鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

毎週のカウンセリングが楽しみで仕方ない(過去編・2005年9月・29歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 パチンコで稼ぐ際の8個の神経的消耗(過去編・2005年9月・29歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、29歳の自分が心身共にギリギリな状態でパチンコ稼業をしていた、という話でした。当時の自分の心身は、「鬱の廃人」×2倍状態に陥っており、パチンコを打っている最中、様々な苦痛に襲われまくっていたのです。当時自分が襲われていた鬱の諸症状は以下の通りになります。


「パチンコ稼業中の8個の鬱の諸症状(短縮ver)」

①被害妄想による寝付きの酷さ

②食欲消失

③酷過ぎる冷え性

④慢性的な背中の激痛と眠気

⑤自殺願望の悪化

⑥慢性的な口内炎

⑦散歩を30分しただけで翌日の体調がぶっ壊れる。

⑧「父親突入事件」絡みの精神的ダメージと被害妄想


(それぞれの症状の詳細はこちら)



さて、このような状況下で自分はカウンセリング&パチンコ生活を続けていきました。上記の鬱の諸症状に苦しみつつも、連日パチンコを打ち続け、カウンセリング代と生活費を稼いでいました。ペースで言うと週4日〜5日ペースでパチンコ屋に出向き、朝9時から夜8時までパチンコを打ち続けていました。そして、週に1回カウンセリングに出向き、そこで記憶のサルベージの話をH先生に聞いて貰っていました。



以前の記事に書きましたが、当時の自分はこの週1回のカウンセリングをかなり楽しみにしていました。当時の自分は、とにかく記憶のサルベージ(言語化)の話をH先生に聞いて貰いたかったのです。このパチンコ生活を始める前、自分は1年間引きこもり続け、過去の記憶をひたすらノートに書いていました。そこで書いた量は膨大でしたから、書いた事を喋りたい衝動が凄まじかったのです。ですから、当時の自分はパチンコ生活の合間を縫っては、カウンセリングに赴き、そこでノートに書いた話をひたすら喋っていました。



そして、喋っている最中の自分はかなり熱くなっていた記憶です。そう、自分が1年以上に渡って考え抜いた「自分の人生に関する研究」、それを先生に向かって発表している、そんな感じです。自分はこの研究に対して絶対の自信を持っていましたから、H先生に聞いて貰う時もかなり熱くなり、かなり嬉しかった記憶です。



それまで自分は「ノートに書く」という形で過去の記憶を言語化してきましたが、今度はそれを「喋る」という形で言語化していった、という感じです。それまで自分はただひたすら孤独に自分の過去の記憶を「書いて」言語化してきていましたが、ここからはカウンセラーの先生に「喋る」、という形で過去の記憶を言語化していく事となったのです。それまでと違って「一人」ではなくなった分、気持ちが楽になっていた部分もかなりあったと思います。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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