鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間鬱と闘病した45歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

小学校3年生「以前」の記憶をサルベージ(過去編・2005年3月・29歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 当時の自分の周りには家族を含め信頼出来る人間関係が皆無だった(過去編・2005年3月・29歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、記憶のサルベージ(言語化)が後半戦を終えようとしていた、という話でした。そして、人生の謎の核心部分に突入しようとしていた、という話もさせて貰いました。「記憶のサルベージ」とは自分が28〜29歳の時にしていた記憶の言語化作業の事です。当時の自分は全ての社会生活と家族関係から脱落し、部屋に引きこもって、ひたすら自分の過去の記憶をノートに書く日々を送っていました。そして、部屋に引きこもり始めてから9ヶ月後、いよいよ記憶のサルベージの後半戦が終わろうとしていました。



ここからしばらくは前回の記事をそのまま引用したいと思います。記憶のサルベージの後半戦における「発見」についての記事になります。


『前回記事からの引用』


自分はこの9ヶ月+4ヶ月の間に、自分に関する大きな発見を次から次に言語化していきました。その発見は以下の通りになります。前半戦と後半戦で分かれています。



「記憶のサルベージ中の9つの大きな発見(前半戦)」


①自分のこれまでの28年間の人生が大失敗に終わった。

②高校時代に「鬱」を発症していた。

③「大学空手部の3年間」もまるで無駄であった。

④大学空手部の3年間で鬱がさらに3倍悪化した。心身は「鬱の廃人」状態に陥っていた。


⑤大学空手部引退後の自分は以下の思いを支えにして生きていた。


「自分はあの過酷過ぎる空手部の3年間を耐えたのだから、体力が付いているはず!!そして、体力が付いているなら、自分に自信が付き、社会のどこかに居場所が作れるはず!!」


しかし、実際には自分の心身は「鬱の廃人」状態に陥っており、「虚構の体力と自信」を捏造してすがっていただけだった。


⑥自分の人生はただひたすらに人間関係で挫折を繰り返し、大学空手部も大失敗し、心身が壊れていくだけの人生だった。


⑦小学校3年生を境目にして、記憶の色が明らかに変わっている。小3「以前」の記憶には鮮やかな色が付いているのだが、小3「以降」の記憶は「灰色」一色。記憶から色が完全に剥げ落ちている。


⑧記憶の色の変化の原因は、当時の家庭環境の急激な悪化にあった事が判明。それに伴いメンタルが急激に悪化し、持病の喘息も急激に悪化。学校を休みがちになり、半不登校児になっていた事も思い出す。


⑨小3の時に通っていたスイミングスクールで離人症を発症していた事が判明。小3で精神疾患を発症していた事を知り、自分の人生の先行きの暗さに愕然とする。



続いて後半戦です。



「記憶のサルベージ中の8つの大きな発見(後半戦)」


①小学校3年生、4年生の時の自分は半不登校児状態だった。喘息で夜眠れない日々が続き、小学校の半分を休んでいた。


②小学校6年生の時に起きた「A先生怒鳴られ事件」で甚大な精神的ダメージを受けた。事件後の自分は虚無感に襲われ、親の金を盗んだり、万引きをしたりと問題行動が頻発。


③中学1年生の時に起きた「自己紹介事件」でもかなりの精神的ダメージを受けた。そして、「A先生怒鳴られ事件」と「自己紹介事件」は、同じような原因によって引き起こされていた。つまり、自分の精神は小学校3年生で止まり、そこから全く成長していなかった。その「成長しなささ」はその後もずっと変わらず、28歳まで続いていた。


④大学3年生の時に受け始めたカウンセリングにおいて、安心して喋れる暖かい居場所を生まれて初めて知った。そして、自分の周りには幼い頃からこのような居場所は皆無だった。


⑤その後も学校生活において以下の事件が続き、全ての事件で自分は甚大な精神的ダメージを受ける事となった。その蓄積によって高校2年生の春に鬱を発症。


*高校入学時「歓迎会逃亡事件」
*高校1年生秋「暴言事件」
*高校2年生4月「寄せ書き事件」
*高校2年生4月「自己紹介事件」


当時の鬱の諸症状は以下の通り。


「高校時代の鬱の諸症状(2004年ver)」


*食欲消失

*日曜夜の激しい喘息

*背中の慢性的な疲労

*慢性的な眠気

*高校生活中のめまい


⑥全ての事件の元凶は、小学校3年生の時の「家庭環境の急激な悪化」にあった。この事件の問題点は以下の4つ。



❶家庭環境が戦争状態に陥った事で、両親が幼い自分をますます放置。これにより自分は家庭内においてかなりの不安感に怯える事となった。言うなればそれは「自分という存在が立っている地面がいつ崩落するか分からない不安感」。これによって自分は「自分に対する自信」を大きく失っていった。この精神的ダメージによって持病の喘息も急激に悪化。小学校に通えなくなり、半不登校児のような状態に陥ってしまった。



❷この事件によって当時の自分はますます家の中で自己表現をしなくなっていった。また、両親の方もますます自分に興味を向けなくなっていった。当時の自分はそんな両親に対して何の愛情も信頼も感じておらず、ただただ親に対して諦め切っていたし、冷め切っていた。故に両親に対する興味など一切無し。これによって、自分と両親はお互いの人生を全く共有しないまま、時が流れる事となった。



❸この事件によって自分の中にある「承認欲求」が飢餓状態に陥った。「飢餓状態の承認欲求」を簡潔に言い換えると「極度の寂しさ」。この「極度の寂しさ」が、その後様々な事件を引き起こしていった。


❹「極度の寂しさ」によって、小学校6年生の時に「A先生怒鳴られ事件」が発生。当時の自分はこの事件により甚大な精神的ダメージを受けたのだが、その事を両親に喋る気になどさらさら無かった。自分と両親は日々の出来事や感情を全く共有していなかったので、そんな両親に対して重大事件を喋る気になるはずがない。また、それ以外にも自分の周りには信頼出来る人間関係が皆無だったので、自分はこの事件を何一つ言語化出来なかった。



これによって、この事件の精神的ショックはいつまで経っても何一つ消化されなかった。同時に事件をいつまで経っても客観視出来なかったので、この事件から反省や学びを得ることもできない。よってその後も「極度の寂しさ」が何度も何度も事件を引き起こし、そのたびに自分は「自分に対する自信」を大きく失っていった。その結果高校時代に鬱を発症。



(ただし上記の4つの考察は2022年の自分が書き上げたものであり、2004年の自分の考察は上記の考察より50%くらい浅い。とは言っても「骨組み」と「流れ」と「結論」は、上記の考察と全く一緒。)


⑦当時の自分も自分の高校時代が酷く虚しく悲しいものになっている事は認識していた。高校時代の自分はクラスや吹奏楽部において完全に「透明人間化」。女の子とのコミュニケーションどころか、大人しめな同性とのコミュニケーションすら絶望的になっていた。よってそんな自分を変える為に大学では空手部に入る事を決意。


⑧人生に対する明るい希望や展望など何一つ無かったが、高校の女の子達に自分の存在をアピールしたいだけの一心で大学受験に集中。高校ではずっと透明人間だっただけにその気持ちはとても強く、結果志望大学に合格。



素晴らしい。よくまぁここまで言語化したものです。そして、上記の発見の数々によって、以下の謎が解けようとしていました。


「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」


『引用終わり』



なるほど〜。このように引きこもってから9ヶ月後には、上記の謎の答えはほぼほぼ出ていたように思います。答えは、「小学校3年生の時に家庭環境が急激に悪化したから」です。まぁもうこの答えでほぼ確定って感じでしたね。自分はようやく心の底から知りたくてたまらなかった答えを手に入れようとしていました。



さて、ここからは記憶のサルベージ(言語化)の終盤戦の話になります。自分は上記の流れを踏まえた上で小学校3年生「以前」の記憶を言語化していきました。それまで手を付けていなかった小学校3年生「以前」の記憶を言語化しようというのです。そこで言語化してみた所、小学校1年生、2年生の頃の記憶は、やはり比較的明るく楽しい記憶が多かったのです。この頃はまだ両親の仲はさほど悪くなかったですし、父親の仕事もまだ安定していました。喘息はすでに発症していましたが、小学校には毎日通えていましたし、友達と楽しく遊んでいた記憶もありました。この頃の記憶は、小学校3年生以降の記憶と比べると何もかもが明るく、暖かさがありました。そう、仮にこの環境が小学校3年生以降も続いていたなら、自分の人生はマシなものになっていた事でしょう。


そうは言っても当時の自分が無邪気で天真爛漫な子供だった訳ではありません。その後の鬱人生に繋がっていくような、陰を感じさせるエピソードも発見されていきました。


例えば小学校1〜2年生の頃の話です。自分は当時神奈川県に住んでいました。そんなある日の事、この一体では珍しく雪が降り、10cm程積もったのです。あたり一面雪景色に変わり、普段見慣れない風景に広がりました。自分も周りの友達もテンションが上がっていましたね。すると、周りの友達が段ボールを持ってきまして、それを使って近くの坂でそり遊びを始めました。自分ももちろん一緒に参加しました。



すると、その日は珍しく身体を動かしても喘息が起きなかったのです。こんな事はホントに珍しい事でした。普段は少しでも身体を動かすと喘息が起こり、呼吸が苦しくてたまりません。ですから、普段の自分はなるべく激しく身体を動かさないようにしていました。



ところがこの日だけは身体を激しく動かしても何故か喘息が起こりません。自分は周りの子供達と同じようにそりで坂を下り、また坂を登っては、下っていきました。自分は周りの子供達と同じように身体を動かして遊べる事が嬉しくてたまらなかった記憶です。すると、自分の心の中でこのような思いが溢れたのです。


「あぁ子供らしく無邪気に遊ぶってこういう事なんだなぁ」


それから20年後。29歳の自分はこのエピソードをノートに書いてみてこう思いました。


「可愛くない子供だな。」


そう、当時の自分は8歳くらいです。まだ子供なのにも関わらず、妙に冷めているというか、達観しているような事を思っていたのです。しかもなんかちょっと上から目線なのも気持ち悪い。また、当時の自分がこう感じたという事は、当時の自分が普段は身体を動かせなかった事も表していました。たぶんこの頃から自分は身体を使って遊んでいる子達の輪の中には入れず、寂しい思いをしていたのでしょう。



自分はこのエピソードをノートに書いてみまして、こう思いました。


「あぁ、自分は小学校3年生『以前』からすでに鬱っぽい子供だったのだなぉ」


と。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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