鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

両親の言い出した引っ越しに対して凄まじい憎悪を感じている一方、その感情を両親に訴える事も死ぬ程嫌(過去編・2005年11月・29歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 両親によって2度殺されるような気持ち(過去編・2005年11月・29歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、2005年の11月頃にうちの父親が引っ越しを言い出した時の話でした。当時の自分は29歳です。1年間の引きこもり生活をようやく終わらせ、カウンセリング&パチンコ生活を始めた所でした。そして、当時の自分は家族3人に対して「殺したい」程の憎しみを感じており、この1年間家族との交流は皆無でした。(家族に憎しみを募らせていく経緯は、このブログのトップ記事「「人生年表と鬱のフローチャート」をご覧下さい。)



ここから先は前々々回の記事から引用したいと思います。引用した後に今回の話を書かせて貰います。前回の記事をお読みの方はスルーして下さい。


『前々々回の記事からの引用』


そんな矢先、父親はドア越しに「もしかしたらこの先引っ越しをするかもしれないから、考えておいてくれ。」と言ってきたのです。これにより自分の心の中では憎しみの嵐が発生し、頭の中が真っ白になりました。自分の頭の中には何の言葉も思い浮かびません。自分が茫然自失していると、父親は去っていったのでした。



前回の記事では、この時発生した憎しみの嵐の要因をまとめてみました。その要因は以下の5つになります。


「父親に引っ越しの話を言われた際の憎しみの5つの要因」(前提として当時の自分は実家暮らし)


①そもそも父親が自分に喋りかけてくる事自体が許せない。当時の自分は家族全員に対して「殺したい」程の憎しみを感じており、特に父親に対してはそれ以上の憎しみを感じていた。2年前の「尿管結石事件」の際、父親から発せられた血も凍る暴言と、半年前の「父親突入事件」の事を忘れられるはずがない。(事件の概要はこちら)


②自分と両親とはこの1年間全くコミュニケーションが無い状態が続いていた。そんな状態で両親が急に「引っ越し」という一大イベントを言い出してきたことが許せない。そもそも、自分には「引っ越しをしたい」という気持ちが1㎜もない。


③もし引っ越しをするとなると、「引っ越しについて行く」にしろ「一人暮らしする」にしろ、家族とのコミュニケーションは避けられない。家族とコミュニケーションを取らざるを得ない状況を強制的に作り出された事に対する凄まじい憎しみ。


④ もし引っ越しをするとなると、「引っ越しについて行く」にしろ「一人暮らしする」にしろ、そこに自分の時間やエネルギーを割かなければならなくなる。その事に対する凄まじい憎しみ。何故なら、当時の自分はそれまでの29年間の人生を、両親によって全て搾取されたような感覚を持つに至っていた。よって、両親に人生を搾取された上に、さらに引っ越しで時間とエネルギーを搾取されそうな事が気が狂いそうな程の憎悪を発生させていた。


⑤当時の自分の心身は長年の孤独によって、「鬱の廃人」×2倍状態に陥っていた。「被害妄想」は病的(×6倍)に悪化していたし、日々の心身の辛さも半端ではなかった。(当時の鬱の諸症状はこちら。)当時の自分はカウンセリング&パチンコ生活をしていたが、それは心身ともにギリギリな状態でなんとか日々を過ごしている状態。こんな状態で「望まない引っ越し」や「一人暮らし」をするエネルギーがあるはずもなく、それに対する凄まじい憎しみも発生していた。



『引用終わり』



このように父親からの「引っ越し話」によって自分の心の中には「凄まじい憎悪の嵐」が吹き荒れ始めました。その憎悪はもはや理性では制御不能になり、暴力衝動として外に発露していったのです。自分はこの話を聞いて以降、玄関のドアをワザと思い切り閉めたり、壁を殴ったり、床を蹴ったりして、その暴力衝動をモノにぶつけていきました。



とは言いましても、この時点ではこの先の引っ越しが確定的だった訳ではありません。父親はこの前に「もしかしたらこの先引っ越しをするかもしれない」という言い方をしていました。ですから、引っ越しをしない可能性があるとも解釈出来たのです。自分は心の中で「どうか事態が引っ越しをしない方向に動いて欲しい」と強く強く願っていました。



そんなに引っ越しをして欲しくないのなら、自分が両親にそれを直接訴えれば良いようなものですが、当時の自分はその行為にもまた甚大な精神的苦痛を感じてあました。何故ならこの引っ越しの話が出る前から、自分は両親に対して「殺したい」程の憎しみを抱いていました。自分は様々な事件を経て、両親に対して凄まじい憎しみを抱いていましたから、コミュニケーションなど不可能な状態に陥っていたのです。(両親に憎しみを募らせていく経緯は、このブログのトップ記事「「人生年表と鬱のフローチャート」をご覧下さい。)実際自分は直前の1年間部屋に引きこもり続けていたのですが、その間家族との接触は皆無でした。



ですから、自分は両親の言い出した引っ越しに対して凄まじい憎悪を感じている一方、その感情を両親に訴える事も死ぬ程嫌だったのです。う〜ん、詰んでますね。



そして、これまでの記事に書いていますように、それならば「一人暮らし」という選択肢を取れば良いようなモノですが、それもまた「鬱の廃人」状態×2倍に陥っていた自分には、絶望的に不可能な選択肢でした。自分はそれまでの28年間ありとあらゆる社会生活に挫折し続け、結果引きこもりになってしまいました。その間に心身は壊れ続け、「被害妄想」も病的(×6倍)に酷くなっていたのです。(当時の鬱の諸症状はこちら。)当時の自分にとって、この状態での一人暮らしは、自殺行為と思える程の絶望感しか感じられませんでした。



ですから、当時の自分は、以下の3つの選択肢全てに対して、絶望的な憎悪と圧倒的な不安感しか感じられなかった、という事になります。


・引っ越しについていく

・両親に反対を訴える

・一人暮らし


とは言いましても、今後本当に引っ越しが実行されるのか、その情報は集めなければなりません。そして、自分は両親とコミュニケーションを取る事が絶望的に嫌でしたが、「自分がこの引っ越しに絶対反対の立場である」という事は伝えねばならないと感じました。当時の自分は、「もしかしたら、両親にそれを伝えたら、両親は少しは引っ越しの事を考え直すかもしれない」とも思っていたのです。



あれは父親から引っ越しの話を聞いてから2週間くらい経った頃でしたでしょうか。自分は死ぬ程嫌で嫌で仕方なかったのですが、意を決して母親に引っ越しの話をしに行ったのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!



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