皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 東○荘事件前夜(過去編・2005年11月・29歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、29歳の自分が両親や引っ越しに対して凄まじい憎しみを感じていた、という話でした。ではここで当時の自分が感じていた憎しみを5つの理由に分解したいと思います。以前の記事でまとめたものになります。
「引っ越しに対する凄まじい憎悪と絶望感、その5つの理由」(前提として当時の自分は実家暮らし)
①そもそも当時の自分は両親に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。(自分が両親に対して憎しみを募らせていく過程はこのブログのトップ記事 「人生年表&鬱悪化のフローチャート 」をお読み下さい。) よって自分と両親とはこの1年以上全くコミュニケーションが無い状態が続いていた。そんな状態で両親が急に「引っ越し」という一大イベントを言い出してきたことが許せない。自分には「引っ越しをしたい」という気持ちが1㎜もない。
②もし引っ越しをするとなると、「引っ越しについて行く」にしろ「一人暮らしする」にしろ、家族とのコミュニケーションは避けられない。そして、当時の自分は家族に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。よって、家族とコミュニケーションを取らざるを得ない状況を強制的に作り出された事に対する凄まじい憎しみ。
③もし引っ越しをするとなると、「引っ越しについて行く」にしろ「一人暮らしする」にしろ、そこに自分の時間やエネルギーを割かなければならなくなる。その事に対する凄まじい憎しみ。何故なら、当時の自分はそれまでの29年間の人生を、両親によって全て搾取されたような感覚を持つに至っていた。よって、両親に人生を搾取された上に、さらに引っ越しで時間とエネルギーを搾取されそうな事が気が狂いそうな程の憎悪を発生させていた。
④当時の自分の心身は長年の孤独によって、「鬱の廃人」×2倍状態に陥っていた。「被害妄想」は病的(×6倍)に悪化していたし、日々の心身の辛さも半端ではなかった。(当時の鬱の諸症状はこちら)当時の自分はカウンセリング&パチンコ生活をしていたが、それは心身ともにギリギリな状態でなんとか日々を過ごしている状態。こんな状態で「望まない引っ越し」や「望まない一人暮らし」をするエネルギーがあるはずもなく、それに対する凄まじい不安と憎しみも発生していた。
⑤当時の自分は1年間の引きこもり生活を終え、ようやく外の世界に出れるようになっていた。そこで新しく始まった生活は、週1回カウンセリングを受け、そのカウンセリング代と生活費を稼ぐ為に週4〜5回パチンコで稼ぐ生活。この生活は「鬱の廃人」状態に陥っていた自分にとってかなりの心身の苦痛を伴うものだったが、一方でそれ以上のやり甲斐と希望もこの生活に感じていた。それは自分が29歳にしてようやく掴んだ自分らしい日々だった。しかし、両親が引っ越しを言い出した事で、この明るい日々はたった2ヶ月で終わってしまった。自分は引っ越しがもたらす凄まじい憎しみと絶望と不安と悲しみに打ちひしがれ、再び人生の先行きが全く見えない状態に陥ってしまった。これによる、恨みも凄まじいものがあった。
上記の①〜⑤を合わせた憎しみの総量は凄まじいものがありました。自分は引っ越しの話が出る前から両親に対して「殺したい」程の憎しみを感じていたのですが、引っ越しの話が出てきて以降、それは『「殺したい」程の憎しみ』以上の憎しみに悪化していったのです。
こうなりますと、自分はもはや憎しみを理性でコントロール出来なくなっていきました。自分は暴力衝動を我慢が出来ず、事あるごとにその暴力衝動を家の中でぶつけていく事になりました。例えば玄関や家の中のドアをこれ以上なく思い切り閉めたり、自分の部屋の壁や床を殴ったり、蹴ったり、です。
そんな日々が3〜4ヶ月続いた頃でしょうか(2006年3月頃)。この頃とある事件が起き、自分の心は地獄の底の底に叩きつけられるこ事になりました。事件の名前は「東○荘事件」。自分の人生の中で起きた事件の中でメンタルダメージがトップクラスの事件です。
この事件に関してはこのブログで以前に詳細に書いていますが、再び書く事になりそうです。ただし、この事件をまた書くのは本当に気が重いです。やはりあの事件はいまだに自分の心の中で強烈なトラウマになっていますからね。正直思い出すのがいまだにしんどい。
まぁでも毎度書いてますが、このブログはそういうトラウマを書いて整理整頓する為のブログです。そして、トラウマを書き始める時は本当に嫌な気持ちですが、書いて行くうちに徐々に気持ちが晴れていき、書き終わりの頃にはスッキリしているのも毎度の事です。
という訳で本当に気が進みませんが、次回の記事から「東○荘事件」について書いていこうと思います。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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