鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。skipper1242でツイッターもやってます。

自分の喘息=心因性説④(過去編・2005年7月・29歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「自分の喘息=心因性説③(過去編・2005年7月・29歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が記憶のサルベージの中で「自分の喘息=心因性説」を思い付いた、という話でした。記憶のサルベージとは、過去の記憶をひたすらノートに書いていく行為を指しています。この行為をしていた時の自分は29歳です。その頃の自分は全ての社会生活と家族関係から脱落し、部屋に引きこもって、記憶のサルベージを進めていました。



この記憶のサルベージの中で、自分は「自分の喘息=心因性説」を思い付きました。何故なら、自分は高校時代に激しい喘息を発症していたのですが、その発症には法則性があったからです。その法則性とは「日曜夜」です。そう、日曜夜になると自分は必ず激しい喘息に襲われていました。そして、その苦しさで一睡も出来ず、そのまま高校に通っていたのです。



ではどうして、日曜の夜に必ず喘息が起こっていたのかと言いますと、それは当時の自分にとって最も精神的ストレスが強い夜が日曜の夜だったからです。そう、当時の自分は高校生活において「暴言事件」、「寄せ書き事件」を起こし、高校に行くのが辛くて仕方ありませんでした。そして、当時の自分は病的な被害妄想を発症していましたから、それらの事件の影響で自分が「社会的な死」を迎えるのではないかと、恐れ慄いていたのです。ですから、自分は月曜から始まる高校生活に凄まじい恐怖感を感じていました。そして、その凄まじい恐怖感が喘息を発症させていたとした考えられなかったのです。




このようにして29歳の自分はノートを書いていく中で「自分の喘息発症=心因性説」を思い付いたのでした。そして、自分はこの説が自分の他の時代の喘息にも当てはまると思いました。それが3歳の頃の記憶です。自分はこの頃に母親に怒られ、それをきっかけに親に対する感情表現を諦めてしまいました。そして、同時期に自分は喘息を発してしていました。ここで自分は考えました。「3歳の時の喘息発症も心因性だったのでは??」、と。



そう、3歳の自分は親に対する感情表現を諦めてしまったのですが、それって子供の自分にはかなりの精神的ストレスだったと思うのです。何故なら


「親に対する感情表現を諦める」=「親に甘えられない」


からです。子供にとって親に甘えられないのは致命的です。もしあの時の我が家の周りにおじいちゃんやおばぁちゃんなどの信頼できる大人がいたならまた話は別ですが、当時の我が家の周りにはそんな大人は皆無でした。言い換えますと、幼い自分は家庭内外で甘えられる大人がいなくなり、かなり寂しい状態に陥ってしまったのです。そして、高校時代同様、その精神的ストレスが喘息を発症させたとしてもおかしくはありません。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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