鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

希望とやる気に満ち溢れたパチンコ生活(過去編・2005年9月・29歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 カウンセリング初回を終え、パチンコ稼業へのモチベーションが燃え上がる(過去編・2005年9月・29歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、29歳の自分が1回目のカウンセリングを終えた後の話でした。時期的には2005年の10月頃の話です。この時の自分はこれから始まる新生活にかなり心をときめかせていました。その理由は以下の3つになります。


①1年間の拷問のような引きこもり生活が終わった。

②H先生のカウンセリングを再び受ける事が出来る。

③カウンセリング代と生活費を稼ぐ為に再びパチンコ稼業を再開出来る。



そう、上記の3つの理由は、当時の自分にとってこれ以上なく嬉しい事でした。それぞれの理由について説明させて貰います。まず①ですが、1年間の引きこもり生活が終わった事はホントに嬉しい事でした。自分はそれまでの1年間、全ての人間関係と家族関係から完全脱落し、引きこもり状態にありました。そして、部屋に引きこもり続け、ひたすら過去のトラウマをノートに書き続けていたのです。この作業が拷問のように辛かった。



自分は過去のトラウマを詳細に思い出して、ノートに書いていきましたから、それは過去のトラウマの再体験を意味していました。そして、自分のそれまでの28年間はトラウマしかない28年間だったのです。ですから、ノートに書いても書いてもトラウマの再体験が終わりません。その最中自分は何度泣いたか分かりませんし、何度発狂しそうになったか分かりません。そして、そんな日々が1年間(+5ヶ月)続き、ようやく自分は全てのトラウマをノートに書き尽くしたのでした。そう、ようやくトラウマの再体験が終わったのです。もうノートに向かい、トラウマを思い出さなくても良いのです。これは本当に嬉しい事でした。



次に② 「H先生のカウンセリングを再び受ける事が出来る。」の理由ですが、これは最近の記事に書いていますので割愛します。続いて③の理由です。③は「カウンセリング代と生活費を稼ぐ為に再びパチンコ稼業を再開出来る。」です。これも嬉しかったですねぇ。パチンコのスキルは自分にとって唯一誇れるスキルでしたから、それを活かしてお金を稼げる事は嬉しい事でした。しかもその稼いだお金をカウンセリング代として使えるのですからね。当時の自分にとってカウンセリングは絶対的に必要なものでしたから、そのカウンセリングの為にパチンコでお金を稼げる事も本当に嬉しい事だったのです。




ですから、自分はカウンセリングの初回が終わると、パチンコ稼業へのモチベーションがこれまでに無いほど燃え上がっているのを感じました。明日から次回のカウンセリングまでの1週間は、パチンコ屋で朝から晩までパチンコを打ち続け、カウンセリング代と生活費を稼ぐのです。自分は希望とやる気に満ち溢れた状態でパチンコ&カウンセリング生活に突入していったのでした。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!



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