皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 深夜アニメで得た興奮を消化し切れず、睡眠が致命的に取り辛い(2008年4月頃・32歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、31歳の自分が深夜アニメを見始めたものの、そこから得られる興奮のせいでより眠れなくなってしまった、という話でした。ではここで前回の記事をそのまま引用したいと思います。前回の記事をお読みの方はスルーして下さい。
『前回記事からの引用』
このように2008年3月に自分は全てのトラウマを母親に喋り終えました。すると、今度は母親の人生に猛烈に興味が湧いてきたのです。ここから自分は母親の人生を詳細に聞いていく事になりました。
そして、それと同時期に自分は外を歩き始める事となりました。そう、前回の記事に書きましたように、自分はそれまでも断続的に2日に1度のペースで散歩やジョギングを繰り返していました。しかし、1ヶ月も続けると体調が崩れに崩れ、運動を継続する事が全く出来ません。自分はこんな「トレーニングという名の自傷行為」を半年に1度ペースで繰り返していました。
そして、2008年4月頃、自分は「トレーニング」という目的「以外」で散歩をする理由を見つけ出しました。それは何かと言いますと、「気持ちの消化」です。この理由を見つけた日の事は、今でも覚えています。
話は1年前に戻りまして、2007年4月頃。この頃から自分は深夜アニメを見始めており、その面白さにハマりまくっていました。自分はそれまで深夜アニメを見た事が新世紀エヴァンゲリオンくらいしか無かったのですが、ある日ふと見た深夜アニメに心を奪われてしまったのです。そして、それ以降1シーズンに30本くらいの深夜アニメをチェックする生活が始まりました。
中でも自分は「鬱アニメ」と呼ばれるジャンルのアニメを愛していました。このジャンルの作品の中では登場キャラが心を病んでいく描写が多々あり、それが自分の心にハマりまくっていったのです。まさに当時の自分も「鬱の廃人」×6倍状態に陥っていましたから、そのようなジャンルにハマっていくのは当然の流れでありました。
もちろん、深夜アニメのジャンルは他にも沢山あり、自分はそれらの作品も大好きでした。そして、自分は良い作品を見ると、その感動を言語化したい衝動に駆られました。しかし、自分の現実世界には深夜アニメの事を語り合える友達は皆無です。そこで自分は「GREE」という当時流行っていたSNSに深夜アニメの感想をアップし始めました。自分はけっこうな長文の感想をそのSNSにアップし続けました。
このように自分はSNSに感想をアップする事で、深夜アニメの感動を消化しようとしました。しかし、それでも感動を消化し切れません。そこで自分はアニメショップに赴き、アニメグッズを買う事でそれを消化してみた事もありました。確かにアニメグッズを購入すると、これらの気持ちは消化される感じはありました。
しかし、しばらくするとこの方法は自分にとってはいまいちだと気付きました。何故なら買ってから2〜3ヶ月も経つと、感動や興奮が薄れ、部屋にあるアニメグッズに意味が無くなっている事に気付いたからです。これではお金の無駄遣いだと自分は感じました。「アニメグッズを買う」以外の気持ちの消化方法を探さねばなりません。
自分は気持ちの消化方法を探し続けていましたが、その間も深夜アニメに対する感動や興奮は溜まっていき、それを消化し切れませんでした。そして、厄介だったのが、そうやって感動を消化し切れないと、頭の中のテンションが上がり過ぎてしまって、上手く眠れなくなってしまうのです。
そう、ただでさえ当時の自分は病的(×18倍)な被害妄想を発症しており、それによって睡眠が致命的に取りづらい状態に陥っていました。当時の自分の睡眠時の致命的な精神的苦痛は以下の4つになります。
⑴家族に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪(自分が両親に対して憎しみを募らせていく過程はこのブログのトップ記事 「人生年表&鬱悪化のフローチャート 」参照)
⑵「もしベッドに入り寝てしまったら、その無防備な所を家族に襲われ、殺されてしまうかもしれない」という病的(×12倍)な被害妄想。(詳細は(「こちら」)
⑶引きこもり時期にも発症していた「寝付く際の周りの音」に対する病的(×12倍)な被害妄想。(詳しくは「 引きこもり期間中の9個の鬱の諸症状(過去編・2005年1月・29歳) 」の①)
⑷ベッドの中における「意識は覚醒しているのに、まぶたや身体が重くて動かない状態」(詳細はこちら)
( 引っ越し後の「極度の虚脱状態と放心状態」⑴〜⑻ 。から抜粋)
これらに加えて、「深夜アニメの感動で眠れない」という要素も加わってしまったのです。当時の自分にとって深夜アニメは必要不可欠なものになっていましたが、それによってさらに睡眠が取り辛くなるのはホントに困った事態でありました。自分は「感想を書く」以外で深夜アニメの興奮を消化できる方法がないものが、探し続けていました。そこで出て来たのが「外を歩く」だったという訳です。
『引用終わり』
このように当時の自分は深夜アニメにハマりまくっており、その感動と興奮で眠り辛くなる事態が起こっていました。自分はその感動を言語化し、書いたものをSNSにアップする事で、それを消化しようとしましたが、消化し切れません。そして、アニメグッズを購入する方法も自分にはいまいちでした。自分はほとほと困ってしまいました。そこで思い付いたのが、「外を歩きながら、深夜アニメの事を考える」だったのでした。
自分がこのアイデアを思い付いた日の事は覚えています。話は10年前に遡ります。この頃に自分は1つ目の大学を中退しました(21歳)。その経緯は1つ目の大学の空手部で3年間を過ごし、さらに1年間過ごした末の中退でした。しかし、自分はこの大学を中退後も半年に1度くらいのペースでこの大学に足を運んでいました。それは何故かと言いますと、1つ目の大学を見にいく事で心が安らぐ感覚があったからです。
そう、これまで書いていますように、自分はこの大学の空手部において、3年間「稽古に殺されるかもしれない恐怖」に晒され続け、鬱を3倍に悪化させる事となりました。この3年間は死の恐怖と孤独に塗れた3年間であり、悪夢の3年間でした。しかし、自分はそんなトラウマしかない大学に中退後も足を向けていたのです。
その理由は「自分がもはや死の恐怖の渦中にいない事を感じられるから」でした。当時の自分は中退後も1つ目の大学に赴き、そこで自分が空手部の恐怖にはもはや怯え無くても良い状況にある事を再確認していました。もちろん、この頃には空手部は引退していますから、それは分かりきった事ではありました。しかし、それでも自分は1つ目の大学に赴き、それを確認せずにはいられなかったのです。そして、大学に赴きそれを確認すると、自分の心の中に大きな大きな安堵感が広がりました。その時の気持ちはこんな感じです。
「そうか!自分はもう空手部は引退しているし、この大学も中退している。だからもう空手部の死の恐怖に怯え無くても良いのだ!!自分はあの3年間を殺されずに引退する事が出来たのだ!!」
少し話は脱線するのですが、自分は深夜アニメ「Fate/Zero」という作品が大好きです。この作品はかなり残酷な話ですが、一方で友情や愛情など人の持つ暖かさも感じさせてくれる作品です。さて、この作品の中に「生の愉悦」という言葉があります。当時の自分が大学で感じていた気持ちは、これに似た気持ちなのではないかと思います。この作品の中で「愉悦」とは「他人が不幸になる事を楽しむ」という意味で使われています。そして、まさにこの時の自分は自分の過去の不幸と現在の自分を比較して楽しんでいたのだと思います。
このように自分は1つ目の大学中退後も半年に1回ペースで1つ目の大学を見に行っていました。しかし、2004年〜2005年の1年間はそれをストップしています(28歳〜29歳)。何故ならこの時期の自分は社会生活と家族関係から完全に脱落し、1年間部屋に引きこもり続けたからです。そこで自分は28年間のトラウマをノートに書き続けました。故にこの期間に外出はほとんどありませんでした。そして、自分はここで大学空手部時代のトラウマを全て言語化したのでした。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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