鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

自分の喘息=心因性説③(過去編・2005年7月・29歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「喘息と共依存状態②(過去編・2005年7月・29歳)_」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が記憶のサルベージの中で「喘息の発症」について考えていった、という話でした。「記憶のサルベージ」とは、過去の記憶をひたすらノートに書いていく行為を指しています。この行為をしていた時の自分は29歳です。この頃の自分は全ての社会生活と家族関係から脱落し、部屋に引きこもって、記憶のサルベージを進めていました。



その中で、自分は「自分の喘息=心因性」説を思い付きました。自分は物心ついた頃から喘息に苦しむ人生を送ってきたのですが、その喘息が「心因性」のように思えたからです。そう考えるようになったきっかけは、高校時代にあります。当時の自分は激しい喘息に苦しんでいたのですが、その発症には法則性がありました。その法則性とは「日曜夜」です。



そう、高校時代の自分は日曜の夜になると必ず喘息を発症し、その苦しさで一睡も出来ずに高校に通っていました。では何故「日曜夜」なのかと言って言いますと、当時の自分にとって「日曜夜」が最も精神的ストレスがかかる時間だったのです。当時の記憶を言語化してみますと、当時の自分にとって「日曜夜」が最も辛い夜であった事は間違いありませんでした。何故なら、月曜から高校が始まるからです。これがホントに辛くて辛くて仕方ありませんでした。


そう、当時の自分は高校生活において「暴言事件」「寄せ書き事件」を引き起こし、甚大な精神的ダメージを受けてしまいました。(事件の概要は、こちら)そして、「病的な被害妄想」と「鬱」を発症しまったのです。当時の自分はこの病的な被害妄想によって、月曜からの高校生活が恐ろしくてたまらなくなってしまいました。例の暴言がもし吹奏楽部の女の子達に広がれば、自分の高校生活は終わりですからね。ですから、自分は日曜夜になると必ず暗澹たる気持ちに襲われていました。



もちろん、当時の自分に信頼出来る相談相手は皆無でしたから、誰かに事件の話を喋る事など不可能でした。ですから、精神的な辛さを消化したりする事など不可能でした。そして、事件に関する情報を整理する事も不可能でした。これにより、自分は事件の影響をどんどん悪い方向に考えてします。そのうちに事件後の最悪の想定がまるで明日にでも現実化するような、そんな恐怖に襲われるようになっていったのです。これにより、自分は日曜夜ごとに甚大な恐怖に襲われる事になりました。




そして、28歳の自分は、当時のこの辛い記憶をノートに書いていきました。その中でこの「暴言事件」対する最悪な想定が、喘息を引き起こしていたとしか考えらなかったのです。そうでないと何故に「日曜夜」ごとに激しい喘息が起こっていたのか、説明が付きませんでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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