皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 病的な被害妄想に苦しみながらの引っ越し(過去編・2006年6月・30歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事も、30歳の自分が引っ越しを翌日に控え、その恐怖でほとんど眠れなかった、という話でした。何故ならこの時の自分の心の中は引っ越しに対する致命的な憎悪と不安感で溢れ返っていたからです。この時の自分の心の中には以下の致命的な憎悪と不安感が発生していました。当時の致命的な憎悪と不安感は、9個(①〜⑥+❶❷+1)に分かれています。
・「引っ越しに対する凄まじい憎悪と絶望感、その6つの理由①〜⑥」(前提として当時の自分は実家暮らし)
①そもそも当時の自分は、引っ越しの話が出て来る前から、両親に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。(自分が両親に対して憎しみを募らせていく過程はこのブログのトップ記事 「人生年表&鬱悪化のフローチャート 」参照。) よって自分と両親とはこの1年以上全くコミュニケーションが無い状態が続いていた。そんな状態で両親が急に「引っ越し」という一大イベントを言い出してきたことが許せない。自分には「引っ越しをしたい」という気持ちが1㎜もない。
②もし引っ越しをするとなると、「引っ越しについて行く」にしろ「一人暮らしする」にしろ、家族とのコミュニケーションは避けられない。そして、当時の自分は家族に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。よって、家族とコミュニケーションを取らざるを得ない状況を強制的に作り出された事に対する凄まじい憎しみ。
③もし引っ越しをするとなると、「引っ越しについて行く」にしろ「一人暮らしする」にしろ、そこに自分の時間やエネルギーを割かなければならなくなる。その事に対する凄まじい憎しみ。何故なら、当時の自分はそれまでの29年間の人生を、両親によって全て搾取されたような感覚を持つに至っていた。よって、両親に人生を搾取された上に、さらに引っ越しで時間とエネルギーを搾取されそうな事が気が狂いそうな程の憎悪を発生させていた。
④当時の自分の心身は長年の孤独によって、「鬱の廃人」×2倍状態に陥っていた。「被害妄想」は病的(×6倍)に悪化していたし、日々の心身の辛さも半端ではなかった。(当時の鬱の諸症状はこちら)当時の自分はカウンセリング&パチンコ生活をしていたが、それは心身ともにギリギリな状態でなんとか日々を過ごしている状態。こんな状態で「望まない引っ越し」や「望まない一人暮らし」をするエネルギーがあるはずもなく、それに対する凄まじい不安と憎しみも発生していた。
⑤当時の自分は1年間の引きこもり生活を終え、ようやく外の世界に出れるようになっていた。そこで新しく始まった生活は、週1回カウンセリングを受け、そのカウンセリング代と生活費を稼ぐ為に週4〜5回パチンコで稼ぐ生活。この生活は「鬱の廃人」状態に陥っていた自分にとってかなりの心身の苦痛を伴うものだったが、一方でそれ以上のやり甲斐と希望もこの生活に感じていた。それは自分が29歳にしてようやく掴んだ自分らしい日々だった。しかし、両親が引っ越しを言い出した事で、この明るい日々はたった2ヶ月で終わってしまった。自分は引っ越しがもたらす凄まじい憎しみと絶望と不安と悲しみに打ちひしがれ、再び人生の先行きが全く見えない状態に陥ってしまった。これによる、恨みも凄まじいものがあった。
⑥当時の自分は自分の部屋に並々ならぬ愛着を感じていた。故に引っ越しにより、この部屋を離れなければならない事に対して、身を裂かれるような精神的苦痛を感じていた。自分の部屋への愛着の理由は以下の3つ。
⑴28〜29歳の自分は1年間部屋に引きこもり続けており、病的(×6倍)な被害妄想を発症していた。その被害妄想とは家族に向けられたものであり、「父親に殺されるのではないか?」「妹の出すドア音で眠る事が出来ず、衰弱死させられるのでは??」といったもの。そして、「自分の部屋」だけが、「父親」や「妹の出すドア音」から自分を1年間守り続けてくれた、そんな感覚を持っていた。
⑵引きこもりの1年間を経て、自分は限定的にだが、「自分に対する自信」を大きく取り戻す事に成功していた。それは引きこもり前の状態と比べると生まれ変わったかのようなポジティブな変化だった。そして、その生まれ変わりが起きた場所は「自分の部屋」に他ならなかった。つまり「自分の部屋」とは、自分が自分の手で自分の精神を生まれ変わらせた場所。当時の自分にとって自分の部屋は「聖地」のような意味合いを持っていた。
⑶自分はこの部屋には中学2年生の時に引っ越してきて、17年間の時間をこの部屋で過ごしてきた。そして、この17年間はただひたすら孤独と挫折が続き、心身が壊れて行くだけの17年間だった。高校時代の暴言事件によって、日曜夜ごとに激しい喘息に苦しんだのもこの部屋であり、大学空手部の恐怖で夜眠れなかったのもこの部屋。そして、「尿管結石事件」が起きたのもこの部屋。この部屋で自分は17年間孤独と恐怖に苦痛にのたうち回り、心身を壊していった。つまり、30歳の自分は、この部屋に対して「自分の17年間分の悪戦苦闘の歴史が刻み込まれている」という意味での愛着も感じていた。
・❶家族3人に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪
・❷ 「もしベッドに入り寝てしまったら、その無防備な所を家族に襲われ、殺されてしまうかもしれない」という病的(×12倍)な被害妄想
・東○荘事件の後、両親が引っ越しの決行を決めた事による、過去に例を見ない程の挫折感と虚無感(東○荘事件の経緯はこちら)
このように引っ越し前夜の自分の心の中は上記9個の致命的な憎悪で溢れかえっていました。故に自分は以下の事態を病的(×12倍)に恐れていたのです。
「引っ越し当日に予測不能な非常事態が起こり、それによって自分が両親と直接喋らなければならない事態」
このような事態に陥れば、自分の頭の中は発狂してしまう事でしょう。そうなったら、自分は正気を失う前に「首吊り装置」でこの世から離脱するだけです。ですから、自分はその恐怖のせいでほとんど眠れないまま、引っ越し当日の朝を迎える事となりました。
ここからは前回の記事をそのまま引用したいと思います。引用した上で、今回の記事を書いていこうと思います。前回の記事をお読みの方はスルーして下さい。
『前回記事からの引用』
さて、引っ越し当日の朝、自分は朝7時くらいに起きました。前日の疲れはほとんど取れておらず、むしろ余計に身体は重くなっていた記憶です。しかし、このまま横になっていても、恐怖で眠れなさそうにありませんから、ベッドから出たのでした。
そして、前回の記事に書きましたように、原付で自分の部屋にあった扇風機を乗せて、引っ越し先の一軒家に運んだのでした。それが朝の8時くらいの出来事です。そこから家に1度戻り、最後の荷造りの点検をしていると、朝10時です。引っ越し業者がトラックで家に訪ねてきました。いよいよ荷物の搬出作業の始まりです。自分の部屋にも引っ越し業者が入ってきまして、荷造りした段ボールが次から次に運ばれていきました。
一度作業が始まると呆気ない程簡単に段ボールは運ばれていきました。そして、全て段ボールが一通り無くなると、次は本棚やベッドや机などの家具が運ばれていきました。あっという間に自分の部屋の中は空っぽです。今回の引っ越しの荷造りには1〜2ヶ月かかった訳ですが、いざ引っ越しが始まると30分くらいで全ての荷物は運び出されてしまいました。なんか呆気ない感じがしました。
そして、最後に部屋に残ったのは大きな物置です。大きさは、横幅74cm×奥行き60cm×高さ220cm。そう、自分が前夜なほとんど眠れなかった原因は、この大きな物置にありました。この物置を無事に引っ越し出来るか、病的(×12倍)に不安で仕方なかったのです。
そして、引っ越しの作業員さんにこの物置を持って行けるか聞いた所、大き過ぎて運べないとの事でした。自分はがっかりしました。この物置は自分が中学生の頃から使っている物置であり、愛着がかなりある物置だったのです。しかし、運べないなら仕方ありません。自分は今回の引っ越しではこの物置を運ぶ事は諦めたのでした。
『引用終わり』
このように自分は大きな物置を運ぶのを一旦諦めました。とはいえ、大きな物置以外の部屋の荷物は全て運び出され、部屋の中はがらんどうです。自分はがらんどうになった部屋を見てなんとも言えない気持ちになりました。そう、上記の⑴〜⑶にあります通り、自分はこの部屋に並々ならぬ愛着を感じていたのです。
自分は中学2年生の4月にこの部屋に引っ越してきました。そこから中学、高校、大学、2つ目の大学と、16年間をこの部屋で過ごしたのです。その16年間は孤独と恐怖に塗れ、心身が壊れていくだけの16年間でしたが、この部屋にはその16年間分の七転八倒の歴史が刻み込まれていました。
また、⑵にありますように、自分は直近の1年間この部屋に引きこもり続け、「自分に対する自信」を限定的にですが、大幅に回復させる事に成功していました。いわばこの部屋は「自分の精神が生まれ変わった」という意味においての「自分にとっての聖地」でもあったのです。それだけにさらに愛着は強く、この部屋との別離は耐え難い精神的な苦痛となっていたのでした。
しかし、今やこの部屋は何も無い殺風景な部屋になってしまいました。16年間の痕跡はもはや部屋の壁のシミぐらいなものです。しかも妹の話では、引っ越し後、この家は取り壊されるとの話でした。そうなれば、2度とこの部屋を見る事は叶いません。自分はこの引っ越しの日の為に使い捨てカメラを買っていました。そして、そのカメラで空っぽになった部屋の中を撮りまくりました。
一通りカメラで撮り終わるといよいよ、この部屋ともお別れとなりました。自分は⑴〜⑷の気持ちに襲われ、かなり感情的な気持ちになりました。少し涙ぐんでいたかもしれません。⑴にありますようにこの部屋は自分という存在を守ってくれた「殻」のような役割も果たしていました。自分はこの部屋に対してただただ感謝の思いしかありませんでした。
ですから、自分は部屋を去る際に、部屋に対して深々と頭を下げ「16年間本当にお世話になりました。」と呟きました。そして、感謝の思いを込め、部屋の壁にキスをし、部屋を後にしたのでした。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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