理する事が出来ず、事件の原因を特定する事が出来なかったのです。そして、事件の原因を特定出来なければ、そこから「反省」や「学び」を得る事など出来るはずがありません。よって「A先生怒鳴られ事件」から半年後、まだ同じような舌禍を引き起こしてしまったのです。
自分は「A先生怒鳴られ事件」と「自己紹介事件」をノートに書いていく中で、当時の自分の「成長しなささ」に驚き、呆れました。そして、その「成長しなささ」は高校に入ってからも続いたのです。自分は高校に入ってからも、「歓迎会逃亡事件」、「暴言事件」、「寄せ書き事件」と全く同じ構図の事件が引き起こす事となりました。これらの事件に関しても上記の3つの共通点がそのまま当てはまっていたのです。
自分は上記事件の数々をノートに書いていく中で、小学校、中学校、高校、大学時代の自分をこう表現していた記憶です。
「なるほど。自分の精神年齢は小学校3年生の時点で止まってしまっていたのだ。だから年齢を重ねても重ねても精神年齢は止まったまま、身体だけが成長していってしまった。」
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
↑クリックして頂くとランキングアップ&アクセス数アップします。ご協力よろしくお願いします。