鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間鬱と闘病した45歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

自分の心が両親によって本来あり得ない方向に曲げられ、折られてしまった感覚③(過去編・2006年3月・30歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 東○荘に再び戻るのは不可能と悟る(過去編・2006年3月・30歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事も引き続き「東○荘事件」の話でした。「東○荘事件」とは自分が29歳の時に起きた事件です。自分はこの事件をきっかけに両親に対して「殺しても殺し足りない」程の憎悪を抱くようになっていきました。



ここからはこの事件の前フリと経緯をフローチャートで示したいと思います。いつも貼っているフローチャートですので、いつもお読みの読者の方はスルーして下さい。かなり長いフローチャートになります。


『東○荘事件の前フリとフローチャート


前提として、当時の自分は家族に対して『「殺したい」程の憎しみ』以上の憎しみを感じていた。理由は「両親が引っ越しを言い出したから」その理由を構成する5つの要素は以下の通り。


①当時の自分はそもそも両親に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。(憎しみを募らせていく経緯はこちら)よって自分と両親とはこの1年以上全くコミュニケーションが無い状態が続いていた。そんな状態で両親が急に「引っ越し」という一大イベントを言い出してきたことが許せない。自分には「引っ越しをしたい」という気持ちが1㎜もない。


②もし引っ越しをするとなると、「引っ越しについて行く」にしろ「一人暮らしする」にしろ、家族とのコミュニケーションは避けられない。そして、当時の自分は家族に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。よって、家族とコミュニケーションを取らざるを得ない状況を強制的に作り出された事に対する凄まじい憎しみ。


③もし引っ越しをするとなると、「引っ越しについて行く」にしろ「一人暮らしする」にしろ、そこに自分の時間やエネルギーを割かなければならなくなる。その事に対する凄まじい憎しみ。何故なら、当時の自分はそれまでの29年間の人生を、両親によって全て搾取されたような感覚を持つに至っていた。よって、両親に人生を搾取された上に、さらに引っ越しで時間とエネルギーを搾取されそうな事が気が狂いそうな程の憎悪を発生させていた。


④当時の自分の心身は長年の孤独によって、「鬱の廃人」×2倍状態に陥っていた。「被害妄想」は病的(×3倍)に悪化していたし、日々の心身の辛さも半端ではなかった。(当時の鬱の諸症状はこちら)当時の自分はカウンセリング&パチンコ生活をしていたが、それは心身ともにギリギリな状態でなんとか日々を過ごしている状態。こんな状態で「望まない引っ越し」や「望まない一人暮らし」をするエネルギーがあるはずもなく、それに対する凄まじい不安と憎しみも発生していた。


⑤当時の自分は1年間の引きこもり生活を終え、ようやく外の世界に出れるようになっていた。そこで新しく始まった生活は、週1回カウンセリングを受け、そのカウンセリング代と生活費を稼ぐ為に週4〜5回パチンコで稼ぐ生活。この生活は「鬱の廃人」状態に陥っていた自分にとってかなりの心身の苦痛を伴うものだったが、一方でそれ以上のやり甲斐と希望もこの生活に感じていた。それは自分が29歳にしてようやく掴んだ自分らしい日々だった。しかし、両親が引っ越しを言い出した事で、この明るい日々はたった2ヶ月で終わってしまった。自分は引っ越しがもたらす凄まじい憎しみと絶望と不安と悲しみに打ちひしがれ、再び人生の先行きが全く見えない状態に陥ってしまった。これによる、恨みも凄まじいものがあった。



ある日自分はいつものように暴力衝動を自分の部屋の壁に思い切りぶつけた。そして、外出しようとした所、玄関で父親が激昂して掴みかかってきた。そもそも自分は両親に対して『「殺したい」程の憎しみ』以上の憎しみを感じていた為、この父親の激昂に対してすぐに激しい憎しみの炎が爆発。「ふざけんな!!!」と父親の腕を掴み返し、揉み合いになった。


自分はそれまでの2年間全く家族とコミュニケーションを取っていなかった。何故なら喋るどころか、すれ違うだけでも反吐が出る為。しかし、この時の自分にはアドレナリンが出まくっていた為、これまで溜まりに溜まった鬱憤が吐き出された。例えば


「お前らのせいで俺の人生滅茶苦茶だ!!!」


「ガキがガキ作ってんじゃねぇよ!!!」



自分と父親が玄関で掴み合いをして怒鳴り合っているとそこに母親と妹も現れた。しかし、妹は父親の加勢をして来たし、母親も状態にはげしい敵意を剥き出しにしている。自分はこの場が1vs3の場である事を悟った。これにより自分の心の中にはさらに激しい孤立感と激しい高揚感が発生。



自分は自分に対して激しい敵意を向けている母親に対しても凄まじい憎しみを感じていた。そこで自分は父親と揉み合いながらも、母親に自分の顔を突き出し、

「なんだ!!お前も俺の事が憎いのか、憎いのなら俺の顔を殴ってみろよ!!!」


と煽った。これはどういう事かと言うと、うちの母親は元来大人しい性格の人なので、自分の事を殴れず、困惑するのではないかと思ったから。ところが意に反して母親は自分の頬を殴ってきた。これは完全に自分の見込み違い。これにより自分の心の中にさらに激しい孤立感と高揚感が発生。



自分はさらに母親に対して激しい憎しみを感じ、何か母親に攻撃したいと感じた。そこで玄関のドアを開け、「助けて!!殺される!!!」と大声で叫んだ。この言葉には2つの意味があった。1つ目はこれは本当の気持ちだった。自分は両親が言い出した引っ越しの話によって、心身共にギリギリの所に追い詰められていたし、さらに今現在このような孤立無縁の修羅場を迎えている。


2つ目は母親に対する激しい嫌がらせの気持ち。うちの母親はこの家に引っ越して来て15年間近所付き合いが全く上手くいっていなかった。孤立していた。そこで自分が近所に物騒な言葉を叫ぶ事で母親の顔に泥を塗ってやろうという思いがあった。



自分と父親の掴み合いの喧嘩は続くも、母親も妹もその仲介には入ってこない。よってこの場がいつまで収拾しなかった。しかし、喧嘩が始まってから10分くらいたった頃、とうとう母親が交番に電話し、警官が我が家に到着。警官が自分と父親をなだめてきた。すると父親はここで急にしおらしくなり、「すみません。自分が悪いんです。」と警官に謝罪。これに対して自分は、「何カッコつけてやがんだ!!父親らしい事など何一つしてこなかった癖に!!!」とさらに激昂。その後警官が外出するよう促してきたので、自分はその場を後にした。


家を後にした自分はカウンセリングセンターに向かった。そして、カウンセリングセンターに着くと、先程の喧嘩の件りを興奮気味に喋った。あっという間に1時間は過ぎ、まだまだ喋り足りなかったのだが、カウンセリングセンターを後にした。



カウンセリングが終わると、近くの繁華街をあてもなく彷徨う事になった。何故なら自分は自分がこれからどこに行けば良いのか分からない状態に陥っていた。この時の自分の心の中は以下の3つの激烈な感情に支配されていた。


・家族3人に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪


・「もし家に帰ったら、自分は家族に殺されてしまうかもしらない。」という病的(×6倍)な被害妄想


・上記2つの感情を踏まえた上で家には絶対帰りたくない


これらの感情がぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃに絡み合っていたので、これから先の行動が決められなかった。



30分程繁華街を彷徨っていると、このカオス過ぎる感情を誰かに聞いて貰いたいという思いが出てきた。そこで、元バイト先の仕事仲間に話を聞いて貰おうと、地元に戻る事を決意。



地元に戻り、元バイト先の古本屋を訪ねる。するとそこには元仕事仲間のI君が働いており、彼に今日の喧嘩の顛末を聞いて貰う。その後、元仕事仲間のWさんもお店に来たので、彼にも喧嘩の顛末を聞いて貰う。



古本屋を出た後の自分には以下の2つの選択肢があった。


・家に帰る

・ホテルに泊まる


しかし、この時の自分は上記①〜③の感情に支配されていたので、「家に帰る」という選択肢は絶対になかった。ところが、自分にとって「ホテルに泊まる」という選択肢もかなり苦しい選択肢となっていた。理由は以下の通り。



⑴自分はそれまでの人生で一人でホテルに泊まった事が全く無かった。それだけでも病的(×6倍)な被害妄想を発症していた自分には不安で仕方がない事だった。さらに、この時の自分は心身共に疲労困憊状態にあった。特に精神状態は上記の①〜③にあるように極めて不安定な状態。このような超非日常状態で利用した事のないホテルに泊まるのは、とてつもない不安感があった。


⑵この時の自分は冷え性も病的に酷くなっており、冬に眠る時には布団を5〜6枚重ねた上にさらにダウンジャケットなどの服を10枚くらい重ねないと体が温まらなくなっていた。故に、自分が普段使う布団の周りには、着なくなったダウンジャケットやパーカーがうず高く積まれていた。このような自分好みの布団調整はホテルに泊まるとなると難しいと思われ、これも自分にとってはかなり不安な所だった。



しかし、そうは言っても家に帰るという選択肢は絶対にあり得ない。そこで自分はかなりの不安感を抱えながらも、繁華街のホテル(東○荘)に泊まる事を選択したのだった。



自分はホテル(東○荘)に着くと、近くのコンビニでノートとペンを買ってきて、自分の気持ちと今日1日の経緯をノートに書き始めた。この時の自分は以下の5つの激烈な感情に支配されパニック状態に陥っており、そのパニック状態を鎮静化させる為にはノートに自分の気持ちを言語化させるしか無いと考えた。


❶家族3人に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪


❷「もし家に帰ったら、自分は家族に殺されてしまうかもしらない。」という病的(×6倍)な被害妄想

❸ ❶❷の感情を踏まえた上で家には絶対帰りたくない気持ち


❹生まれて初めての一人でのホテル宿泊に対する凄まじい不安感


❺今日1日の凄まじい肉体的疲労


自分は上記の激烈な気持ちと、今日1日の事件の経緯をひたすらノートに書き続けた。それはホントに苦しい行為だったが、これをしない事にはいつまで経っても頭の中がパニック状態のまま。そして、頭の中がパニック状態では例えベッドに入ったとしても眠れない。故に自分は「極限の肉体的疲労感」と「圧倒的な絶望感と圧倒的な悲しみ」をただただ耐えながら、ノートを書くしか無かった。



自分は深夜1時頃からノートを書き始めたが、それはなかなか終わらなかった。自分の心の中は上記の❶〜❺の感情で溢れ返っており、それは書いても書いても一向に消化する事が出来なかった。また、同時に「明日以降どうするのか??」という大問題についても考えてみたのだが、これについても一向に答えを出せない。「家に帰る」のは絶対嫌だし、かと言って「東○荘に泊まり続ける事」も気が狂いそうな程嫌だった。自分は今回の事件で両親から致命的な精神的ダメージを受けたのだが、その上さらに「宿泊費という名の金銭的ダメージ」を受ける事は精神的に耐えられない気持ちだった。



深夜4時頃、ようやくノートを書く手が止まった。しかし、それは憎しみを消化し終えたからではなかった。憎しみは全く消化されてはいなかったのだが、もはや自分の憎しみを表現する為の言葉が尽きてしまった、という状態。そして、「明日以降どうするのか??」という問題も何も解決してはいない。故に自分の心のは相変わらず「圧倒的な絶望感と圧倒的な悲しみ」に押し潰され、断末魔の叫びを上げ続けていた。



自分はノートを書き終わると、ユニットバスに向かい、シャワーを浴びた。時刻は4:30頃。そして、部屋に戻ってくると、ソファーに身体を沈め、動けなかった。この時の自分の心身は以下の4つの感情に完全に支配され切っていた。


⑴①〜⑤の感情と❶❷❺の感情(=「圧倒的な絶望感と圧倒的な悲しみ」)


⑵上記の感情の中でも酷かった感情は、『①家族3人に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪 』。自分はかつて両親によって人生を破壊され、「地獄の底」に突き落とされていた。(詳しい経緯は、このブログのトップ記事「人生年表と鬱のフローチャート」参照)そして、今回またも両親によって「地獄の底の底」に突き落とされる事となった。つまり、自分は両親によって1度ならず2度殺されたとも言える


⑶半日前の喧嘩の興奮の余韻


⑷「明日以降どう生活するのか??」という問題に全く答えが出ていない。「ホテルに泊まり続けるのか」それとも「家帰るのか」全く決めきれていない。その事に対するかなりの絶望感



自分はソファーに座り、上記の精神的苦痛に心を蹂躙され続けた。この時の自分の心は上記の絶望感に完全に押し潰され、断末魔のような悲鳴を上げ続けていた。その精神的苦痛はソファーに座っていても全く減る事は無かった。



20分後、このままでは埒が開かないと思い、ベッドに向かった。眠気は全く無かったのだが、せめて横になれば極限の疲労感が癒されるのではないかと考えた。しかし、ベッドに入っても相変わらず⑴〜⑷の感情が自分の心を押し潰し、その甚大な精神的苦痛で眠る所では無かった。



ベッドに入ってから30分くらい経つと、自分の身体は寒くて仕方なくなっていった。この時自分の身体の上には3枚くらいの毛布と掛け布団がかかっていたが、それでは全然足らない。また部屋の暖房の設定をMAXに上げてみたが、それも全く効果無し。この時の時期は3月でまだ肌寒い日だった。


当時の自分は極度の冷え性に陥っていた。冬の季節の普段の就寝時は、毛布や掛け布団を8枚くらい重ね、さらにその上に着なくなったダウンジャケットを10枚くらいの重ねないと寒くて全く寝付けなくなっていた。(冬の時期)当時の自分は自分の身体の上をかなりの重さ(10キロ以上)にしないと寒くて眠れなくなっていた。



そして、この東○荘の部屋に用意してあった毛布と掛け布団は3枚。これでは足りるはずがない。そこで自分は勇気を振り絞ってホテルのカウンターに行き、掛け布団を2枚借りてた。ところが、それを掛けても身体は全然寒いまま。




もはや自分の中には、再びカウンターに追加の布団を借りに行く気力は残っていなかった。自分は仕方なくかなりの寒さを我慢して眠る事に。



この時の寒さの原因を考えてみると、この時の自分は精神的に致命的なストレスを抱えており、それにより血管が極度に収縮し、極度の冷え性を発症していたと考えられる。この時の自分の精神は、上記⑴〜⑷の感情に完全に押し潰され、断末魔の叫びを上げ続けていた。これではどんなに布団を重ねても身体が暖まるはずがない。心が極度に冷え切っていたのだから。温度にするとマイナス30度くらい。



自分は上記の極度の寒さと⑴〜⑷の致命的なストレスに必死に耐えながら、2時間ほどベッドに横になっていた。すると時刻はもう朝7時。太陽は登り、カーテンの外はすっかり明るくなっていた。こうなると自分は眠れない事に焦り始め、さらに眠れなくなっていった。



朝8時。ようやく自分はウトウトし始めた。そこからは極めて浅い眠りを断続的に繰り返した記憶。1時間くらいウトウトしては、10分起き、また1時間くらいウトウトする、の繰り返し。





自分は昼の2時頃に目を覚ました。とは言っても身体は泥のように重く、ベッドから出る気が全くしない。自分は朝8時頃から断続的に6時間を浅い眠りを取ったが、極限の疲労感はほとんど回復していなかった。


30分後、ベッドを出て、洗面所で歯を磨いた。そして、ソファに座り、深い深い深いため息を付いた。昨晩自分はこの事件の経緯やそれについての自分の気持ちをノートに3時間かけて書いたのだが、そこでは「明日からどうするのか??」という大問題に答えを出す事が出来なかった。よってソファに座ると再びこの問題と直面せざるを得ず、深い深いため息が出た。同時にこの問題と直面するという事は、⑴〜⑷の甚大な精神的ストレスと向き合わなければならないという事でもあった。自分は暗澹たる気持ちでノートを開き、現在の自分の気持ちと状況を書き始めた。


「今日これからどうするのか??」という大問題に対する選択肢は以下の2つしかなかった。

・「ホテルに泊まり続ける」

・「家に帰る」


そして、「ホテルに泊まり続ける」にしろ、「家に帰る」にしろ、自分が気が狂う程の精神的ダメージを受ける事は確定的な状況だった。しかし、ダメージの総量が「有限に思えるのか」か「無限に思えるのか」かにおいては、大きく印象が違っていた。印象の違いは以下の通り。それぞれのストレスを構成する要素も追記。


・「ホテルに泊まり続ける」→気が狂いそうな選択肢であり、ストレス量は無限に思える。


「ホテルに泊まり続けるストレス」を構成する3つの要素


*全く望まない形で始まった、ホントに慣れないホテル暮らしが、どれくらい続くか分からない恐怖


*金銭的ダメージがどれ程のものになるのか分からない恐怖

*自分の心身はこの事件前からぶっ壊れまくっていたので、この事件により極限の疲労状態に追い込まれていた。それにより、被害妄想も病的(×6倍)に酷い状態。こんな状態でホテル暮らしという「無限の恐怖」に立ち向かう気力は皆無だった。



・「家に帰る」→これも気が狂いそうな選択肢だが、ストレス量は有限に思える。


「家に帰る」ストレスを構成する要素

*上記①〜⑤+❶❷のストレス



上記のようにどちらの選択肢を選んだとしても自分が気が狂いそうな精神的ダメージを受ける事は必至な状態だった。しかし、その精神的ダメージが「有限か無限か」においては2つの選択肢は大きく印象が違っていた。自分はノートに自分の気持ちを書いていくうちに「家に帰る」という選択肢に傾いていった。



今から考えると「ホテルに泊まり続ける」という選択肢には鼻から現実味が薄かった。この時の自分は「鬱の廃人」×2倍状態であり、さらに極限の肉体的疲労感も感じていた。こんな状態でホテル暮らしという「無限の恐怖」に立ち向かえるはずがない。


しかし、もう一方の「家に帰る」という選択肢もそう簡単には選べない選択肢だった。何故ならこちらの選択肢を選んだとしても致命的なストレスを受ける事は確定的。ただし、「ホテルに泊まり続ける」という選択肢に現実味が薄い以上、最初からこの選択の答えは「家に帰る」以外にはあり得なかった。




つまり、自分は自分の気持ちをノートに書く中で「自分で自分自身を説得していった」とも言える。そう、「家に帰る」という選択肢を選んだ際の致命的なストレス、これを受ける為の覚悟を作っていった。もしくは、致命的なストレスを受けざるを得ない状況を「受け入れていった」。そして、自分は3+3時間ノートを書き続け、ようやくこの状況を受け入れたのだった。



夕方5時頃、自分はようやくノートを書き終えた。つまり、自分は3+3時間ノートを書き続け、①〜⑤+❶❷の致命的なストレスを受け入れていった。自分はノートを書き終え、極限を超えた疲労困憊状態に陥っていた。



この時の自分は3時間に及ぶノートによって、さらに疲労感が悪化していた。また、その前には6時間の睡眠を取っていたのだが、そこでも疲労感は悪化していた。この時の睡眠は①〜⑤+❶〜❺のストレスにより極めて浅い睡眠となっており、冷え性も酷くマイナス30度の寒さの中で眠っているようだった。さらにそもそも昨晩の時点で自分の身体は極限の疲労感を感じていた。この昨晩からの疲労感の悪化を数式にすると以下の通りになる。


前日の極限の疲労感+睡眠での疲労感+ノートを3時間書き続けた疲労感=極限を超えた疲労



このようにノートを書き終えた後の自分の身体は極限を超えた疲労困憊状態にあった。自分の身体は重くて重くて仕方なく、それは背中に100kgの重りを背負っているようだった。しかし、ノートを書く中で「家に帰る」という選択肢を受け入れた以上、家に帰る準備をせざるを得なかった。自分は必死に必死に疲労困憊状態に抗い、帰る為の荷造りをして行った。



荷造りが終わると、ホテルをチェックアウトし、家に帰る為に電車に乗った。その時の気持ちは本当に本当に暗澹たるものだった。何故なら、家に帰るという事は、❶❷のストレスが現実化する可能性があるという事であった。つまり、家に帰れば激高した父親が再び自分の事を襲ってくるかもしれないし、逆に自分の暴力衝動が極限に達し、家族に対して直接的に加害してしまう可能性もある。もしこの極限を超えた疲労困憊状態で父親に襲われた場合、それに自分が対抗出来るのかどうか、自信は全く無かった。それによる底知れない不安。



地元に戻ったものの、家に帰る気には全くなれなかった。何故なら家に帰れば、①〜⑤+❶❷の致命的なストレスに直面する為。この時の自分が感じていたストレス量は、「中指の拷問」1回分。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。) この時の自分が感じていた精神的苦痛をこの表現に倣って例えてみると、「他者によって自分の心が本来あり得ない方向に曲げられ、折られてしまった」。



そこで自分は家に帰る前に元バイト先の古本屋に寄った。そこでは馴染みのWさんが働いており、ここで1〜2時間昨日からの事件の話を聞いて貰う事が出来た。これにより致命的なストレスは30%下がり、自分はなんとか家に帰る気持ちになったのだった。



古本屋を後にして家に向かい、20分ほどで到着した。時刻は夜8時頃。自分は原付を家の駐輪スペースに置き、玄関に向かった。この時の内心はかなりドキドキしていた。もしかしたら、両親が玄関のチェーンをかけて家に入れなくしているかもしれないし、家の鍵自体を交換してしまっている可能性もある。そうなったら最悪の最悪。極限を超えた疲労困憊状態にある自分がそのようなトラブルに対応出来るはずがない。


自分はかなりドキドキしながら、玄関の鍵に鍵を差し込んだ。すると「カチャッ」と鍵が開き、ドアもチェーンに引っかかる事なく開いた。自分は軽く安堵した。とりあえず家の玄関に入る事は成功した。



しかし、恐怖の本番はここからだった。ここからは玄関横の階段を登り、自分の部屋に入るのだが、その間に激昂した父親がまたも掴みかかってくるかもしれない。そして、そこでまたも1vs3の状況に陥り、また袋叩きにされるかもしれない。この時の自分は極限を超えた疲労困憊状態だったので、ここで父親に襲われたらひとたまりもない。自分の恐怖感はここでピークに達した。自分の心は、「極度の恐怖感」と「極限を超えた疲労感」に完全に押し潰され、「中指の拷問」一回分の精神的苦痛を感じていた記憶。(中指の拷問の詳細はこちら。)



自分は恐怖感と疲労感に必死に必死に抗いながら、玄関横の階段を登っていった。そして、2階のドアを開け、とうとう自分の部屋に戻ってこれた。自分は「ふ〜〜〜〜〜っ!!」と大きな大きな溜息をついた。とりあえずは父親に襲われる事なく、無事自分の部屋に戻ってこれた。この時の自分の心はかなりの安堵感に包まれていた。



自分は部屋に戻って一息付くと、机の前に座り、ノートを書き始めた。書いた内容はもちろん今回の事件の経緯。この時の自分の身体は極限を超えた疲労困憊状態にあり、眠気も酷かった。本来ならすぐにでもベッドに入って眠りたかったが、そうは出来ない理由があった。その理由は以下の3つ。


①昨日からの一連の経緯をノートに書いて整理したかった。


②ただでさえ当時の自分は「被害妄想」が病的(×6倍)に酷くなっており、街中で普通にパチンコを打っているだけでも周りから無根拠に迫害されるような被害妄想に怯えていた。こんな精神状態で自分は、明らかに自分に激しい敵意を持っている他者(家族)3人の中に1人戻ってきてしまった。これは完全に「殺人犯3人の中に孤立無援状態で突入してしまった」ような精神状態。よって自分の心の中では、「もしかしたら、自分は家族に殺されてしまうかもしれない。」という病的(×6倍)な被害妄想が暴れ回り、凄まじい恐怖が発生していた。こんな状態でベッドに入り眠れるはずがない。何故なら「もしベッドに入り、寝てしまったら、その無防備な所を家族に襲われ、殺されてしまうかもしれない」から。よって自分は極限を超えた疲労困憊状態にあったものの、ベッドには入れなかった。


③この時の時刻は夜9時で家族はまだ起きている時間帯。自分の帰宅に対する家族のリアクションを窺う為にも寝る訳にはいかない。



上記の3つの理由により、極限を超えた疲労感と眠気に必死に抗い、ノートに事件の経緯を書き始めた。



1〜2時間後、ようやくノートを書き終えた。時刻は夜の12時頃。この間、家族からのリアクションは一切無かった。しかし、まだまだ油断は出来ず、「自分は家族に殺されてしまうかもしれない。」という激しい恐怖もそのまま。しかし、自分の身体はもはや限界が来ていた。自分はベッドの布団に入り、その上に服をうず高く積んだ。



自分の心の中は相変わらず❷の激しい恐怖感が支配していたが、下記のような覚悟のような諦めを持ってベッドの中に入っていた。


「もし寝付いた後に激昂した父親が部屋を襲撃してきて、自分が殺されるのなら、もはやそれは仕方がない」



1日ぶりに寝付く自分の部屋の布団はとても暖かく、心地良かった。自分は上記の諦めを心の中で感じつつ、すぐに眠気に飲み込まれていった。



『チャート終わり』




前回の記事では、上記のチャートの続きを考えてみました。自分が家に帰り、ノートを書き、一晩寝た後の話です。ではここからは前回の記事をそのまま引用したいと思います。前回の記事をお読みの方はスルーして下さい。



『前回記事からの引用』



では話を先に進めたいと思います。上記のチャートの続きの話になります。具体的には家に帰った後、ノートを書き、夜の1時頃寝付きまして、その翌日の話になります。翌日、自分は昼の12時頃に起きた記憶です。前日の自分の心身は、極限を超えた疲労困憊状態にありましたから、ベッドの中に入ると一瞬で眠りにつき、そこから延々と寝続けました。幸いな事にその間に激昂した父親が自分の部屋に突入してくるような事は起こりませんでした。


自分は断続的に12時間くらい寝続け、昼の12時頃に目を覚ましました。しかし、その程度の睡眠では身体の疲れはまだまだ残っていた記憶です。そして、❷の恐怖感も全然収まっていません。ここで❷を振り返ってみますと、


❷自分は家族に殺されてしまうかもしれない。」という病的(×6倍)な被害妄想


です。この恐怖感は一晩寝ても全く衰える事がありませんでした。ですから自分は起きた後も、極度の緊張感と恐怖感を感じながら、自分の部屋で過ごし続けました。そう、実は前日の自分の心の中には、このような第三の選択肢もありました。


「一度家には帰るものの、一夜を過ごしてみて本当に精神的に辛かったら、家を出てまた東○荘に戻る」


しかし、家に帰っていつもの暖かい布団で眠ってみますと、もはや東○荘に戻るという選択肢は消滅していました。そう、再び東○荘に戻れば、再びベッドで凍えながら眠りにつかなければなりません。東○荘の圧倒的に少ない布団を我慢せねばならないのです。しかも家に帰って一晩寝たからと言って、極限を超えた疲労困憊状態はほとんど回復していません。自分の中で東○荘に再び戻り、あの凍えるような一夜をもう一度耐える気力は皆無でした。ですから、自分は❷の凄まじい恐怖に病的(×6倍)怯えながらも、自分の部屋にい続ける事を選ばざるを得なかったのです。



『引用終わり』


なるほど〜。このように自分は家で一晩過ごし、その後も家に居続けた、という話になります。自分の心身は一晩寝た後も相変わらず極限を超えた疲労困憊状態にありました。故にこの状態で再び東○荘に戻り、そこで凍えるような一夜を耐える気力は毛頭無かった、という事になります。


ですから、自分は「東○荘事件」の初日こそ東○荘に泊まりましたが、2日目以降は家に戻り、❷の病的(×12倍)な被害妄想に怯え続けた、という事になります。そう、この時の自分が主に苦しんだのは、❷の恐怖感ですが、❷の恐怖感に苦しむという事は、①〜⑤+❶❷のストレスに苦しみ続けるという事でありました。




ですから、家に帰った後の自分の心は①〜⑤+❶❷の「圧倒的な絶望感と圧倒的な悲しみ」に完全に押し潰され、断末魔の叫びを上げ続けていました。その精神的苦痛は耐え難いものがあり、「中指の拷問」1回分の精神的ダメージ量があったと思います。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)



この時の精神的ダメージを「中指の拷問」の例えに倣って表現してみますと、「自分の心が両親によって本来あり得ない方向に曲げられ、折られてしまった」、という事になります。そして、心が折られた箇所は激しい外傷となり、酷いトラウマになっていったのでした。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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