皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 不毛過ぎる一人サウナ状態(過去編・2006年6月・30歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事も、自分が 「引っ越し及び東○荘事件」によって、極度の虚脱状態と放心状態に陥った、という話でした。これは自分が30歳の時の話です。自分は当時実家に住んでいたのですが、両親が引っ越しを言い出した事により、致命的な憎悪と被害妄想の嵐に巻き込まれる事となりました。ではここで 「引っ越し及び東○荘事件」の経緯をフローチャートで示したいと思います。
「引っ越し及び東○荘事件の経緯(2005年10月〜2006年6月・30歳)」
そもそも当時の自分は、引っ越し「以前」から「鬱の廃人」×2倍状態に陥っていた。引っ越し「以前」、自分は1年間部屋に引きこもり続け、過去のトラウマをひたすらノートに書いていた。この時点で自分の心の中の家族に対する憎悪は『「殺したい」程の憎しみ』以上の憎悪になっていた。また、「被害妄想」も病的(×6倍)に酷くなっていた。
(引きこもり時期の9個の鬱の諸症状はこちら)
(自分が鬱を悪化させていく経緯は、このブログのトップ記事 「人生年表&鬱悪化のフローチャート 」参照)
(マイナス132)
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自分は1年間かけて引きこもり状態をようやく脱し、カウンセリング&パチンコ生活を送り始めた。しかし、その2ヶ月後に両親が引っ越しを言い出し、それが原因で自分の精神は凄まじい憎悪と被害妄想の嵐に巻き込まれる事となった。(その憎悪と被害妄想の内訳①〜⑥はこちら) (マイナス132→132)
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そして、自分は暴力衝動をコントロール出来なくなり、家の中でモノに激しく当たるようになった。そんな状態が半年間続いた結果、「東○荘事件」が発生。(2006年3月頃・30歳)(東○荘事件の簡易的な経緯はこちら、詳細な経緯はこちら)この事件により、自分の心の中には以下の2つの致命的な精神的ダメージが加わった。
❶家族3人に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪 (自分が両親に対して憎しみを募らせていく過程はこのブログのトップ記事 「人生年表&鬱悪化のフローチャート 」をお読み下さい。)
❷ 「もしベッドに入り寝てしまったら、その無防備な所を家族に襲われ、殺されてしまうかもしれない」という病的(×12倍)な被害妄想(詳細はこちら
(マイナス132→132)
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さらに東○荘事件後、両親が引っ越しの決行を決めた事で、自分は以下の精神的ダメージも受ける事となった。
・東○荘事件の後、両親が引っ越しの決行を決めた事による、過去に例を見ない程の挫折感と虚無感。
(マイナス132→132)
↓
つまり、自分は今回の引っ越し及び東○荘事件によって、上記①〜⑥+❶❷+1の9個の致命的な精神的ダメージを受けた、ということになる。この時の自分が受けた精神的ダメージ量は「中指の拷問」一回分を余裕で超える。(中指の拷問の詳細はこちら。) (マイナス132→132)
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このように自分は引っ越し及び東○荘事件により、9個の致命的な精神的苦痛を受ける事となった。その後自分は断腸の思いで引っ越しについて行く事を決断したのだが、その準備の最中に、その余りの精神的苦痛で自分の正気が失われ、「自殺」すら出来なくなる事態を恐れた。そこで自分は自分の部屋に「首吊り装置」を設置し、自分が正気を失いそうになったら、これを使ってこの世から離脱する事を決意。この「首吊り装置」は自分にとっては「最終安全装置」の意味があった。(マイナス132→132)
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その後自分はこの「最終安全装置」を唯一の心の支えにして、引っ越し準備を進めた。そう、家族に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪を必死に抑えて、引っ越し準備を進めたのだった。そして、とうとう引っ越し当日を迎え、その後引っ越し作業はほぼ完了。(引っ越し当日の経緯はこちら)これにより自分の心の中にはかなりの安堵感と達成感が発生した。「首吊り装置」を使わずに済んだのだから、かなりの安堵感が発生するのは当然の流れだった。(マイナス132→132)
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一方で引っ越し後の自分は極度の虚脱状態と放心状態にも陥った。何故なら、引っ越し及び東○荘事件によって自分は上記9個(①〜⑥+❶❷+1)の致命的な精神的ダメージを受ける事となったから。これにより、自分の鬱はさらに2倍悪化。自分は引っ越しの前から「鬱の廃人」×2倍状態にあったのだが、これがさらに2倍に悪化。つまり、「鬱の廃人」×4倍状態に突入したのであった。
そして、「引っ越し及び東○荘事件」の経緯を端的にまとめるとこうなる。
引っ越し「以前」の状態
「鬱の廃人」×2倍状態
= 引きこもり時期の9個の鬱の諸症状
=メンタル数値「132」
↓
↓ 引っ越し及び東○荘事件による9個の(①〜↓⑥+❶❷+1)の致命的な精神的ダメージにより↓鬱がさらに2倍悪化(東○荘事件の経緯はこち↓ら)
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引っ越し「後」の状態
「鬱の廃人」×4倍状態
= 「引きこもり時期の9個の鬱の諸症状」×2倍状態
=「極度の虚脱状態と放心状態 」
=メンタル数値「264」
(マイナス132→264)
☆ ただし、本来上記のメンタル数値(マイナス〇〇○)は、このフローチャートにおけるそれぞれの項目において下がっている。例えば東○荘事件当日のメンタルダメージであったり、東○荘事件から2週間後くらいに自分が「首吊り装置」を設置した日のメンタルダメージであったり、その後引っ越し準備を進めて行く際のメンタルダメージであったり、引っ越し当日のメンタルダメージであったり。
しかし、今となっては今から16年前のそれぞれの項目でのメンタル数値の下落を詳細に数値化するのは不可能。ただし、「引っ越し及び東○荘事件」の一連で自分の鬱がさらに2倍悪化したのは確定的。よって、便宜上「引っ越し及び東○荘事件」が終わった時点で、一気にメンタル数値が2倍に悪化した、という表記に。
『フローチャート終わり』
このように、自分の精神は「引っ越し及び東○荘事件」によって致命的なダメージを受ける事となりました。その結果、引っ越し後の自分は「極度の虚脱状態と放心状態」に陥る事となったのです。前回の記事では、その具体的な症状として、「意識は覚醒しているのに、まぶたや身体が重くて動かない状態」を考えてみました。
ではここで前回の記事を参照にして、この「意識は覚醒しているのに、まぶたや身体が重くて動かない状態」をまとめてみたいと思います。
引っ越し後の「意識は覚醒しているのに、まぶたや身体が重くて動かない状態」
この状態はベッドで5〜6時間寝て、意識が覚醒した直後から始まる。意識と思考が戻っているにも関わらず、まぶたと身体が鉛の様に重く、全く動かない。身体に至っては、身体のが抜かれてしまったかのように、力が全く入らない。例えるなら「自分の全身の骨が、凄まじい物理的な衝撃により、全てが粉々に砕け散ってしまったような状態」。この時の自分は致命的な精神的苦痛を感じながら、1〜2時間ベッドの上で横たわり続けなければならなかった。その致命的な精神的苦痛は以下の2つ。
自分の身体なのにも関わらず、まぶたや身体に力が全く入らず、自分の意志でそれらが全くコントロール出来ていない。しかもその状態が1〜2時間続く。その間自分の心身は、脱力感、虚無感、無力感に完全に支配され、情けない気持ちでいっぱいだった。自分はそれまでの人生において、ひたすら自信や自尊心を失い続ける30年間を送っていたが、その失い続けた自尊心がさらに失われていく感覚があった。
②「一人サウナ状態による極度の消耗感と理不尽感」
身体をベッドの中で横たえ続けていると、徐々に身体が熱くなっていき、1時間経つと汗が出る寸前となる。ちなみに自分は極度の冷え性だったので、真夏以外は身体の上に布団を7〜8枚重ね、さらにその上にいらなくなった服を山のように積まないと寒くて眠れなくなっていた。よって、この厚くて重い布団の中に身体をの答えていると、1時間で汗が出そうになってくる。体調が良い時は、この1時間でまぶたや身体が動かせるようになり、ベッドから出る事が出来る。
しかし、体調を崩している時は、汗が出てきてからもまぶたや身体を動かす事が出来ない。よって自分は厚くて重い布団の中で、汗をダラダラかく事となる。それはさながら「一人サウナ状態」。次第に下着も濡れて来て、最後の方はビチャビチャ。
そして、厚くて重い布団の中で汗をダラダラかいていると、体力の消耗感が半端ない。どんどん身体からエネルギーと力が漏れ出していく。それに対して自分の心は辛くて溜まらず、「俺一体何やってるんだ??」的な理不尽感も一杯。
自分はそこからさらに1時間ほど汗を流し続け、ようやく汗は止まる。すると、まぶたや身体が動かせるようになるのだが、この頃になると自分の心身は消耗し切っており、自分はそんな状態でようやくベッドから身体を起こせる。しかし、心身が消耗し切っているので、その後の生活も消耗し切ったまま。よって、起きて1〜2時間も経つと、すぐに凄まじい疲労感と眠気に襲われ、またベッドに逆戻り。そして、ベッドに入ったら入ったで自分は音に対する病的(×12倍)な被害妄想に襲われ、そこから1時間は寝付く事が出来ない。(詳細は「 引きこもり中の9個の鬱の諸症状 」の①)
自分は引っ越し後、こんな不毛な「一人サウナ状態」を週2〜3回繰り返していた。また、体調が悪い日には1日2〜3回これを繰り返していた。故に、引っ越し後の自分は日常的に「一人サウナ状態」を繰り返し、それによる極度の消耗感と眠気で常に意識朦朧としていた。実際、引っ越し後の自分の記憶は、あやふやな部分が多いのだが、それはこの日常的な意識朦朧状態によるものだと思われる。
いいですね!よくまとまりました!
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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